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つくりとるなら

2020年10月26日
(前回より)


責「ですから、日本中の難渋している人を救うため、救い上げるために、給付金を何度でも、毎月でも支給すれば良いんですよ。」

ハ「毎月となると、最近ネットでも話題になっているベーシック=インカムというのがありますけど、それとは違うのですか?」


責「あぁ、全国民に一定金額を配布するというBI(ベーシック=インカム)ですね?でも、お話ししている人によって内容が違うので、現時点ではとても政策に取り入れられる段階ではありません。でも、給付金は既に実績がありますから、あとは、金額と回数だけ政府が決定すればOKです。」

ハ「そうですね。でも、こういう経済だの政治だののお話しは宗教っぽくないですねぇ。(笑)」


責「おや、ハルアキさんにしては頭の固い事を言いますね(笑)。」

ハ「固いですか?」


責「中山みきさんは『宗教をつくれ』なんて一言も言ってませんよ。『信心』とは言っていますが、それも、教え=理を守れという信心です。」

ハ「以前、責任役員さんは『中山みきさんの教えが宗教という形ではなくて、道徳とか哲学、社会規範や人の価値観として広まっていたら、もう少しマシな世の中になっていたかもしれないのに』と言ってましたが、それと政治や経済の話は関係ありますか?」


責「日本には政教分離の大原則があります。戦争に負けるまでは国家神道体制でしたから、敗戦によるGHQの方針の一つに従った訳です。でも、宗教を信仰している人が政治に関わってはいけないという訳ではありませんよね。実際に、宗教団体を支持母体とする政党もありますし、宗教家が立候補して政治家になることだって不可能ではありません。勿論、私が言いたいのはそこまでのお話しではなくて、宗教を信仰しているからといって、政治や経済の問題を放っておいていいという訳ではない、という事です。」

ハ「まぁ、信仰の如何に関わらず、日本国民として18歳以上になれば、選挙権がある訳ですからね。政治に無関心というのは問題ですね。」


責「はい。日本をもっと良い社会にしようと思ったら、そういう理念や政策を掲げる政党や政治家を選んで投票しなければいけないのです。さすがに中山みきさんのいう『誰も苦しむ人のいない陽気づくめの世』を実現できるような政策を掲げる政治家や政党はありませんが、色々比較して、それに一番近い政策を掲げる政治家や政党を選ぶべきでしょう。先ほどの給付金の話ではありませんが、そういう政策を掲げている政治家はいますからね。」

ハ「なるほど、個人で難渋に10万円配るのは大変ですし、全ての難渋となると、いくらお金があっても足りませんからね。」


責「でも、政府がやるなら、簡単に、あっという間に実現するんです。それを考えたら、選挙の時はキチンと考えないとダメだと分かります。勿論、教会や教団が『誰々に投票しろ』とか『〇〇党をよろしく』なんていうのはダメですよ(笑)。」

ハ「なるほど、あくまでも銘々の判断で投票する、させるべきですね。」


責「それが中山みきさんの教えですから。」

ハ「なるほど、本日はありがとうございました。」


責「いえいえ、あぁ、ハルアキさん。ピーマンはお好きですか?」

ハ「え?えぇ、ピーマンの肉詰めなんて大好きですよ。」


責「じゃぁ、昨日教会の献饌畑で採れたピーマンがありますから、差し上げますよ。後は、ナスとプチトマトも。どれも、私が育てて収穫したものですから。」

ハ「おや、それは有難うございます。遠慮なく。」


責「それに、収穫して神様にお供えした御下がりです。かんろだいつとめのお供えした野菜ですから、きっと美味しいと思いますので。」

ハ「本当ですかぁ(笑)。責任役員さんの教義の解釈やお話しの流れからすると、献饌物だから味や栄養が変わるとは思えませんけど(笑)。」


責「そうですね、さすがハルアキさん、よく聞き分けていますね(笑)。でも、この野菜を苗から育てて実を付けるまでの間、私が雑草を取ったり、支柱を立てて枝を結んだり、追肥をしたり、雨が降らない日が続いたら水をあげたりして育ててきたんです。それを想像してくれたら、やっぱり『美味しくなる』と思いますよ。」

ハ「そういう事なら、信者さんも喜んで美味しく頂けますね(笑)。」


責「えぇ、そういう事です。(笑)」

(了)


(前回から)


責「ではまず、改めて二下り目を見てみましょうか。」

とんとんとんと正月おどりはじめはやれおもしろい
二つ ふしぎなふしんかかればやれにぎわしや
三つ みにつく
四つ よなおり
五つ いづれもつきくるならば
六つ むほんのねをきろう
七つ なんじゅうをすくいあぐれば
八つ やまいのねをきろう
九つ こころをさだめいよなら
十で ところのおさまりや


責「この『七つ なんじゅうをすくいあぐれば』の部分が、『高山削って谷底埋めて 世界ろくぢに踏み均す』の一列兄弟、平等思想に結び付いていると思うのですけど、どうでしょうか?」

ハ「えぇ、そうです。難渋を救って平等にするのですから、高い所を削って低い所を埋めるのが当然だと思いますけど、この解釈が中山みきさんの教えとはズレているのでしょうか?」


責「先ほどもお話がありましたけど、蓄財心が当たり前で動いている世の中で、自分一人だけで散財心で生活する事は成り立たない、という部分です。教えを共にする人達の中では、余裕のある人から取って、いや、出して貰って、難渋の人達に配る、でOKなんです。でも、世間一般の価値観は、余裕のある人達でも出したくないと思ってる人が普通でしょう?(笑)。」

ハ「自分たちは一生懸命貯めたのだから分けてなんかやるものか、というのが普通の考え方ですね。」


責「しかも、そういう余裕のある人、力を持っている人の方が権力や社会的影響力を持ってる場合が多いのが現実社会です。これが今の価値観で出来ている社会ですから、その人達に『高山削って谷底埋めろ』と言っても、なかなか言う事を聞いてくれる訳がないです。」

ハ「だからこそ、中山みきさんの教えが重要になるのだと思いますけど。」


責「まぁ、そうですね。一下り目の教えの理としては『散財心を定めて、なにかに作りとりなさい』と教えてくれているだけです。自国の通貨を発行できる政府がお金を作って難渋に給付金を配るのですから、これほど『教えの理』に沿った政策はないと思いますよ(笑)。わざわざ、抵抗や反対する人がいる『高山を削れ』なんて言う必要は何処にもありませんね。わざわざ『謀反の根』を作るような事をしなくてもいいじゃないですか。」

ハ「給付金の支給に差を設ける事は『謀反の根』ですか。なんか納得しにくい部分もありますが、政府がお金を発行して給付金を配るというのは良い政策ですね(笑)。」


責「それにこれは政策としての提案のようなモノですから、支給される人に差別を設けるのはあまりよろしく無いように感じます。」

ハ「『削れ』と言われた人たちが反対するのは目に見えていますから、『全員に』という主張がポイントですか。」


責「ネットなどにも、銀行員の給料が高すぎるとか、公務員の待遇が恵まれているとか、国会議員は議会中寝てばかりいるくせに報酬が高すぎるから減らせ、等という意見を言う人がいます。逆なんです。収入の低い人達、非正規雇用やアルバイトの給料を上げろ、と言わなければならないのです。同じくらいまでとは言いませんけどね。」

ハ「いわゆる、底上げですね。確かに、世間一般の考え方や価値観とは逆ですね」


責「多くの人が、世の中を平等にするためには上を削って下を底上げする、と思ってしまう理由なのですけど、これにはこれまでの宗教観が大きく影響しているように思えます。つまり、この世の中は神様が作って人間に与えられたものだ、だから、世界中のモノは全体の量が決まっているのだ、という考え方です。」

ハ「全体の量が決まっているなら、持てる人から持たざる人に配らないと平等になりませんね。」


責「でも持てる人もそう簡単には手放そうとはしませんから、結局は奪い合いの世界になってしまうのです。これでは獣の世界と変わりがありません。中山みきさんの教えとは真逆の世界です。根本から変えなければならない訳です。」

ハ「ええと、一下り目の『なにかに作りとれば豊かになる』、という事ですか?確かに、必要なモノは作れば良いのですから、沢山作れば皆で分け合えるし豊かになります。でも、世の中には量が決まっているモノもありますよね?資源とか土地とか・・・。」


責「確かに、原油や鉱物などは限りがありますね。でもハルアキさん、私たちが子供の頃、『世界の原油はあと30年程で枯渇する』って教えて貰いませんでしたか?」

ハ「ええと、確かに社会科でそんな事を言っていたような・・・。」


責「それから何年経ってますか?今でも『後30年』とかいう話も聞きますが、産油国が価格を維持するために生産調整をしている状態じゃないですか。

ハ「今でも新しい油田が見つかっていますし、採掘技術も上がってますね。」


責「まぁ、この大きな地球ですから人類が使う分くらいは枯渇する事はないと思います。枯渇するとしたら、それは地下資源は掘り出しているだけで増やしてはいないからですね。」

ハ「あぁ、資源などの無生物は、米や野菜、家畜などと違って栽培や飼育などで増やすことは出来ませんからね。加工したり組み合わせて形を変えるだけですから、総量としては変わりませんね。核融合で元素から組成すれば話は違うかもしれませんけど。」


責「そして、お金=通貨は生産して増やす事ができるものです。勿論、生産して良いのはその権利がある所、日本なら政府=日銀だけですが。」


(続く)

世界ろくぢ

2020年10月18日
(前回からの続き)


責「実際には、多少現金が増えたくらいでは貯蓄に回したり企業が内部留保にしたりしますから、1000兆円から1500兆円の貨幣や新規国債を発行しないダメでしょうね。」

ハ「いやはや、それに比べたら12兆円くらいはどうという事はないですね。」


責「実際に、政府機関の試算によると、全国民に毎月10万円支給を続けても、インフレ率は2%にも届きません。これは、今の国家予算とは別にやっても、ですから。」

ハ「なるほど。近年の子供や単身女性の貧困問題を考えれば、毎月の給付金支給は是非とも実現して欲しいところですよね。ところで、これと中山みきさんの教えとの関連性はどのようなモノなのでしょう?」


責「はい。この国民全員に毎月十万円の給付金支給する政策は、中山みきさんの教えである『難渋を救い上げる』にほぼ一致すると思われます。全国民の中の『難渋』を救う政策として、これほど簡単で確実な方法は見当たりません。」

ハ「毎月十万円支給されるとなると、子供の貧困問題、独身女性の貧困、あるいは、コロナ禍での派遣切りやアルバイトが出勤日数を減らされたりなど、困っている人達は救われますね。」


責「はい。政府のGO To 政策も、旅行業界や飲食業界などを救うという点では間違っていないのですが、範囲が狭すぎます。それも、結局は事業者視線で支援や応援しようという施策になりますから、それらに関係ないで収入や売上の減った人たちにまでは波及するのに時間もかかります。それでは今現在困っている人には届きません。」

ハ「政府の政策は難渋を救うという点でも限りがある訳ですね。」

責「その点、国民全員に給付金の支給をするなら、業界業種に関係なく救われます。これこそ、一列兄弟全てに難渋を救う事になると思います。」

ハ「でも、国民全員となると、難渋ではない人、今でも収入があってそれほど困っていない人にも支給されることになりますよね。勿論、どんなにお金持ちでも十万円支給されれば嬉しいと思いますけど、もともと高給取りの人にも支給されるのはどうなのでしょう?」


責「お金持ち、富裕層にも支給されても別に良いのではないでしょうか?」

ハ「え?だって、『難渋を救う』のなら困っている人に支給すればいいので、困っていない人にまで支給しなくてもいいと思いますけど?」


責「それも一つの考え方ですね。でも、今余裕のある人も同じく十万円貰えたとして、余裕のない人も貰えるのですから、何か不都合がありますか?」

ハ「え、いや、あの、不都合はありませんけど、何というか、気持ちの問題でしょうか。もう既に余裕があるのだからこれ以上は必要ないだろうと。それが平等というか世界が平ら・・・、そう、『世界ろくぢ』ではないのですか?」


責「あぁ、なるほど。確かに道の先人達がお酒に酔うと『高山削って谷底埋めて、世界ろくぢに踏み均す。』という唄をうたったというお話しは聞いたことがあります。だから、今現在余裕のある人から税金をとって、余裕のない人や困っている人に配ればいいという訳ですね?」

ハ「えぇ、そうです。それが世直し、世界を一列兄弟、平等の世の中にする人助けだと思いますけど。」


責「ハッキリ言いましょう。それは、中山みきさんの教えからはズレています。」

ハ「え?え?え?ズレているって、どの部分がですか?」


(続く)

(続き)


責「ハルアキさん、それは、一人だけ散財心で生活しても無理なのは当然ですよ。だから、中山みきさんは『講をつくれ』と教えてくれたのです。教えを守る人が集まり、その中で散財心を守って生活する事で豊かさが手に入るのです。」

ハ「あ、これは失礼。教えを守り、志を同じくする者が散財心で助け合っていく訳ですね。」


責「世間一般では『蓄財心』で仕事をし、他人と付き合い、生活するのが当たり前の世の中社会です。それが普通のことであり、その価値観で世の中の人は生きている。勿論、中には多少『散財心』を持っていて、気前のいい人や、困っている人を助けたい、ボランティアや寄附をする事に喜びを感じる人もいます。でも、殆どの人は、蓄財心で貯め込むことが豊かであり、貯めた金額を競い合うような生き方をしています。これは、中山みきさんの教えとは真逆の価値観や考え方で世の中は動いている、という事になる訳です。」

