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役「まずは、全ページを掲載しましょう。小さくて読み難いかもしれませんが、後で本文をコピーしながらポイントを取り上げて考えて行きたいと思います。」











































































役員「ハルアキさん、ちょっと興味深いモノを見つけましたよ。」
ハルアキ「興味深いモノ?どんなものですか?」

役「これなんですけどね。どうぞ、ご覧になってください。」
ハ「冊子ですか?本にしてはチョット薄いですね。タイトルは・・・」



役「『道の先達の心得』ですね。諸井慶徳著作集 第二巻より、という補足付きです。」

ハ「この著者の諸井慶徳というのはどういう人なのでしょうか?」
役「諸井慶徳先生と言えば、天理教ではよく知られた人物です。一般的には1914年(大正3年)~1961年(昭和36年)の宗教学者、宗教哲学者として知られています。教団の中では、東大宗教学科を卒業し、若くから教団の中枢で教義や教理の解説、体系化などに尽力し、教典の編纂にも関わっているし、著作も沢山あります。」

ハ「なるほど、天理教の教義や教えに深くかかわっている人物なのですね。それで、これは著作の一つという事でしょうか?」
役「それは、直接の著作とはちょっと違うようです。ネットで調べたところでは、確かに、諸井慶徳先生の著作として、『諸井慶徳著作集:道の先達の心得 人間完成の道』(天理教道友社 1962年刊)というのがあるのですが、これは242ページにわたる本ですから、これとは違います。」

ハ「すると、これはどういうモノなのでしょうか?」
役「正直いまして、来歴その他全く不明です。古い本棚から見つけ出したものです。中身も、著作というより箇条書きの形式ですから、何かの研修会かなにかで使われた資料のような感じですね。」

ハ「研修の資料ですか?」
役「私の想像ですが、著作から抜粋して、教会長研修会か後継者講習会などの資料、教材として、箇条書きで分かり易くしたものだと思われます。どの時代に誰がどのような形で作成し使ったかも全く不明ですが。『目次』と『あとがき』を見ても、そのような手掛かりは見つけられませんでした。」

ハ「なるほど。それで、この冊子の興味深いとは?」
役「はい。実は、これの元になった『諸井慶徳著作集』は現在ではネットでも入手が難しいのです。国会図書館などなら閲覧できるかもしれませんが、さすがにそこまで手間暇かけられません。ただ、この冊子は箇条書きで大変分かり易いので、これを基に、天理教の先達がどのような道を歩んだか勉強させて頂きたいと思ったのです。」

ハ「なるほど。時代的に高齢の方なら直接これを読んで勉強された方が居るかもしれませんね。」
役「そうですね。もし、ご記憶のある方、心当たりをお持ちの方がいらっしゃったら、この内容やどのような形で配布され使われていたのか情報を寄せて頂ければ嬉しいです。
では早速ですが、目次を改めて書き出します。



目  次

お道の結構さに就いて・・・・・・・・1
にをいがけに就いて・・・・・・・・・7
身上、事情のさとしに就いて・・・・13
おさづけの取り次ぎに就いて・・・・18
祀り込みに就いて・・・・・・・・・22
おつくしに就いて・・・・・・・・・25
仕込みに就いて・・・・・・・・・・29
あとがき・・・・・・・・・・・・・34

ということで、中身は全部で30ページちょいです。
ちなみに、写真では読みにくいかもしれないので、『あとがき』も全文を記載しましょう。」



 あ と が き

道の先達として通らせて頂く者は、固より一応は歩み方を知っている筈である。然し自らを顧みる時、果して本当にわかっていると言い切れるであろうか。案外、足許がおろそかになっていることが多いのではなかろうか。又しっかりやらせて頂きたいとは思っているが、どういう風にさせて頂いたらいいか、自信がないと自分自ら感ずる人もあるであろう。このような上から、改めて一つ一つ具体的に心得させてもらいたいこと、これをこの書は取り上げてみた。だから書いてある事柄は何れも、練達の人々にとっては、わかりきったことばかりであろう。如何にも今更めいて書き並べてある感じがするかも知れない。然し物事の進展を計るには、常にこのような事情は避けられない。そして組織的に又、多くの人にその手段や方法、さてはその構造や消息を明らかにすることは、より能率と効果を高め広める為には、是非とも必要なのである。

 このような書き物は、随分以前から心がけていたが、なかなか陽の目は見られなかった。ようやく一応のものを出す処迄こぎつけて、何よりも心うれしいことである。この内容にまだまだ足りないことだらけであろう。然しこれが一素材となって、更に今後補い足して行きたいと思う。勿論、この書は決して標準的決定版の如きものではない。あく迄も一つのテスト・ケースとしてつくってみたものである。特に「稿本」としたのはこの故である。

 表現はなるべく平易な一般的なものにしてある。特殊な教語は出来るだけ避けた。これは言葉だけの自己満足に陥ることをやめ、実質上の内容の表現を期する為、この際あえて用いた一つの試みである。又各表現の背後には多くの述べられるべき事柄がある。然しこれ等も省略して、ここには圧縮した項目だけを挙げた。詳細な資料としての事実や理論は別に述べることにしたい。

 この書が道の先達に糧と力とを与えることを衷心より願ってやまない。


役「諸井慶徳先生は、1961年に47歳という若さで亡くなっています。この『あとがき』が著作から引用したモノか抜粋なのか、この冊子を編集した人が書いたモノかも判然としませんが、諸井慶徳先生が書いたモノなら、多少、謙虚で控えめな『あとがき』だなと思えます。もっとも、年齢的にも天理教の中では若い部類に入るでしょうし、教祖様から直接教えを受けたとか、お話を聞いたという先達もギリギリいらっしゃった時代でしょうから、立場や役職は別にして、このような表現になるのは当然かもしれません。
では、次回から中身について考えて行きたいと思います。」
ハ「はい、宜しくお願いします。」