ハ「まぁ、確かに現実社会は問題も多いし、多くの人が悩みや苦しみを抱えているし、とても『陽気づくめの世の中』とは言えないとは思います。しかし、人々がその散財心を持てば世の中が変わるという事ですか?ちょっと想像しにくいのですが・・・。」


責「そうですね・・。みかぐらうたに『欲にきりない泥水や』という教えもあります。必要なお金やイザという時のために蓄えるのは悪い事ではないのですけど、人間はお金を貯めるともっともっと増やしたくなる、貯める事や稼ぐ事が目的になってしまう場合が多いのです。それを戒める意味でも泥水と教えられたのでしょうね。」

ハ「まぁ『座って半畳、寝て一畳、天下とっても二合半』という諺もありますから、あまり欲をかいてもダメなのかな。」


責「先ほどハルアキさんが言ったように、お金は商品やサービスと交換してこそ人の役に立ちます。お金は、その交換を先延ばしにしている『予約券』のようなものだと考える事ができます。予約券だけ沢山貯め込んでも意味はないでしょう?」

ハ「なるほど。予約券ですか。何にでも交換できて、枚数を集めると高級品やブランド品まで買える便利な予約券ですね。」


責「はい。沢山持っている人はどんどん使ってくれれば良いと思います。景気が良いというのは、お客さんが沢山来て売上が上がる事、商品が飛ぶように売れて忙しいくらいになることです。それには、皆が買い物をしない事には始まりません。」

ハ「とはいえ、この不況下で収入が上がる見込みもないし、コロナ自粛で尚更旅行にも買い物にも出かけられないのでは、消費が増えるところではないですね。」


責「全くです。政府は定額給付金を十万円支給しましたけど、全然たらないですね。第二弾、第三弾、いや、毎月十万円支給しなければ、このコロナ不況、三十年続いているデフレ不況からは抜け出せませんよ。」

ハ「さすがにそれは・・・、一億人に10万円支給するのに12兆円、12ヶ月だと144兆円必要になります。今の一般会計予算を越えてしまいますね。」


責「はい、新規国債の発行でも政府貨幣の発行でもして出せばいいのです。何にしても国民つまり消費者がお金を使う気にならないと景気は良くならないのですから、皆が安心して使えるように定期的に給付金を支給するべきです。」

ハ「いや、あの、そんなに新規国債を発行したら、将来の返済が大変ではありませんか?」


責「返済の期限が来たら、また借換債を発行すれば済みます。政府は自国通貨、つまり、円を新規に発行することが出来るのですから返済に困ることはありません。」

ハ「はい、家計簿とは違うので政府が破綻する事がないのは分かってますが、あまり沢山の紙幣や硬貨が市場に出回ると、お金の価値が下がる、つまり、極端なインフレになってしまうのではありませんか?」


責「確かに、生産される商品やサービス、財に比較して、お金=紙幣や貨幣が多くなれば、インフレになるでしょうね。では、どの位御金が増えたらどの程度のインフレになると思いますか?」

ハ「え、いや、ちょっとハッキリとは分かりませんが・・・。」


責「夏前に定額給付金として国民一人当たり10万円を配って、総計で12兆円程国民の持つお金が増えたことになりますけど、全くインフレにもなっていないし、為替相場にも影響がありませんでした。」

ハ「そうでしたね。まだまだ配っても大丈夫だと?」


責「はい。ちなみに、日本のGDP=国民総生産は550兆円ですから、年間で550兆円の商品やサービス、財が売り買いされていると考えられます。という事は、単純に考えて、流通するお金が550兆円増えるとお金の割合が倍になるので、価格が2倍になると釣り合いがとれますね。」

ハ「550兆円もですか?」

(続く)

散財心と蓄財心

2020年10月10日
(続き)


責「まずは当たり前の所から考えたいと思うのです。
お金の役割とか機能についてですけど、お金には2つの役割があります。
まず一つは売買の際に交換する機能ですね。
今の世の中、お金を出せば大抵のモノは買えます。

ハ「経済を回すためにモノや商品と交換する役割ですね。お金そのものは食べる事も着る事も出来ませんけど、食べ物や着る物を手に入れるためにはお金が必要です。」


責「はい。何かの商品やサービスと交換できるというのが重要なポイントですが、お金そのものは、ご飯のように食べることも出来ないし、服のように着ることも出来ない、車のように何処かに乗って行くことも出来ないし、という事ですね。」

ハ「確かにお金そのものは何も出来ませんが、でも、お金さえあれば買えないモノは無いという位、欲しいモノが手に入るという便利な道具です。」


責「そう、お金は道具なのです。これは大事なの事なのでまた後でお話ししましょう。
で、もう一つの機能は長期間貯蓄や保存する事が出来るという事です。」

ハ「食べ物は腐ってしまうし、服や電気製品などは使わなくても古くなって傷んでしまう。しかも、もし1億円分の米を貯蓄しておくには倉庫一棟が必要ですけど、現金はそれほど場所をとりません。銀行にでも預けておけば通帳の口座に数字が書き込まれるだけですからね。最近はネットバンクなどで通帳すら無い銀行もありますね。そういう意味での貯蓄というか、保存が出来るという事ですね?」


責「つまりお金は、商品やサービスと交換できて、その商品やサービスが高いか安いかを比較する『物差し』のようなモノですけど、実体のない『数字』のようなモノでしかないのですよね。この部分が昔の金貨や銀貨を使っていた金本位制と違って、今の信用貨幣の特長といえます。」

ハ「なるほど。今、私の財布の中に入っている一万円札は確かに1万円札として存在していますけど、銀行に預けたらこの1万円札は私の手元から消えてしまう。でも、私が持っている1万円は通帳やネット口座に記録されている訳です。これが『信用貨幣』でしたか?」


責「それは銀行の信用という事になります。『信用貨幣』というのはもう少し広い意味になりますが、それはまた必要があったらで。今は、お金の性質や機能と中山みきさんの教えとの関連性、そして、教えの中身を考えて行こうと思います。」

ハ「了解しました。」


一下り目
一つ 正月こえのさづけはやれめずらしい
二に にっこりさづけもろたらやれたのもしや
三に さんざいこころをさだめ
四つ よんなか
五つ りをふく
六つ むしょうにでけまわす
七つ なにかにつくりとるなら
八つ やまとはほうねんや
九つ ここまでついてこい
十ど とりめがさだまりた


責「と、まずは一下り目ですが、これは『経済について』の教えだというお話しはしていたと思います。重要な所は『三に さんざいこころをさだめ』と『七つ なにかにつくりとるなら』です。この二つで経済的陽気づくめの世界建設にとりかかれ、という教えです。」

ハ「はい。以前『さんざい』は三歳心ではなく、散財心だと聞いていますが、散財心で陽気づくめ世界というのが結び付かないのです。」


責「散財といっても、無駄使いとは違います。誰かにご馳走になった時のお礼の言葉で『本日はすっかり散財を掛けてしまって。』なんてことを普通に言います。散財には、誰かのために用意する、心を尽くす、もてなす、という意味が含まれています。」

ハ「なるほど。互いに奢ったり奢られたりする訳ですね?」


責「まぁ、単に奢るとかご馳走するという範囲ではないのですが、形からすればそうなりますね。これに対して、蓄財心は自分一人でしまいこんで蓄えておくという蓄財心とでも言いますか、この心では豊かで陽気づくめの世の中にはならない、という事です。」

ハ「皆が貯蓄して蓄えておくことは悪い事ではないと思いますが。蓄えが増えればいざという時にも困ることはありませんし、普段散財して必要なときに何も残っていないのでは、それこそ困りませんか?」


(続く)

(続き)


責「はい、中山みきさんの言葉は『神の思考』を多くの人にも理解できるように平易な言葉で伝えていますから、時として全く異なる概念や意味を含んでいる事があります。今の我々が考えている価値観や常識とは異なる場合もあります。この事を理解しないと、教えを解釈する上で迷い道や袋小路に迷い込んでしまう事もありますので注意が必要です。」

ハ「なるほど。その中山みきさんの言う『はたらく』というのは、私達が考える『仕事』や『労働』いわゆる『ワーク』や『ジョブ』とは違うという事でしょうか?」


責「すみません、私は外国語が苦手なので、ワークやジョブにはどのような意味が含まれているかはよく分りません(笑)。でも、中山みきさんは『はたらくというのは、はたはたを楽にさせる事やで』と仰っています。つまり、『神の望みであるようきづくめの世の中を作るために体を動かす、頭を使う、心を尽くす事がはたらく』という事です。」

ハ「元の理に結び付いている訳ですね。それで、中山みきさんは先ほどお話のあった『稼ぐ』という事を否定しているのですか?否定しているなら、近年は少なくなったとはいえ、まだまだ教団内に根強い事情働き、外で働く事は悪い事、という風潮が、教祖の教えだという事になりますが?」


責「教祖伝を見ても明らかなように、立教後もみきさん自身が『稼ぐ』ために色んなことをしていますよ。聞くところによると、年切質に出すまでの間の田畑は、こかんさん夫婦が耕作していましたが、その後も近所の娘達に針を教えたり、夜遅くまで糸を紡いだりという描写が出てきます。これは紛れもなく『稼ぐ』という秀司の作った借金の返済と自分の生活を支えるための労働ですね。そういう50年の道すがらをひな形として通れと言っているのですから、否定どころか『稼ぐ』ことを推奨していると言えますね。」

ハ「たしかにそうですね。みかぐらうたにも『たねをまく』とか『作りとる』『ほうねん』という言葉がありますから、稼ぐことを否定してはいない訳ですね?」


責「中山みきさんは、この道の概念を一般の人にも分かり易いように、農業や大工などに例えて話をしていますからね。その部分の種をまくとか作りとるとかは、『はたらく』方に重点を置いたお話しですが、『稼ぐ』ことを否定するような文言は有りません。むしろ、両方の意味を含んだことだと思います。」

ハ「そうですね。『稼ぐ』のも『はたらく』のも大いに結構、という所ですか。」


責「所がですね・・・。その自分や家族の生活のために『稼ぐ』ことと、神の望むようきづくめ世界建設のために『はたらく』ことは、時として目的や内容が真逆になってしまうことがあるのです。」

ハ「真逆ですか?ええと、『稼ぐ』は自分と家族のためだから、世の中の誰も苦しむ者のいない、ようきづくめ世界を作るために『はたらく』とは相容れないという事ですか?」


責「それもありますが、もっと問題なのは『お金の意味』を理解しないままで『稼ぐ』と『はたらく』を一緒にしようとしたり、あるいは、一方だけに重点を置いてしまうと、結局、中山みきさんの教えから逸れて行ってしまうという事です。」

ハ「お金の意味ですか。ちょっと宗教っぽくないですね(笑)。」


責「以前から、みかぐらうたの1下り目は経済の教え、2下り目は政治の教えだとお話ししていましたよ?」

ハ「あぁ、そうでした。」


責「まぁ、お金の意味と言っても、専門用語や難しい話は抜きにして簡単に。中山みきさんの教えは『かなの教え』なのですから。」

ハ「そうですね。経済は私の専門外なのでお手柔らかに(笑)。」


責「私だって専門外です。学校の社会科レベルのお話しですから(笑)。」

ハ「それならなんとか(笑)。」


(続く)

エッセンス

2020年10月02日
(前回からの続き)


責「宗教でいけない訳ではないのですが、既に『天理教』という宗教がありますから誤解や混同されても困ります。中山みきの教え、考えのエッセンスを取り出し、宗教色を取り払って世の中に出した方が広まり易いと思いますし、世の中の人も受け入れやすいのではないか、と考えています。」

ハ「近年では宗教というと、避けられますからねぇ(笑)」


責「宗教というのを辞典的な意味で考えると『神仏などの超自然的存在に対する信仰、教義、儀礼、組織やその活動』という事になります。まぁ、私はオカルト摩訶不思議を排除する解釈をしていますので、中山みきさんの教えに出てくる『かみ・月日・おや』という存在は超自然的存在ではありませんし、怪力乱神の世界でもありません。元々『理が神』ですから、これまでの宗教・超自然的存在という概念ではないのです。」

ハ「これまで責任役員さんのお話しを伺ってきたことで、それは何となく分かります。実際に、中山みきさん自身が、かみから月日、月日からおや、と呼び方を変えたというのは、そういう意味も含まれていたのではないかと考えられますね?」


責「はい。超自然的な存在ではなく、拝み祈祷の対象でもなく、人間銘々の心の中にある価値観、考え方、行動や選択の基準などを入れ替えて欲しい、心得違いは出直してくれという切なる願いが、中山みきさんが遺したみかぐらうたやおふでさきには溢れています。」

ハ「なるほど、その価値観や考え方を取り出すという事ですか。その内容はある程度まとまっているのでしょうか?」


責「内容と言っても、今までお話ししてきた事ですよ。元の理で月日親神が人間を拵えた時の想いである『ようきづくめ世界の実現』です。そして、身体を使った『かんろだいつとめ』でその理を心に修め、十二下りで具体的な考え方や行動の指針にする、という体系付けられた教えです。全ては『ようきづくめの世を作るためにはたらく』という事に繋がります。」

ハ「ようき暮らしのためではなく、ようきづくめのためにはたらく訳ですか。個人の利益や儲けのためではなく、仕事を通して社会や世の中に貢献する事がいずれ『ようきづくめ』に繋がる訳ですね。」


責「そのお話しだと、ちょっとニュアンスが違いますね。中山みきさんの教えは『はたらくというのは、はたはたを楽にさせることやで』ですよ。」

ハ「ですから、銘々の仕事を通して社会に貢献し、皆が社会のためにと心や力を合わせれば、働きやすい職場にもなるでしょうし、世の中も明るくなるのではないでしょうか?」


責「それは違いますね。それだと、今よりも少しはマシな世の中にはなるかもしれませんが、中山みきさんの教えからは遠いです。」

ハ「えぇ?でも、教団では外に働きに行く事すら制限されて、経済的に大変な思いをしている教会関係者が多いではありませんか。特に末端教会では信者も減ってお供えの収入も上がらず、就職したりアルバイトで生計を立てている教会長だって沢山いるでしょう?責任役員さんの父上のように、定年退職まで勤めて年金で生活しながら教会長をしている人も居るでしょうが、皆が皆そうではありませんよね?」


責「それは教団教理の歪んでいる最たるものです。そもそも、中山みきさんの言葉と教え、そして50年のひながたをじっくり考えれば、中山みきさんの言う『はたらく』ことと世間で『稼ぐ』ことの違い位は分かりそうなものなのですけど、それに『神一条』まで結び付けて、信者や末端教会を経済的奴隷のように縛り付けてますから困ったものです。」

ハ「え、はたらくことと稼ぐことの違いですか?」


(続く)

天理教とMLM

2020年09月27日

(前回より)


責「私自身も最近まで勘違いしていたのですが、神殿建築や大正普請など、教団にお金が集まるので行った事だと考えていたのです。でも、古い批判本や新聞記事などを調べると、そういう普請や拡大のために『寄附』の徴収が厳しくなっている、本部から掛け声が大きくなっている、という状態です。」

ハ「大きなお金が動けば、当然に・・・?」


責「はい、接待、袖の下、バックマージン、金額の不正操作など、犯罪紛いの事は十分可能でしょう。何といっても、そういう工事を請け負う業者は限定されているのですから。世間では当たり前の相見積も競争入札もありません。」

ハ「あぁ、あの工務店ですね。」


責「はい、天理教に関連する建築工事は全てそこで請負っています。上場していないという事は、天理教側にとっても色々メリットがあるでしょうね。」

ハ「天理教の普請の歴史とその工務店の成長拡大の歴史には関連性がありそうですね。」


責「どうでしょう?非上場なので決算書や損益計算書などの公開義務はなかったと思いますので、外部から調べるのは困難ですねぇ。」

ハ「・・・・。」



責「とまぁ、今となっては証拠も調査も出来ないようなお話しで申し訳ないのですが、天理教が明治20年代に急拡大した、多くの人が飛びついた理由を想像してみました。」

ハ「責任役員さんは、教祖の説く『一列兄弟』『互い立て合い助け合い』『雄松雌松にへだて無し』などの平等平和主義と精神的向上志向が、まだ封建的社会の名残のあった明治時代に多くの人に受け入れられた、とお話ししていたと思うのですが、そういった教義の部分は関係なかった、という事ですか?」


責「それも関係ないとは言えません。多分にあったとは思いますが、それらの教義の根幹部分は道徳的・良心的なものですから、『財産投げ打ってお道に飛び込み、この教えを世界に広めよう』という起爆剤にはなり難いと考えています。それだったら、医者も見放した難病を救われたとか、無い命を助けて貰った、という出来事の方が起爆剤になるでしょうね。」

ハ「それは確かに。」


責「教会の元一日の話などでも、初代が難病を救われたとか、事情を救ってもらったとかいう話を聞きます。かく言うこの教会の初代も信仰をして『子供が出来ない』という事情が救われたと聞いています。」

ハ「それは以前もお聞きしました。確かにそういう『初代が無い命を救われて入信した』という話はよく聞きますし、各教会に伝わっているようですね。」


責「よく考えてみましょう。今、効果がない『病助けのおさづけ』が、どうして明治のころには効いたのでしょうか?」

ハ「それは、天理教内でも、神様が働かなくなったとか、信仰に対する姿勢の変化とか、医学が発達したから、とか、色々と言う人はいますよね?」


責「もともと、教祖の教えでの『さづけ』は病助けではない、というお話しはしていましたよね?」

ハ「そうでしたね、あくまで教理を理解した人に対する免許状のようなものだと。」


責「はい、その『さづけ』がいつの間にやら、まぁ、神道教会天理教になったところでしょうが、『病助けのおさづけ』に変わってしまった訳です。果たして、それで本当に病気が治ったのでしょうか?」

ハ「あれ、ちょっと待ってください。じゃぁ、天理教関係者の間に伝わっている初代が命を救われたとか、難病が治ったとかいう元一日のお話しは、どういう事なのでしょう?」


責「教祖の教えは、生命発祥の原理を解き明かし、世界助けに邁進する人間として生まれ変わる教えですから、抑圧され差別や封建的価値観に縛られていた人には、多少の心因的な病気や悩み、多少の不具合などは吹き飛んでしまう効果は有ったでしょう。人間の生命や精神に直接働きかける人間の本性に沿った『真実の教え』だからです。だからと言って、医者に見放された難病や重病などがあっという間に完治した、は、おそらく、皆無とは言えませんがあまり無かったのではないでしょうか。」

ハ「初代が神様に助けて頂いたというお話しは大げさに伝わっている、という事ですか?」


責「そこで先ほどの話に戻るようですが、ハルアキさんはMLMとかネットワークビジネスに詳しそうなのでお訊きします。そういうビジネスで誰かにその商品を勧めたり勧誘をする場合、商品の効果や効能を大袈裟に言ったりしませんかね?」

ハ「そりゃぁまぁ、人に勧めるのですから、良い事は多少大袈裟に言ったり、悪い点は隠したりしますよね、普通は。勿論、最近では各種法律や規制が厳しくなって、嘘や過大な表現は禁止されていますが。」


責「それが天理教の布教においても行われていたとしたら、どうでしょうかね?」

ハ「人間心理として十分考えられると思います。」


責「そう、そういう人間心理が働いて天理教は急拡大した。そういうネタが神道教会天理教には大きな目玉として有った訳です。目玉を提供したのは本部ですけど、それが日本中に広まったのは、そういう人間心理が働いたからだと考えられます。」

ハ「なるほど。確かMLMビジネスはアメリカで第二次世界大戦前後に始まったものだと聞いていますが、それより4~50年も前に天理教がそのシステムを取り入れていたというのは驚きです。」


責「まぁ、結果的にですよ。今改めて検証してみて、似通っている、人間心理を巧みに使った形だという訳です。どう思いますか?」

ハ「今のお話しを聞いて思った事ですが、日本においてMLMに関わっている人数は、人口の約1割と言われているのです。日本に本格的なMLMビジネスが輸入、導入されて40年程になりますが、最初に急拡大を続けて10年ほどで人口の1割に浸透したそうです。その後も色々な会社や組織がMLMを使って販売や営業をしてきましたが、日本では、人数的に国民の約1割というのがほぼ変動していないそうです。国によってこの割合は違うようですが、これは国民性の表れとも考えられています。」


責「そうですか、奇しくも、天理教が拡大した時の日本国民の信者の割合と同じ程度ですね。どう判断すればいいかは難しいところですが、面白いデータだと思います。」

ハ「しかし、天理教が拡大した理由が、教祖の本当の教えではなく、その人間心理を巧みに動かした目玉だというのは、これまで責任役員さんが調べてきた、考えてきたことと真逆の事のように思えるのですけど。」


責「まぁ、自分でもこの思考は残念でもあり認めたくはないという気持ちはあります。でも、事実はどうだったのかを追及しないと気が済まない性格ですから(笑)。それに、だからと言って中山みきさんの教えは価値がないとか無意味という訳ではありません。逆に、宗教とは別の形で広める必要のあるモノだという気持ちがより強くなりましたよ。」

ハ「宗教とは別のというと、以前からお話のあった社会規範とか道徳とか哲学のような形ですか?なぜ宗教ではいけないのですか?」


(続く)

2つの目玉

2020年09月25日
(前回より続き)


ハ「2つの『目玉』ですか?」


責「はい。一つは教祖のひな形といいますか、中山みきを看板にしただけでなく、その一生を波乱万丈のドラマに仕立てて、巧みに神道教会派の教えを入れ込んでしまった嘘と虚構のストーリーを作り上げてしまった。教祖伝として編纂されたのは明治31年の『教祖様御伝』が最初だと思いますが、それ以前からオカルト摩訶不思議な教祖像が作られ語られていた訳です。それも、夫と密通した下女から毒殺されかけたのを許すとか、預り子のために自分の子供の命を捧げる慈悲深さとか、神に憑り付かれても家族の事を思って鏡が池に身を投げようとする様子とか、本当に一般受けするような、感動的な教祖像を作り上げてしまった訳です。これらの話は、一派独立のために官庁申請する書類として作られたストーリーだという事が明白になっています。まぁ、子供のことから信心深く、面倒見の良い優しい女性だったという事は問題ないでしょうが、当時の普通の女性ですよ。ほんなんでもない百姓家の女房なのですから。」

ハ「なるほど、宗教的教義はおいとくとしても、そういう誰からも讃えられ尊敬される教祖像を前面に出して教化したという訳ですね。」


責「今でも、みかぐらうたやおふでさきの解釈や研究などをせずに『教祖がこう言った、こんな事をした、私たちも見習いましょう。』みたいな話をする人がいるのではないですかね?もっとも、本部からの発信がその程度ですから仕方がないかもしれませんが。」

ハ「一応、みかぐらうたやおふでさきの解釈や解説をされた本は出版されていたと思いますけど?」


責「多少は出ていますけど、殆どは先ほど言ったオカルト摩訶不思議な教祖像、つまりは、神道教会派の教義や教えの流れを汲む内容ばかりです。御用学者が自己の保身のために書いた作文みたいなものです。もっとも、神道教会派の教えや教義を越えた解釈や新しい解釈、教祖の教えを追求する発表は、異端扱いされて排除や追放される訳ですが。」

ハ「本当に、天理教からの分派独立は多いですからねぇ。」


責「ええと、二つ目の『目玉』はビジネスモデルですね。」

ハ「ビジネスモデル?天理教は宗教ではないのですか?」


責「えぇ、天理教は宗教団体ですけど、天理教の教会制度はネットワークビジネスとかフランチャイズに似ていると、以前お話しをしたことを覚えてますか?不謹慎だと思う人も居るかもしれませんが、元々、宗教とビジネスって共通点が多いのです。特に、天理教の場合はMLM(マルチ=レベル=マーケティング)と似ている点が多い感じですね。」

ハ「なるほど。宗教と事業の違いはありますけど組織やお金のことなど共通点は多いように思えます。」


責「教会制度の上下関係はMLMそのものですね。一度できた組織は、まず上下関係が逆転することもないし、余程のことがなければ所属の異動や変更も出来ません。」

ハ「MLMは人から人へと繋がるビジネス、こちらは教会から教会へと繋がる訳ですね。」


責「教会から教会といっても、やはり人と人との繋がりですよ。その人から信者が増えて布教所から教会へとなるのですから。」

ハ「先に始めて、伝えた方が上に立つ、有利な点もそっくりですね(笑)。」


責「教義や教えを商品、お供えや御礼を売上の代金と考えれば、宗教もMLMもあまり変わりません。」

ハ「そうすると、月次祭や各集会、祭典などもMLMでいうイベントやミーティングなどと考えられますね。」


責「聞くところによると、MLMの大きなイベントでは『成功者』といわれるタイトルホルダーとか収入を揚げた人が舞台の上で話をするそうですが。」

ハ「はい。業界ではセミナーとかラリー等と呼ばれる大きな集まりでは定番の内容ですね。商品の事とか会社の事なども話しは出ますが、多くの聴衆(会員)の興味を惹くのは、どうしたら成功できるか、どうしたら収入を上げられるか、という事でしょう。」


責「なるほど、天理教の感話、講話でも、人助けの体験談とか、信者さんを増やした方法とか、定番の内容ですね。」

ハ「あぁ・・・、信者さんをMLMの会員と置き換えれば、お話の趣旨は似てるかもしれない・・・。」


責「まぁ、宗教をビジネス的に捉えれば、の話ですけど、基本的には宗教で生活をしている人達がいるという事は、『商売』『ビジネス』としての側面を持つのは何処も一緒です。そして、天理教の場合は、末端教会にとってあまりにもMLM的なブラック=ビジネスモデルだと言えます。」

ハ「他の宗教団体とはまた違った部分が多い、という事でしょうか?」


責「あのオウム真理教が、天理教をモデルにして信者組織を作ったり、お金集めをしたというのは有名な話です。そのくらいブラック的な要素が多いです。というのも、他の宗教では、教義や教えの部分でお金に関する事はあまり触れないのが一般的です。でも、天理教の場合は『教祖の道すがら』でお金に関する話が目いっぱい出てきますよね。」

ハ「あぁ、確かに。ええと、教祖伝では貧しい人への施しのためとなっていますが、屋形を取り払って田畑を質に入れて貧に落ち切ったと・・・。」


責「嘘で塗り固めた教祖伝ですけど(笑)。その虚構の道すがらを辿りなさい、真似しなさいというのが教義の根本になっていますから、大問題です。信者さんが直接貧しい人への施しをするならまだしも、教会に出させるのですから困ったものです。」

ハ「そこは何とも・・・。」


責「あぁ、失礼。話が逸れました(笑)。似たようなビジネスモデルはお茶やお花の家元制度のように既にあったと思っています。それを宗教の組織に取り入れたというのが当時としては画期的だったのではないでしょうか。」

ハ「しかし、売上を全部上にあげろというのでは、ビジネスにならないのでは?」


責「下の者達にはそう言っておかないと、と言ったところでしょう。教祖伝などを紐解いても、秀司がお札や魔除け虫よけの『肥のさづけ』などを販売していた経緯がありますが、当初は、本部もそういう販売とか御礼を受取る形から、信者が増えるにしたがって方向転換したのではないかと思えますね。」

ハ「なるほど、そういうビジネスを承知で飛び込んだ、信者になって布教した人も多かったと・・・。」


責「中山家が貧のどん底から富貴になる、教会建物は豪壮になり、土地も広がっていく、これも全て神様のご守護であるというのを眼に見せて信者を増やしていたのではないかと考えられます。」

ハ「あぁ、MLMでも、タイトルが上がって稼いでいる人は、ポルシェを買ったとか、高級マンションに住んでいるとか、月の半分は海外に遊びに行ってるなどと『贅沢な暮らしをしている』というのがウリになりますから、本部がそれをやって見せたのかもしれませんね。」


(続く)



世間ではコロナ騒動が連日TVを賑わし、毎日のように新規感染者の人数が発表されている頃、久しぶりに責任役員さんから呼び出しを受け、つとめ場所を訪ねた。



責任役員「ハルアキさん、いらっしゃい。久しぶりですね。」

ハルアキ「ご無沙汰してすみません。責任役員さんはお元気でしたか?」

責「はい、おかげさまで。ハルアキさんはいかがですか?コロナで健康や仕事に問題はありませんか?」

ハ「えぇ、健康には問題ありませんが、仕事の方は在宅ワークが増えました。何処もかしこも自粛で人に会うことが出来ませんから。」

責「そうですね、こちらでも人に会う、人が集まることが制限されていますから、信者さんの集会や月次祭も自粛状態です。」

ハ「それはそれは・・・。教会も寂しくなりますね。」

責「今回のコロナは、若者や丈夫な人が感染してもそれほど問題は無いようですが、基礎疾患で免疫力の落ちている人やお年寄りが感染すると危ないらしいので、自粛せざるを得ませんね・・・。」

ハ「なるほど、責任役員さんも大変ですね。」

責「いや、おかげで古い書物を読んだり、調べ物をしたり、ネットで情報収集する時間がとれて、充実していますよ(笑)。」

ハ「なるほど。悪い事ばかりではないという事ですね?」




責「それで、かねてからハルアキさんが興味を持っていた、どうして教祖が亡くなってから短期間の間に天理教が全国に広がり、大正から昭和初期に掛けては700万人とも800万人とも言われる、実に日本人の1割もの人たちが信者になっていたという点について考えていたのですよ。今日は、その事に付いてハルアキさんに聞いて貰おうと思っていたのですよ。」

ハ「本当ですか?」


責「まずはこれまでの話を復習してみましょうか。」

ハ「はい。今までのお話しですと、教祖が亡くなる前に本席から『扉を開いて』というおさしづがあり、教祖が亡くなる(扉を開く)事で神様が教祖の身体から飛び出して全国に働きかけて広がったと。」


責「そうでしたね。」

ハ「でも、その説明だと、普段、オカルト摩訶不思議を排して教義を追及する責任役員さんのスタイルに合いませんよね?元々、教祖の身体に神様=人間を超越した力を持つ存在が入り込んだ、なんて認めていなかったのですから。」


責「はい、自分でも説明がつかなかった部分です。あくまで教祖の思考のたまものである教えですから、教祖が亡くなったからといって不可思議な力を発揮する訳ではありません。もし、何らかの力が働くとすれば、教祖が亡くなった事によって残った人たちが発奮して頑張った、という事ですね。」

ハ「なるほど、殉教者や革命の戦死者が英雄としてまつられ、残された人たちが発奮して大きくなるというのはよくある話ですね。」


責「はい。でも、これも以前お話しした通り、教祖の教えは明治政府と真っ向から敵対するような教えですから教団としては教祖の教え通りには説けないという事情があった。」

ハ「応法の理、という訳ですね?」


責「そうです。そこで政府の公認を得るために『神道天理教会』として東京に天理教本部が設立され、本席の命令でお屋敷に移転した訳です。」

ハ「そこでは、教祖の教えにはない『たすけたまえ天理王命』という座りつとめが教えられていたとか・・・?」


責「でも今の教団からは、教祖の教えではない、という話は出てきません。」

ハ「そりゃぁ、まぁ、そうでしょうね・・・。」


責「教祖が亡くなった段階で、教祖の教えを正しく伝えようとする派閥と神道天理教会として力を付けようとする派閥があって、それぞれで教えや伝える内容が違っていたと考えていたのですが・・・。」

ハ「当然、違いますよね?」


責「そして、広く伝わったのは教祖派の方だと私自身考えていました。」

ハ「まぁ、普通に考えれば、神道派の教えは政府の後押しがあったとはいえ、内容が内容ですから、早々広まるとは考えにくいですね。教祖派の人達が布教して、その教会や信者さん達を神道派に乗っ取られた、と考えるのが妥当だと思いますけど。」


責「そう考えるのが自然なのですけど、色々調べていくとそうでもなさそうなのです。」

ハ「どういうことでしょう?」


責「まず1点は、いわゆる不良教師事件です。」

ハ「ええと、教祖派の布教師、教師達が追放された事件ですね。確か、明治三十・・・。」


責「明治37年です。教祖派の泉田藤吉を始め、1400名の布教師が放逐されています。これは、教祖派にとっては大打撃で、主な教祖派が一掃されたと言えるでしょう。」

ハ「なるほど、一度に1400人もの布教師が放逐されては、ただでさえ少ない教祖派は壊滅でしょう。」


責「ええ、でも、その後も天理教の強勢は伸びているのですよ。そして、大正から昭和初期には7~800万人にもなったと伝えられています。」

ハ「なるほど。神道派の教えでも広がっていた、という事ですね?
そうすると・・・天理教の広がりは教祖の教えが主な理由ではない、と?」


責「私としては認めたくない事ですけどね・・・。」

ハ「それはそうでしょうが。」



責「さらに言えば、天理教に対する世間からの評価です。」

ハ「世間からの評価?」


責「はい。以前お話しした事があったと思いますが、天理教は『屋敷を払ろうて 助けたまえ てんてこ舞の命』などと揶揄されていた、という事です。」

ハ「はい、聞きました。天理教に入ると財産を残らずお供えさせられるとか、身代を潰すとか、まぁ、神様がお金を使う訳はありませんから、本部や大教会が贅沢三昧していた、というお話しでしたね?」


責「教祖の教えであれば、そんな搾取やお供えで身代を潰すような強要はしないはずなのです。先人たちは『この道は骨折り損の損のしっ放し』という言葉を残すくらい、見返りや要求をせず、ただ人助けに邁進していたはずです。こういう教祖の教えではない天理教の搾取体制やお話しがいつ位から広まったのか、という事です。」

ハ「なるほど、先ほどの不良教師事件を考えると、明治37年前後、という事になるでしょうか?」


責「はい。その事に関して、明治後半から昭和初期に掛けて、天理教の問題点や批判が新聞記事や本として出版されていたのはご存知ですよね?」

ハ「えぇ、改めて読んだ訳では有りませんが。」


責「まぁ、奈良県の寒村で産声を上げた宗教が、10~20年の間に当時日本最大の宗教団体に成長した訳ですから、当然、批判や反対は有ったでしょうし、中身を研究調査する学者や関係者も多数いたでしょう」

ハ「そうですね、出る杭は打たれる、とも言いますし。」


責「で、社会学掲示板に投稿された内容なのですが、明治35年発行の『天理教の害毒』という本に『金銭を妄りに寄付せしむる社会上の害毒』という項目と内容が記載されているのです。」

ハ「明治35年発行という事は、不良教師事件よりも前ですね。」


責「明治35年出版の本にこのように書かれているという事は、それより以前からそういう、金銭を妄りに寄附せしむる事が行われていたという事です。おそらく、2~3年前どころか、もっと前からでしょう。」

ハ「そうでしょうね。そもそも、教祖の教えでお供えだの金銭的要求をされない信者さんや教会が、仮に神道派の人達に乗っ取られたからといって、すぐさまお話しや教えの中身がガラッと変わったら、寄付も信仰もしなくなりますよね?」


責「もう一つ、明治29年に出された内務省秘密訓令はご存じですね?」
ハ「たしか、天理教が戦争に協力しないという事で内務省から天理教の取締りを強化する訓令が出された、という事でしたね?」


責「その内務省秘密訓令が天理教を取り締る理由として『妄りに寄附をなさしむる』というのが挙げられているのです。」

ハ「明治29年の時点でそれが挙げられているという事は、すでに『妄りに寄附をさせていた』という事になりますね。遡れば、明治20年代の中ごろか・・・。」


責「いつから寄付をさせるような布教が始まったかという事を考えると、もう、初めの頃からそうだったのではないかとしか考えられませんね。」

ハ「初め頃からですか。」


責「こういった資料から推察すると、ですよ。本席を中心とする教祖派の人達は教えを広めたかった、教祖の教えを伝えたかった。でも、教祖の教えでは認可も受けていませんし、組織として弱い。つとめ場所は神道派の神様が祀られ、かんろ台を建てようとした場所も中山家の敷地です。お屋敷に来る人たちに教祖の教えてくれた神様の話をしようとも出来なかった。そこで、神道派とは席を分けてお話をするようになった訳です。」

ハ「別席制度の始まりですね?」


責「とはいえ、席を分けて神様のお話しをしても、教祖の看板を背負って政府から認められた教会として営業しているのは、神道派の初代真柱真之亮です。体制や組織的な面では、これに従わざるを得ません。本席を始め教祖派の人達は忸怩たる思いで過ごされていたと思いますけど。」

ハ「いわゆる、応法の理というやつではないのですか?」

責「普通に応法の理と聞くと、教祖の教えを守り伝えたいけど政府の取締りがあるので已む無く教えを歪めて伝えていた、と解釈されています。この解釈は間違いではないのですけど、ポイントは、応法の理として已む無くというのは教祖派の人達だけの話で、神道教会派は最初から政府の方針や組織体制、お供えを揚げさせる制度や仕組みを取り入れ、教祖の教えに逆らいながら自分たちの立場と利益を確保する方便として『応法の理』という言葉を使っていたと考えられることです。全国に広がる信者組織や教会には、本部の教祖派の人達だけでは目が届きませんので、どのようなお話しや教えがされているかは本席にも把握できなかったでしょう。」

ハ「信者さんとしては、せっかく席を分けて教祖の教える神様のお話しを聞いても、その後に組み込まれる組織や教会が全く教祖の教えと相容れない神道教会のお話しですから、不思議に感じたり疑問に思ったりした人も居たのではありませんか?」


責「居たかもしれませんが、そういう疑問から目を逸らさせる『目玉』となるモノがあったのです。私が思うには2つの大きな『目玉』があります。」

ハ「2つの目玉ですか?」

(続く)

ハ「おふでさきに書いていないモノが教理として平然と語られている事にも問題があるように感じます。」

責「五つの埃が八つの埃になって、その内容や解釈も歪んでしまった。こういった事も『神の心を受け入れられない考えや価値観』の圧力というか、対立の結果でしょう。なにしろ、『神の心を受け入れられない』という事は、『神の心に真っ向から反対する、対極にある価値観』ですから。こういった事はキリスト教などにも語られている事で、聖書の中にもイエスが『眼の中の丸太』と言っています。」


ハ「眼の中の丸太ですか。どういう事でしょう?」

責「私は日本語訳の聖書しか読んでいませんし、文章そのものは忘れてしまいましたので間違っているかもしれませんが、
たしか、イエスが神の心を受け取ることが出来ない人たち、聖書の中では律法学者とかファリサイ派の人達と呼んでいますが、その人達に向かって

『あなた方は民衆に向かって、眼の中のおがくずを取りなさいと説法をするが、何故あなた方自身の眼の中の丸太を取り除こうとはしないのか?』

と批判する場面があります。
この、おが屑にしても丸太にしても、神の心と違う、神の言葉を見ることが出来ない、神の教えを受け取れない人達が持つ考え方や価値観です。」


ハ「おが屑に対して丸太とは、ずいぶん頑固な考えというか、なんというか。ちなみに、イエスの言う丸太とは、教祖の言う埃と違いがあるのでしょうか?」

責「イエスは、丸太が何であるかを具体的には言っていません。

あくまでも例えとしておがくず、丸太と言っているだけなので、どのような考えや価値観の事を指すのかは聖書を読んだ人が自分で判断するしかありません。

その点では、中山みきさんは

『おしい、ほしい、かわいい、よく、こうまん』

と具体的に言っています。

イエスは『神の国』という表現で神の心が実現された社会や世の中の事を言っていますが、中山みきさんは元の理から始まる『かんろだいつとめの世界』で神の心が実現された社会や世の中の事を教えています。

かんろだいつとめの意味や内容については以前もお話ししましたので省きますけど。」


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ハ「あれ、ちょっと待ってください。キリスト教では人間社会とは別の、死後の世界として善人や教えを受け入れて悔い改めた人達が行ける世界として、神の国とか天国の事を教えていますよね?」

責「そういう解釈が一般的だと思うのですけど、そこも一歩踏み込んで考える必要があるでしょう。仮に、キリスト教が死後の世界としての神の国や天国の存在を主張しているだけなら、この世、人間が生きている間にするべきことは、死後に天国に行きたいから教えを守り、地獄に行くのが嫌なら悪い事をしてはいけない、という教えになります。」


ハ「そうですね。そういう宗教ではないのですか?」

責「じゃぁ、天国も地獄も死後の世界なんて信じない、という人達に対してはどういう説明をしますか?」


ハ「ええと、そういう人達は神様の存在そのものを信じないのだから、説明出来ませんし、説明する必要もないでしょう。」

責「そうなりますよね。でも、イエスの言った神の国、天国を、今この世で生きている人達の社会で実現するために『悔い改めなさい』と説いていたのだとしたら、どうでしょう?」


ハ「あれ?それは、本当の話ですか?仮定の話ですか?だとしたら、と言うのですから仮定の話ですよね?」

責「はい、仮定の話です。ハルアキさんはイエスの教えが、死後の世界に天国に行くか地獄に行くかの違いがあるから、生きている間に悔い改め神の言葉を受け入れて生活しなさい、という教えだと理解している訳でしょう?」


ハ「そうではないのですか?少なくともキリスト教ってそういう教えだと思っていましたが。」

責「生きている間に悔い改めれば天国に行けるという教えなら、極端な話、死ぬ直前に悔い改め洗礼を受ければ良いのだから、それまでは好き勝手な生き方をしよう、という解釈も成り立ちませんか?」


ハ「まぁ、そう言われればそうなのかもしれませんが、実際のキリスト教ではどう解釈しているのでしょう?」

責「知り合いのキリスト教関係者に質問した限りでは、そのような都合の良い考え自体が神の受取る事ではない、と言ってましたけどね(笑)。」


ハ「まぁ、そんな考えでは、死ぬ間際に本当に悔い改めたかどうかも分からないし、それで天国に行けるとなると早くから悔い改めた人に失礼というか、不公平のように思えますが。」

責「まぁ、普通に考えたらそうなりますよね(笑)。
でも、神の世界、神の思し召し、神の物差しで見たら、そうとばかりも言えません。
というのは、イエスの言葉でも『罪深い者ほど赦される』という趣旨の内容が沢山あります。お金持ちが神の国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しいとか、身を売って生活の糧を得ていた娼婦などが真っ先に救われる、などという話もあります。
我々の人間世界で当たり前とか常識だと考えられている尺度や価値観と、神の世界の価値観は違う訳です。」


ハ「我々人間社会の常識や当たり前などの考え方では、世の中はダメだと?」

責「当然です。現実世の中は、仏教では『苦の世界』ですから。実際、絶えず世界中で戦争や紛争は起こっています。貧富の差は広がる一方だし、貧しい国や子供たちは今日食べるパンもない、なんて事がある訳です。」


ハ「その点、日本は平和で豊かですよね。本当に良い国だと思います。」

責「何を言ってるんですか。戦争や紛争はないものの、日本だって貧富の差はあるし、差別や凶悪犯罪は無くなりません。特に、ここ20年以上も続くデフレで国民全体が貧しくなっています。子供の貧困問題、国民全体の実質所得の減少、災害の度に指摘されるインフラの未整備、お年寄りの交通事故やブラック企業の問題、毎年の人口当たりの自殺者数は世界でも類を見ないほど多い、などなど、挙げたらキリがありませんよ。」


ハ「え、あの、日本の経済や政治、社会の様々な問題があるのは確かですけど、それとこれとは。」

責「ハルアキさん。そういう現実の問題の殆どは、多くの人が持っている『神の心を受け取ることのできない考え方や価値観』から起こっている事です。

社会全体の『心どおりの守護』の姿です。

東日本大震災で亡くなられた方、行方不明者は18,000人を超えるそうですが、日本国内で毎年の自殺者は30,000人を超えます。
今でも避難所生活をされている方が大勢いるし、建物や建築物への被害は地震の方が圧倒的に多いでしょうが、人命だけでいうなら毎年の自殺者の方が多いのです。
インフラや建物はお金を掛ければ修復する事は出来るでしょうが、亡くなられた方の命は戻りません。」


ハ「政治や経済と宗教は別だと思うのですけど。」

責「キリスト教の『神の国』や中山みきさんの『かんろだいの世界』に政治や経済は無いと思いますか?

キリスト教の『天国』や『神の国』は死後の世界の事なので、その世界の人間たちは飲み食いも着る物も必要とせず、生産も消費もしないから現実のような経済とは無縁の世界だと言う人がいるかもしれません。

あるいは、食べ物も人が望んだり考えただけで何処かから湧き出て来るとか言いそうですけど。

でも、現実社会に生きている私達が、現実社会の政治や経済を全て棄てて生活は出来ません。

勿論『神の国』や『かんろだいの世界』と違うからと言って全てを否定する訳でもありませんし、今すぐ全てを変えろと言っている訳でもありません。
しかし、宗教や信仰が今現在私たちの生きている世の中を『神の国』や『かんろだいの世界』に導くものでなかったら、信じる事も考える事すら無意味になってしまいます。

みかぐらうた12下りの1下り目が経済の教え、2下り目が政治の教えだという事は以前にもお話ししましたよ。」


ハ「あぁ、そうでした。」

責「『神の国』と『かんろだいの世界』が同じものだと言うつもりはありませんが、どちらも神の理で運営されている状態です。

理想と言われればそれまでですが、そこにこそ人間社会、人間個々人が目指すべき生き方や社会があるのではないでしょうか?

そういう社会に少しでも近づく為に働くのが『ようぼく』たる役割です。今の社会の中で産み出される難渋を助けるのも大事な人助けですけど、それで終わりではないと言えます。」




責「という事を前提にして考えた場合、おさしずに『自由自在』という言葉があります。あくまで私個人の解釈ですけど、この『自由自在が陽気ぐらしの心使いの始まり』だと思います。」

ハ「自由自在、自分の思ったように、好きなように、ですか?」


責「勿論、個人主義が認められた現代の『自由』とはちょっと意味合いが違う点に気を付ける必要があります。現在の自由は、個人の勝手、やりたい放題、他人に迷惑が掛からなければいい、という感じになっていますけど、そういう方向の『自由』ではない事はお分かりかと思います。教祖のお話しでは『米』、本席のおさしずでは『宝』が出てきますが、そういうモノに執着しない、囚われない、拘らない、という『自由』でしょうか。」

ハ「食べ物や宝よりも大事なモノ、健康や家族、命という事でしょうか?」


責「私も最初はそう考えたのですけど、教祖のひながたを考えると、自分の命すら拘っていない感じがします。

『劇画 中山みき物語』を読んで頂いてお分かりと思いますけど、教祖は89歳という高齢で『最後の獄舎』の拷問を受け、実際に床から離れられないままで一年後に亡くなっています。

自分の命が大切ならば、警察に捕らわれるような教えを引っ込めて、秀司や真之亮がやったような認可を受けたり、教会の公認運動や、表向きだけでも政府のやり方に逆らわないようにする方法はあった訳です。

実際に、以前見て頂いた『明治教典』は、最初に国家が打ち出した『三条の教憲』で、後の十章のうち、最初は『敬神の章』として八百万の神と十柱の神を、教祖の教えていない、天皇家の祖先の名前を連ねて『総称して天理大神』と呼んで『奉祀す』となっていますから。⁺

でも、教祖はそうはしなかった。

そうすることで自分の命はなくなる事が分かっていながら、正しい教えを説き続けた訳です。

『親の命25年縮めても正しい事を説き続けた自由自在の心』の使い方です。

もっとも、私などにはとても真似の出来ない『自由自在』ですが。」


ハ「命にも拘らない『自由自在』ですか。何ものにも拘りや執着を持たないというと、仏教の『無』に通じる所があるように思えますね。全てを棄てて仏の道を歩む、解脱する、最後は、即身仏が思い浮かびますけど。」

責「教祖が子供の頃から仏教の信仰をしていた事は記録にも残っています。とはいえ、即身仏のような道ではなく、郷の仙人の道を歩み、その教えを伝えています。その理由として、親神が人間の『ようきゆさんがみたいゆえから』だと仰っています。世の中の生活を投げ捨てて、一人で解脱や悟りの道を追求するのは違う、という事でしょう。」


ハ「教組のひながたですか?」

責「はい。
『自由自在』は漢字の意味をそのまま考えれば『みずからに由って、みずからが在る』となります。
漢文読みなら『自分が在るのは自分に由る』かな?
仏教用語にも『じゅうようじざい』という読み方で似たような意味の言葉がありますね。」


ハ「何物にも拘らず、執着せず、自分の心の有り様で自らの人生が決まる、という事ですか。」

責「教えの中にも、心通りの守護とありますし、なってくるのが天の理ですから、今の状態や環境は自分の心で作ったものだという事です。


ハ「それって、因縁とか輪廻転生のお話しに通じませんか?」

責「そうですね。単純に考えれば過去の自分の言動が今の自分を作っている、という当たり前の話ですが、時間軸を生まれ変わりの前生まで伸ばすと、前生の行いの良し悪しで、生まれて来た今世の環境が変わるという、輪廻転生の意味になってしまいます。
だけど、逆に時間軸を短くして今現在で考えれば、『自分で決めた瞬間に自分は変わることが出来る』となりますよね?
教えの中身を知らなかったのなら仕方がない事ですが、知った以上は、最大限に活かしましょう。」


ハ「何物にも執着しない心使いと言われても、何をしたらいいのかさっぱり分かりませんが。」

責「物事には順番と段階がありますから(笑)。

金や物、家族にさえ拘らない、執着しない、と言っても、決して粗略に扱えとか、無駄使いしろという訳ではありませんし、全く必要ないとか要らないという訳ではありません。

このあたりを履き違えると、助かりたかったら全財産をお供えしなさいとか、病気を治して欲しかったら100万円出せ、なんて歪んだ解釈になってしまいます。

昔の話ですが、ある大教会の某大教会長が、事故で下半身が麻痺してしまった信者さんに『助かりたかったら100万円お供えしなさい』と言ったそうです。ところが、その信者さんは50万円しかお供えしなかった。大教会長は渋い顔をしながらも50万円のお供えを受け取って、一応、おさづけをしたそうです。

その後、その信者さんは治療やリハビリを頑張ったそうですけど、残念ながら片足しか回復しなかった。それを見た大教会長は、皆の前で『俺が100万お供えしろと言ったのに50万しか出さなかったから、片足しかご守護を貰えなかったんだ』と言い放ったそうです。

本当に酷い話ですが、いえ、この信者さんがお金に執着していたから良くないという訳ではありません。

執着しているのは大教会長の方です。

こんな教理解釈をするような大教会長の下では、信者さんも部下教会も、ようきゆさんの心使いなんて、とても出来たモノではないでしょうね。」


ハ「それは何とも、酷い話ですが・・・。」

責「そういうお金や物に縛られた考え方や価値観では、どれ程良い話や教えを聞いても、結局、その縛られているお金や物に引きづられて解釈や判断が歪みます。
かと言って、そういうモノから全て解放された『自由自在の心使い』をしなさいと言われても、その境地に至るまでにはそれこそ『即身仏』にでもなるしかない。

私に出来る事は、一つ一つの考えや判断、言葉や行動が『自由自在であるか?』と『神の理に添っているか?』のチェックをする、常に自分の心をチェックする、自分の心の中に別の心を持つ事を忘れない、という事くらいです。」


ハ「何か、常に反省している、という感じですか?」

責「まぁ、ひと言で現せばそうなりますね。」


ハ「でも、信仰心のある人なら、常に自分の心を見直す、反省するというのは、結構当たり前にやっている事ではないでしょうか?」

責「そうですね。天理教に限らず、宗教は自分の内面、心の在りようや考え方、物事の受け取り方や自分の言動を見直す、という教えや教義を基に自分の内面に向かって行くものだと理解している人は、当たり前にやっている事でしょうね。
天理教関係者でも、熱心な信者さんほどそういう傾向が強いと思います。
この、神様の教えや教義を使って、自分の内面に向かうか、外面に向かうかという姿勢が、同じ宗教を信じるという事でも、その人の姿勢や解釈で大きく違ってくると思いますけど。

まぁ、私個人としては、これもバランスと調和が大事だと思います。

内ばかりに向かっていても独りよがりの信仰になってしまうし、外ばかりに向かっていても自分の事がないがしろになってしまう。

内と外のバランスを取ることが『陽気』ですから。

ま、普通は『反省』というと、何か間違ったり問題が起きた時に、叱られたり怒られて自分の行動を見直して『もう二度としません』なんて反省文を書かされたりしますよね。
私も子供の頃はいたずら好きだったので、学校で先生に叱られ居残りさせられて、よく書かされましたよ(笑)。
大人になってからだって、仕事や人間関係、日常生活でも、問題やトラブルがあれば、その原因が何だったかを考え、どうすれば良かったかを心に刻み込み、二度と同じ間違いやトラブルを起こさないように気を付ける、注意するのは当然です。」


ハ「そうですね。子供の頃は学校でよく二人で叱られましたよね?大抵のイタズラは、責任役員さんのアイディアで、私はそれを実行するだけだったと思いますけど。」

責「あれ、そうでしたか?ハルアキさんも一緒に楽しんでいたと思ってましたけど。それに、子供のやる些細ないたずらにあれほど怒らなくても良さそうに思いますけどね。」


ハ「嵐の日に学校の窓の桟に洗剤を注入して廊下中を泡だらけにしたり、気にくわない先生の授業の時に大きなカエルを教卓に乗せて、箱を被せて置いておきましたよね?先生が箱を持ち上げた途端に教室中がパニックになりましたけど、これも『些細なイタズラ』ですか?」

責「どちらも後片付けが大変でしたね。どれも良い思い出です(笑)。子供なら誰だってその程度のイタズラはするでしょうし、学校生活のイベントのようなモノですよ。」


ハ「そりゃぁ、イタズラは楽しかったけど、叱られるのは私の方が多かったのも事実です。」

責「実行犯ですから仕方ありません(笑)。でも私も逃げずに、ハルアキさんを庇って一緒に怒られたでしょう(笑)」


ハ「まぁ、それはそうですが、最後は責任役員さんとは遊んじゃいけない、なんて親に言われたことも有りましたよ。」

責「まぁ、大人達の無理解とお仕着せの教育というのは、困ったモノです(笑)。」



ハ「あれ、何の話でしたっけ?」

責「ハルアキさんが子供の頃の話をし始めたからですよ。まぁ普通『反省』というと、間違ったり問題が起きた時の原因を反省し、どうすれば良かったのかを考えることになります。それが次に活きてくる訳ですから、失敗や間違いは大いに結構な事なんです。エジソンも『天才は1%のヒラメキと99%の汗である』と言っていますから。」


ハ「ちょっと待ってください。悪戯で叱られて反省文を書くのと、エジソンの言葉は同じ事を言っているとは思えませんけど?」

責「おや、どう違うと思いますか?」


ハ「ええと、子供のイタズラや大人の間違いなどは、ルールや決まりを破ったり外れて起きたトラブルや事故などに繋がる訳ですから、周囲に迷惑を掛けますし、二度とその様な事を起こして貰っては困りますので、厳しく反省する必要があるでしょう。でも、エジソンの話は発明の心構えと言うか、偉業をなしとげた人には見えない失敗や隠れた努力の積み重ねがあるという教育的格言ですよね?並べてお話をされても納得しにくいです。」

責「そうです。単なる反省というと、嫌な事、叱られることに繋がりますけど、神様との関係の中で反省する事は、エジソンが多くの発明品を生み出したような、前向きで楽しみな反省なのです。それで、自分も、周囲も、世の中も明るく元気になり『皆が陽気に暮らせる社会』に近づくのですから。」


ハ「ルールを破っていたずらしたり罪を犯したりする事の反省とは違う感じですけど・・・。」

責「そう、その『ルールや決まり』という奴です。
憲法だの法律となれば国民全員が守らなければならないモノでしょうが、それでも常識とか当たり前だと言われているルールや決まりだって、おかしなモノは沢山ありますよね。

そもそも、そのルールや決まりは、何のために、誰のために、誰が決めて、皆が守っているのか、という事ですよ。

常識とか普通は、などと言って納得させようとする人が多いですけど、言っている本人、守らせようとしている本人だって根本を考えていない場合が多いのです。」


ハ「ええと、例えば、責任役員さんが被包括関係を廃止しようとしたとき、大教会から派遣されてきたS教会長のように『こういう規則でやって来たのだから、変えろと言う方がおかしい』というような事ですか?」

https://ameblo.jp/kyoukai-sitei/entry-12303420280.html?frm=theme

責「そうですね。この教会規則が教祖の教えに反している、沿っていないという事が分かっていながら、一番大事な事を考えることもせずに、『離脱する教会が悪い、間違っている』と言うだけでしたから。」


ハ「それが『自由自在』ではないという事でしょうか?」

責「まぁ、S教会長に教祖の教えがどうとか、教義解釈がなどと幾ら話しても、自分が世話をしている、自分の部下や子分だと思っていた末端教会の子弟から言われたのでは、一切受け付けないという事は分かっていましたけどね。
心が組織や大教会に囚われているのに気付かず、考え方や価値観が歪んでしまっている典型だと言えます。あの時は、S教会長との話は時間の無駄だと判断して早々に話題をずらしましたけど(笑)。

これと同じで、いくら教祖の教えや教義を勉強しようとしても、その人の心が組織やお金、何かにに囚われていたら、全く理解できないし考えることも出来ないと言えます。」


ハ「なるほど、確かに、何かに囚われていたら、判断や結論は歪みますね。」

責「そういう、自分の中にある考え、価値観を取り除かないと、どれほど良い教えや真実を眼にした所で歪む可能性があるのです。かと言って、誰でもそうなのですが、自分の考えや価値観で自分の判断基準が歪んでいるという事に気が付かないのが普通なのです。これを中山みきさんは、『くせしょうぶん』と言って、『とりなされや』と教えた訳ですから。」


ハ「それって、その人の問題になる性格とか、ついついやってしまう癖の事ではないのですか?」

責「広い意味ではそういう個人的な癖や性格も含まれますけど、おそらく、中山みきさんが言いたかったのは『神の心を受け入れられない個人の考えや価値観』の事でしょうね。

人間はロボットではないのだから、ハルアキさんの言う癖や性格の違いなんて多少あっても問題は無いでしょう。

まぁ、酒乱とか女癖が悪いとか言うなら問題でしょうが、性格なんて言葉の言い方で良くも悪くもなりますから(笑)。

でも、神の心を受取ることの出来ない考えや価値観を持っていたら、心の鏡が曇っていたら、真実や物事を見る眼が歪んでいたら、神は居ないも同然ではないでしょうか。

その最たるモノが『埃』だという事です。」


ハ「八つの埃、ですか?」

責「以前もお話ししましたけど、おふでさきに書かれているのは、おしい、ほしい、かわいい、よくとこうまんの5つです。にくい、うらみ、はらだち、は入っていません。」


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責「そう改まって言われても、今までも言って来た事なのですから。まずは、『元の理』で月日親神が人間を創造したときの目的と言うか、気持ちですが・・・。」


ハ「泥海の地上を見て味気なく思い、人間が陽気にくらす様子を見て共に楽しみたいと思った、という部分ですか?」

責「はい。『陽気ぐらしの天理教』とも言われる位、教え・教義と切っても切れない関係にある『陽気ぐらし』ですが、ハルアキさん、どういう状態が『陽気ぐらし』だと思いますか?」


ハ「陽気ぐらしですか?そりゃあまあ、まずは身体の健康でしょうか。で、生活や必要な事に困らない位のお金があって、仕事はしてても家族と過ごせる休日や時間があって、家族の笑顔と気の合う友人たちがいて、あとは・・・。」

責「結構、色々と必要なモノがありますね?(笑)」


ハ「そりゃぁ、いつも明るく楽しい生活を送るとなったら、色々と必要なモノや家族友人は欠かせません。」

責「以前、ハルアキさんには陰陽二元論の陰と陽、陰気と陽気についてお話しした事があったと思いますけど?」


ハ「あぁ、天と地、明暗、温かい寒い等の、対立する陰と陽の分類と、その対立する二つのバランスが取れている状態が『陽気』で、バランスが崩れている状態が『陰気』だと。」

責「はい。
そして、バランスがとれている、全体が調和している『陽気』は、プラスの方向、成長や発展、新たな命が生みだされる様子です。
その逆の『陰気』は、衰退、消滅、死などに至る様子です。

先程の食物連鎖の話しにしても、『陽気』なら、植物は太陽の光を一杯浴びて成長し、虫たちが大いに食べて沢山卵を産む。当然、小鳥や捕食動物達もお腹一杯で子育てに忙しいくらいだし、それらを捕まえる鷲や鷹も安心して卵が産めます。
火山の噴火や山火事などで植物が減ってしまうと、虫も食べるモノが無くなってあっという間に飢え死にです。昆虫や虫が減れば、小鳥やカマキリたちもエサが少なくなって安心して卵を産むことが出来ないでしょう。最後は、鷹や鷲だってエサが食べられなければ死んでしまいます。
こういう状態が『陰気』ですね。」


ハ「まぁ、陰陽二元論は理解できますけど、どうして『五体満足健康でお金と時間があって、家族や友人と仲良く暮らす』ではダメなのですか?」

責「だって、そんな、物だのお金だの、遊ぶ暇だの、仲の良い家族や友人だのと、即物的過ぎますよ。それが教祖の教えてくれた事の答えだとしたら、ちょっと宗教っぽくないと思いませんか?(笑)」


ハ「でも、責任役員さんは以前から『中山みきさんの教えは宗教という範疇ではない』と言っていたじゃないですか?」

責「それはそうです(笑)。
まぁ、ダメな理由としては『教祖の50年のひながた』でしょうか。

立教以来、教祖の置かれた状況は、
夫を失い、
秀司の失敗で貧乏になり、
近所や村方からは笑われ、
子供にも先立たれ、
他宗教や医者からの妨害はまだしも、
世間では隠居する年齢でありながら、警察に17度も逮捕拘留されるという道すがらです。

そんな人生にも拘らず、ひな型として歩みなさい、

と皆に説いているのです。

物や、お金や、時間や、家族や、名誉などではないのだ、陽気ぐらしは『銘々の心の使い方ひとつ』なのだと教えて下さっている訳です。」


ハ「そんな不幸な部分だけを抜き出さなくても。あれですか?天理教の言葉に、『食べるモノが無くても、水を飲めば水の味がする』というお話がありましたよね?そういう、不足や不満を言わずに有るモノを喜びなさい、という教えですか?」

責「中山家が貧のどん底に落ちたとき、こかんさんが『今夜食べるお米がありません』と言ったら、教祖が諭したという天理教関係者なら誰でも知っている逸話ですね。
その逸話が事実かどうかは分かりませんが、
おさしずにも

『何程宝がありても、身の内より病めばこれ程不自由はあろうまい。自由自在心にある。この理をわきまえ(明21,1.8)』

というお話があります。

心の持ち方、考え方は自分が自由自在に変えられる、決められるのだというおさしずです。」


ハ「教組の言葉は事実ではないのですか?
でも、本席のおさしずにも食べ物が宝物に変わっていますけど、同じようなお話があるのですから、無いモノに不足や愚痴を言うより、有るモノを喜び感謝して喜んで通りなさい、という心や気持ちを切り替える素晴らしい教えですよね?
世の中でも、例えばお酒を飲んでいて、『もう酒がコップに半分しかない』という考え方より、『まだ酒がコップに半分もある』というようなポジティブシンキングをしなさい、という話をよく耳にしますけど。」


責「不足や愚痴で心を満たすより、感謝と喜びで心を満たした方が良いというのは間違いないでしょう。

ただ、この『水を飲めば水の味がする』という教祖のお話しと『何程宝がありても』という本席のお話しは、単純に同じ内容とは言えないのです。」


ハ「え?そうなのですか?どう違うのかよく分かりませんが。それに、責任役員さんが教祖の逸話が事実ではないと考えている理由って何ですか?」

責「理由は簡単ですよ。

中山家が秀司の失敗で貧乏になったのは事実で、その日に食べる米にも不自由になった時期はあったかもしれない。
でも、その時の家族、こかんさんと教祖の会話を誰が聞いていたのでしょう?

稿本教祖伝に載っている有名な話ではありますけど、もしこの状況と会話があったとしたら、その事を知っているのはこかんさんと教祖の二人だけです。
その時代には信者はもとより後のお弟子さんもいません。
同居人もいなければ下女や下男もいません。

その二人だけの会話が後に伝わるとしたら、こかんさんか教祖が後になって皆に話したという事になりますけど、そういう記録も、誰が聞いたという話もありません。」


ハ「なるほど、確かに。」


責「そして一番重要なのは、教祖の逸話だけで考えると、

現実の『食べるお米が無い』という問題を無視して考え方や心の持ち方だけを変えれば良い、というかなり乱暴な教えだという事になってしまいます。

水だけでも数日は生きられるでしょうが、人間一生水だけ飲んで生きて居られる訳はありませんから、

『愚痴を言ってないで隣の家から借りて来なさい』とか

『米は無くても大根があったでしょう?』とかいう問題を解決する方法ならまだしも、

お腹が減るという問題を先送りにして、我慢して違う事で喜びなさいと言われても腹の虫は言う事を聞いてくれません(笑)。」


ハ「では、この教祖の逸話も、例の『芝居の脚本』だという事ですか?」


責「芝居の脚本とは断言できませんが、本席の『自由自在心にある。この理をわきまえ』という部分が抜けているのです。

心の持ち方や考え方は銘々の自由自在で、不足不満で満たすのも、喜びと感謝で満たすのも自由、問題解決に動くのも、放って置いて見えないふりをするのも銘々の自由な訳です。

自由ならば、解決させる方向で心を満たす方が建設的だし、明るく頑張ることが出来ます。

天理教で言われている
『御馳走が目の前にあっても、病気で食べられない人も居る。私達は水を飲めば水の味がする、ありがたいと感謝しなさい。』
という教えだけでは、
『無いモノに不満や不足を持つな、我慢しろ、有るモノを見つけて感謝しろ』
という話しや印象しか受けないのです。

そうすると、不足や不満を持つ事、感じることが『悪』になってしまう。

どんな環境でも不幸な出来事があっても、喜びと感謝で過ごせないと『教えを理解していない』という話になってしまう。

一列兄弟で子供可愛い、この屋敷に来た者は喜ばさずに帰されん、と説いた中山みきさんの教えとは、お話の印象が違うと思いませんか?

だから、この教祖のお話しは、理解が足らない人が話を作ったか、重要な説明や解説を外してしまった結果だと感じられるのです。

これが多くの信者や末端教会を苦しめている『本来の意味を知らずして、遺憾な結果』になっています。」


ハ「根が深いですねぇ。責任役員さんは、不幸や不自由な中での陽気ぐらしの心使いとは、どういう状態だと考えますか?」

責「いきなり本質的な質問ですね(笑)。
勿論、陽気暮らしの心使いが物や金、時間や人間関係などだけで出来るモノではない事は明らかですが、それらを全く無視して心の持ち方や考え方だけで出来るモノでもありません。
言い換えれば、物質と精神、唯物論と唯心論の対立となりますが、どちらか一方が正しいとか、間違っているというお話ではないと思います。

その両方のバランスと調和が大事です。

その上でどのような心や価値観、考え方を作っていくのか、ですかね。

例えるなら、何を基礎にして、どんな柱を、どのような壁を、梁を、天井を、屋根を作っていくのか、どのように心を建て替えていくのかが、教理を勉強する心得です。

優秀な大工さんが建ててくれた家なら、まぁ、安心して住めるでしょうけど、腕の悪い、金儲けの事ばかり考えて手抜きや材料費をケチったりするような大工さんが建てた家では、住み難いかもしれませんし、ちょっとの台風や地震で倒れてしまうかもしれない。

だから、大工さん選びも大事なのですが、根本に必要なのは大工さんを選ぶ自分たちの眼という事になります。」


ハ「ふむ、その眼が先ほどの、使われている言葉、教語の意味や定義、中身をじっくり見る、考えるという事ですね。」


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(続く)

責「まず大事な事は、言葉の意味や定義をキチンと考える必要があります。先程も、言葉の意味も定義もしないままで議論したところで立っている位置や見ている方角が違うので意味はない、とお話をしましたけど、同じ教えの言葉でも、人によってイメージや定義、理解の仕方が全く違うのです。極端な事を言えば、『神様』という言葉一つでも人によってイメージや解釈が違うからややこしいのです(笑)。」

ハ「オカルト親父は、教祖に降りてきた神は、他所の宗教の神がどうたらと言っていましたが。」

責「オカルト親父さんは、教祖に降りて来た神の呼び名を、自分が信じる宗教で呼ばれている名前で言っているだけだったと思います。掲示板を読ませて貰った限りでは、神様の定義や能力や役割などは何も説明していなかったように見えましたけど。その神がどんな存在だとか、どういう働きをするとか、どんな力を持ってるとか、一切説明も定義もしていなかった、意図的に説明しないのか、本人も理解してないので説明できないのかは不明ですけど。」

ハ「なるほど。」

責「で、ハルアキさんの方は、『理が神である』として『神様の定義』を説明していますし、それをもって相手の神を否定しようとしていたと思いますけど、相手が『定義していないモノ』を否定したところで議論にもならないし結論も出ませんよ(笑)。」

ハ「あ、いや、ははは。。。」

責「『全知全能の絶対的力を持った神』という存在だって、これが人間界に現れて、悪人を懲らしめ善人には惠をくれる、とか言うならオカルトですけど、人間界には全く手出しをしないで見ているだけだというなら、私達の考える『理が神』と違いは無いんです。」

ハ「確かにそうですね。この宇宙の規則やルール、万物を支配する法則などは存在していますから、それをどんな名前で呼ぶかという違いでしかない訳ですね?」

責「えぇ、人間のような人格を持っていて、好き嫌いや善悪正誤の判断をして、それで世の中にちょっかいを出すと言うならオカルトですけど、厳然と一定不変で存在する基準やルールや法則を神というなら、私達が考えるモノと一致します。オカルト親父さんは、神様の定義をしないでいるのですから、どんな神様をイメージして言っているのか分からないですね。それに、神様以外の話は『世間的にはそこそこ』な事も言っていますから、オカルトとは断定できませんよ。まぁ、どっちでも構いませんが。」

ハ「そうですね。」


責「話を戻すと、教え、言葉、教語の定義については、2代真柱が『続 ひとことはなし その2』の序文でこんな話しをされています。



『その頃、つまり筆を執りかけた頃、私の心を強く打ったものは、種々語られている天理教用語の解釈という事だったのです。つまり、平気で交わしている言葉も使っている人々勝手な解釈のために、その意味を間違って伝え、意志の疎通を欠く結果とさえなると云う事なのです。

勿論言葉にも生命があり、「生きもの」として時代々々によって、その意味内容もかわるものです。しかし、教義内容を、勝手に使い広められた意味で解釈する時には、思いもかけぬ誤りに陥るものであり、又、その自己流な、或は第二義的な意味に固まってしまう、本来の思召しを失ってしまう結果を招く感が多いのであります。

(中略)

それは、教理を自己勝手に流し、それで教理を語り、責任を教語に託して曲道に導入するからであります。
「ぢば」だけではありません。「ひのきしん」や「ほこり」の解釈についても、段々と都合よい様に解釈され、慣用され、それによって漸次、何れが本来の意味かを知らずして、通俗化して遺憾な結果をもたらすものとおそれたのであります。

(後略)』



大変厳しい話しですし言葉です。

教団の歪みばかりでなく、今現在も全国の各大教会や上級教会などで起きている、多くの信者や部下教会の苦しみ、悩み、問題点などの原因を端的に表した内容だと言えます。

『教理を自分勝手に流し、それで教理を語り、責任を教語に託している』

勿論、各所で問題になっている教理の自分勝手解釈、自分に都合の良い解釈は、その口にしている本人が考えたモノではないかもしれないし、先人や何処かから聞いただけかもしれない。

でも、その中身を考えず、吟味もせずに、その場で思い付いたり都合の良いように使ったりして益々歪んでいく、ズレていく。

それに気づかず『~~に書いてある、~~が言った。』等と責任を教語に押し付けて、ますます歪みやズレを大きくさせてしまう。

もう、歪みどころか、原形や本来の道すら何だか分からないような状態になってしまっているのではないでしょうか。」



ハ「そうですね。責任役員さんが離脱手続きをしている時も、教会制度のどこが一列兄弟なのですか?という質問に対して、教会制度と教祖の教えは分けて考えなければならない、と言っていた大教会役員が居ましたが、分けて考えられるのなら、教祖が警察に17度も逮捕拘禁されたご苦労は何だったのでしょうね?」

責「全くです。そういう歪んだ考えや自分の都合の良いように解釈して語って、その責任を教語のせいにしてしまうのですからどうしようもないです。二代真柱の話は昭和25年のことですから、70年ほど前のことです。真柱がこれだけハッキリと、厳しく言っていたのも関わらず、それが解決されないまま時が流れ、代が変わってますます歪みが大きくなっているのが現状の教団や各教会の有り様でしょう。これでは、教えが伝わるどころか、信者が逃げたり、後継者が逃げ出すのも当然です。中山みきさんの教えに含まれている精神や心といったものが全く見えなくなってしまっているのですから。」


ハ「責任役員さんは、常々、『今の教団は、中山みきさんの教えの耳障りの良い言葉だけが残っていて、看板にだけ使われているようなもので、その中身も精神も心も全く別物の教理や教え、指導やお諭しなどが蔓延している』と言っていましたけど、2代真柱でさえ心配していた、懸念していた状態になってしまったという事ですか?」

責「勿論、二代真柱やそれ以前の時代は問題が無かった、という訳ではありません。中山みきさんが存命中からあった問題、起こっていた事だと言えます。ハッキリ言ってしまえば、おふでさきは『教義解釈に関する傍な者への叱責と指導』、おさしずは『教義の解釈と教団運営に関する叱責と指導』だと言えます。そういった種々の歪みや問題が、教団組織が大きくなり、社会の発展と情報の伝達が早くなったので、誰の眼にもハッキリと見えるようになってきたという事でしょう。」


ハ「なるほど、早く教団関係者、本部や指導者が解決する方向に舵を切って貰いたいですよね。」

責「それもそうですが、私の言いたい事は違いますよ。」

ハ「え?」


責「最初に言ったように、教理を勉強する上で、私たち自身が気を付けなければならない事なのです。会長さんが言った事だから、偉い先生が言う事だから、どこそこに書いてあったから、なんて理由で100%信じてしまう事が問題だという事です。全てを疑えという訳ではありませんが、その言葉の意味や定義をキチンと捉えて、どのような使われ方をしているかを考えないと、『本来の意味を知らずして、通俗化して遺憾な結果をもたらす』事になります。」

ハ「勉強する上で、ですか。そういった言葉や教語の意味を覚えるのが、教理を学ぶ事だと思っていましたが。」

責「世の中では、見るも因縁、聞くも因縁、とか言って、見たこと聞いた事は全て受け入れなさい、等と言う人も居ますが、勉強しようと思うならそれだけではダメです。受け入れるというのは、自分が持っているその言葉のイメージや解釈、定義と、いま見聞きした言葉のイメージや解釈との違いをハッキリさせて、二つを比較検討して、どちらが正しいのか、どちらを選択するべきかをジックリ考える必要がある訳です。具体的に言うなら、『神様』なんて言葉だけをとっても、人によってイメージも定義も違います。同じ宗教を信じる者同士でも違いがあるでしょうし、特に天理教などでは明確になっていない部分も多いので、まさに『バラバラ』だと言えますよね。」


ハ「なるほど。『月日親神』だけでも、責任役員さんが言うように『理のみの存在』と解釈もできるし、キリスト教のように『天地創造の絶対神』だと思っている人も居る。神道に出て来る神様のように『天界に住んでいて、何かあったら地上に降りて来る』と思い込んでいる人も居るし、『お願いすれば、人間の病気を治したり困った人に助けの手を差し伸べてくれる不思議な力を持った神様』だと思っている人も居る。教典にも『元の神実の神』として人間を創造した神様で、教祖の身体に降りて来た、という表現がありますが・・・。もう、何が何だか分かりませんね(笑)。」


責「更に言うなら、二代真柱は、昭和25年に天理大学の学生たちに

『今度出た教典も、まだまだそこに使ってある言葉は、教祖がおっしゃったお言葉と違ったり、あいまいに使ってある点があるから、みんながしっかりと教祖のお言葉から考えてその誤りを指摘し、直していかなければならない。これからの勉強はそれだ。』

というように言われたそうです。

今度出た教典というのは、昭和24年に刊行された『天理教教典』で現在も使われているモノです。真柱ご自身が裁定して認めたモノを、1年もたたずして直していかなければならない、と仰ったわけですから、最初から『違う』という事が分かっていて発行した訳でしょう。その話を聞いた学生の中に八島英雄氏もいらっしゃって、八島氏はその言葉でその後の人生や方向性が変わったと記しています。」



ハ「しかし、教典ですらあいまいだとなると、天理教用語辞典や色々出ている解説本なども怪しくなりますね。とすると、あとは・・・。」

責「やはり、原典しかないでしょうね。あとは、原典とはされていませんし、取り上げる部分は慎重に考える必要がありますけど元の理・泥海古記でしょうか。とはいえ、これらをいくら読んでも、言葉や教語の意味や定義、解釈はしてくれません。全体を読んで、話しの流れや繋がり、結びつきや関係性などを考えながら、全体の雰囲気や教えに流れる骨格や精神、神の心というものを読み取っていくしかありません。それがそれぞれの言葉の定義であり、意味であり、使い方になる訳ですから。」


ハ「なかなか大変な勉強になりそうですが・・・。」

責「0からこれをやるのは大変です。おそらく、思考の試行錯誤と迷い道の連続で迷子になってしまうのが普通でしょう。でも、幸いにも先人が居ますし、色々と教えてくれる先生もいます。私は運が良かったと言えますね。」

ハ「では、その教義解釈をひとつ・・・。」


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(続く)

オカルトについて

2019年05月10日
世間ではGW中のある休日の昼下がり。


ハルアキ「責任役員さん、『劇画 中山みき物語』では色々教えて頂き有難うございました。」

責任役員「いえ、大したことは何も。」

ハ「それで、改めて質問したい事があるのですが。」

責「何でしょう?」

ハ「責任役員さんは、常々、オカルトを排して考えないと中山みきさんの教えは理解できないし受け取れない、と仰っていましたよね。」

責「えぇ、そうです。オカルトで解釈すると、既存の宗教や世間並みの判断基準でしか見られなくなって思考のドツボに嵌ります。」

ハ「そこでお願いなんですが、責任役員さんのオカルトを排した教えの解釈を体系立てて教えて貰えませんか?」

責「おや、いきなりどうしたのです?ハルアキさんは信仰や教義の事には興味がなかったのでは?現実に私が話す事や教会でやっている事などを見聞きするのは構わないけど、社会生活に邪魔になりそうだから、教えや教義を身に付けようとは思わないって言ってませんでした?」

ハ「いやまぁ、それはそうなのですけど、実は・・・、これを見てください。」

(鞄からコピー用紙の束を取り出す)

責「これは?」

ハ「ネットの掲示板での書き込みをコピーしたモノなのですが、ある人物、まあ仮に『オカルト親父』と呼んでおきますけど、このオカルト親父が、教祖の教えや教祖自身を教団本部よりも酷いオカルトで解釈して書き込んでいるモノですから、気になってしまって。」

責「あぁ、その掲示板なら読みましたよ(笑)。ハルアキさんは相変わらずですねぇ(笑)。」

ハ「いやまぁ、責任役員さんから聞いて自分が納得したものを、ああまで歪められると、ちょっと黙っていられないというか、気が済まないというか・・・。」

責「ハルアキさんのそういうところは嫌いじゃないですけど、若いころからそれで損をしたことが何度もあるでしょう?私も忠告したことがあったと思いますけど(笑)。」

ハ「そんな、夏目漱石の『坊ちゃん』の出だしみたいな事を言わないで下さいよ。これでも、私自信反省している事もありますし、直そうと努力はしています。まぁ、それで今回は、中途半端な知識じゃダメだなと考えて、教えてもらおうと思ったのです。キチンと記事に纏めますから。」

責「そうですか。ハルアキさんの気持ちや考えは分かりますけど、難しいですね。」

ハ「え?どうしてです?」

責「だって、そのオカルト親父さんは議論するつもりもないし質問にも答えないって宣言しているのでしょう?それじゃぁ、看板か壁の落書きみたいなものじゃないですか。それに対して怒ったり文句を言ってもハルアキさんのストレスが溜るだけですよ(笑)。」

ハ「いや、だけど、黙っていたら益々書き込みが増えるじゃないですか。」

責「仮に、オカルト親父さんが質問に答えたとしても、言葉の定義や認識も確認せずに話をしたって、結論も答えも出ませんよ。」

ハ「オカルトという言葉の定義ですか?」

責「オカルトに限らずですけど、定義もなく話を始めたって立ってる位置が違うのですから、『貴方は間違っている、私にはこう見えます。』で終わりになってしまいます。もっとも、このオカルト親父さんは最初からそれを狙っている訳で、それに影響されたり釣れる人を探している感じがしますけど。」

ハ「それに影響されたり納得する人がいたら、それはそれで困りませんか?」



責「ん~、まぁ、ハルアキさんの気持ちも分からないではないですけど。」

ハ「お願いします。」

責「そもそも『オカルト』って世間一般ではどういう意味だと思います?」

ハ「世間一般ですか?それは、ホラー映画とか、お化けの話とか、幽霊を見たとか、怪奇現象だとか?」

責「非常に分かり易い『オカルト』ですね。世間でも、お化けだの幽霊だのを現実にあると考える人は少ないでしょうし、映画やパワースポット、お化け屋敷で楽しむ程度でしょう。では、宗教的にはどうですかね?」

ハ「それは、責任役員さんが仰っていた、絶対的力を持つ創造主の存在とか、魂の輪廻転生とか、天国や地獄の存在とか、ですよね?」

責「それも分かり易い『オカルト』ですね。でも、私はそれらを『存在しない』とは言っていませんよ。」

ハ「え?あれ?そうでしたか?目一杯否定していたと思いますけど。」

責「まぁ、強く言っていた事もありますから否定しているように受け取られたかもしれませんが、私は『有るかどうか分からない』と言っています。だって、誰も地獄を見てきた訳でもないし、魂が生まれ変わる事を証明することも出来ない。だから『有るかどうか分からない』のです。そして、『有るかどうか分からないモノを説いて金儲けをする宗教や、それと結びついて権力を得ようとする人たちの言う事を信じるのは間違いだ』と言っているだけです。」

ハ「以前責任役員さんは、『悪い事をしたら来世は悲惨で辛い環境に産まれ変わって一生苦労するよ』という話は、これだけなら教育的な内容なので害は少ない。でもこの話の延長線上にある『今悲惨な環境に産まれて一生苦労している人は、前世で悪い事をしたからだ』という輪廻転生と因果応報が結び付いた話は危険だ、と言っていましたね。現在の世の中の貧富の差や問題点を、そういう有るかどうか分からないオカルトで説明して、上の立場の者にとって自分たちの富や権力を守り、下の者の不満や不平を押さえつけるモノだからだ、と。」

責「はい。上の者にとって都合の良い内容なら、上の者はこれを採用して下の者に押し付ける、信じさせるのが当然です。極端な事を言えば、今ある宗教は、上の者や権力者にとって都合の良い内容や教えだから今に伝わっている、とも言えます。今の新興宗教だって殆どそうでしょうね(笑)。」

ハ「あぁ、なるほど。しかし、責任役員さんの言う『有るかどうか分からないモノ』を信じている人は多いのが現状ですね。」

責「そうですね。でも、そういうモノを信じるのが宗教だとも言えますから、それはそれで仕方がないかもしれませんよ(笑)。」

ハ「それも残念な気がしますが。」

責「残念と言えば残念ですが。でも、オカルトの範囲は宗教だけじゃないのです。」

ハ「宗教以外にもオカルトがある、ですか?それは、古代文明の話とかオーパーツの解釈とか、でしょうか?」

責「そんな極端なモノではなく、多くの人が信じている、当たり前だと思っている事でも、実際は『オカルト=有るかどうか分からない』というモノは結構あるのです。」

ハ「多くの人が信じてるオカルト?例えばどんな事ですか?」



責「例えば、自然界の食物連鎖ってご存知でしょう?」

ハ「食物連鎖?植物が昆虫などに食べられて、昆虫がカマキリや蛙に食べられて、カマキリや蛙は小鳥や小動物に食べられて、小鳥や小動物はもっと大きな鳥や獣に食べられるという、弱肉強食の世界ですね。」

責「はい、その弱肉強食ってやつです。食べられている場面だけを見れば、強い者が弱い者を食べている弱肉強食に見えますが、自然界全体で考えれば、食物連鎖って弱肉強食の世界なのでしょうか?」

ハ「自然界全体で見れば、食物連鎖の上に行くほど数が少ないですし、縄張りとかもありますから、バランスが取れている、と言えるのかな。」

責「食物連鎖の頂点にいる動物だって、その糞や死骸が土に還り、植物の栄養になるのですから、バランスが取れているだけじゃなくて循環している、自然界は調和がとれている訳です。」

ハ「まぁ、そうですね。」

責「ところが、『自然界は弱肉強食の世界だ』という話を多くの人が信じていて、しかも『人間も動物なのだから弱肉強食の世界だ』という話に続くのです。」

ハ「え?いや、あの。人間世界も弱肉強食の場面があるのではないですか?」

責「喧嘩や争い事があれば弱肉強食と見える場面もありますけど、自然界では同じ種同士で弱肉強食なんてしませんよ。せいぜい、餌や縄張りの奪い合い、後は繁殖のための競争ですけど、それだって生きるための最低限の争いです。今の人間同士で最低限生きるために争ったり奪い合う必要はないと思いますよ。」

ハ「なるほど、確かにそうですね。では、これも誰かに信じ込まされている『オカルト』という事ですか?」

責「そう考えるのが自然ですねぇ。」



ハ「なるほど。皆が当たり前だと思っているオカルトですか・・・。あ、私も一つ思いつきました。日本は国の借金が1100兆円で国民一人当たり約800万円以上の借金がある、って話しですけど、それで、日本は破綻してしまうから、税金を上げなければならない、っていう話。」

責「(笑)。さすがハルアキさん、そういう社会ネタがお好きですね。」

ハ「国の借金は1100兆円ありますけど、政府には資産も充分あります。それに、貸しているのは国民ですから、国民一人当たり900万円の借金なんて有り得ない話です。自国通貨建ての国債をどれだけ発行したとしても財政破綻なんて有り得ないって事は財務省でも発表しています。勿論、赤字国債をあまり沢山発行しすぎてしまえばインフレになりますけど、今の日本はデフレで苦しんでいるのですから、もっと財政出動をしなければならないし、税金を上げるなんて以ての外です。」

責「なるほど、多くの人は、国民が借金しているって信じちゃっていますよね。」

ハ「最近、やっとネット等で『そうじゃないんだ』という声が広がっていますけど、まだまだ、日本は借金まみれで大変なのだから税金が上がるのは仕方がない、って思っている人が多いです。それに日本は、今でも対外債権と外貨保有は世界一ですから、世界一のお金持ち国家であるはずなのに、国民の貧困化と少子化は進んでいる。不思議な話です。」

責「それも、政府の借金を減らしたいと思っている人達の『オカルト』ですね。」

ハ「探せば他にも色々ありそうですね。」



責「えぇ、人間社会はオカルトで出来ていると言っても過言ではありません。」



ハ「人間社会はオカルトで出来ている?なんか、スゴイ怖いお話しなんですけど・・・。」

責「凄く怖いです。だから、中山みきさんもそう思って『人助け』を決心したのではないでしょうかね。」

ハ「え、え?オカルトの打破が人助けの道だという事ですか?」

責「ハルアキさんも『劇画 中山みき物語』を読んだのですから、中山みきさんが何を説き、何を教えようとしていたかはお分かりだと思いますけど?」

ハ「ううむ、確かに・・・。」

責「おびやほうそのゆるしも、一列兄弟という言葉も、雄松雌松隔て無しも、互い立て合い助け合いも、高山も谷底も同じたましいも・・・、全ては、その当時、皆が当たり前常識だと思っている世の中、苦しむ人、貧しい人、差別されている人、理不尽な扱いを受けている人が居ても仕方ないんだ、世の中ってそういうモノなんだとと思い込んでいる大勢の人達の心の中にあるオカルトを排して、真実の理、人間社会をあるべき姿にするための価値観や考え方、人間のほこりを祓うという教えだと言えます。」

ハ「だから責任役員さんは、『なんじゅうを救うのも大事な事だけれど、本当の助け、実の助けはそれで終わりじゃない』って言って来ていたのですね?」

責「なかなか理解してくれる人が居ませんけどね(笑)。それに『じゃぁ具体的に何をしたらいいの?』という大きな問題もありますから。まぁ、その大きな問題は置いといて、教義を解釈する、教えの理を学ぶ上での心得というか、基本的な姿勢というか、私がやってきたお話しをしましょうか。」

ハ「オカルトを排する極意ではないのですか?」

責「どうでしょう?(笑)。それは、話を聞いてからハルアキさんが考えてください。」

ハ「ですか。では、お願いします。」



(続く)

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0161 あとがき


ハ「今日はありがとうございました。」


(了)

ハ「この、『心定めのおつとめ』というタイトルですが?」

責「はい。教祖の命が消えてしまうかもしれないという状況の中で、真之亮を始め、周囲の者に『おつとめをする心定め』をさせた訳ですが、もともと、おつとめをすること自体に『心定めをする』という意味と意義がありますので、両方を兼ねていると思います。」

ハ「なるほど。」

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ハ「ここには、かんろだいの意味とおつとめの意義が分かり易く解説されていますね。」

責「はい。とみ先生の構成の素晴らしい所です。この重要な場面に本当に伝えたい事を指し込んでいます。」

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ハ「教祖様が・・・。」

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(続く)

ハ「警察の弾圧で、教祖が起き上がることも出来ない程の重篤になってしまったのに、周囲の者たちはこの有り様ですか?」

責「応法の理は、警察が教祖に手を出させないようにするためだ、という意見もありますが、その後の教団の動きを見れば言い訳にしても酷すぎますね。もっとも、実際に自分がその立場に立ったら、どのような判断をしたかは分かりません。時代背景も社会の様子も今とは違いすぎます。」

ハ「なるほど。」


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ハ「この仲田さんが残した『こうき』は実在するのでしょうか?」

責「分かりません。こうきの有無より、仲田さんが神の思いに沿わなかったから早死にした、という解釈の方が問題ですね。根拠として、教祖が『錦と見立てておいたのやが・・・。』と仲田さんの死を残念がった事を、神の思いに逆らったと言っているのですから困ったモノです。」


(続く)

ハ「最後の獄舎、ですか。壮絶なタイトルですね。」


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ハ「この、教祖が真之亮に声を掛けた内容なのですが、どういう意味なのでしょう?」

責「教組伝などでは、真之亮が隅の方で一人寂しそうにしていたという事で、教祖の優しい心使い、等という意味合いで書かれています。

実際は、教祖を始め収監された者全員が『政府の方針には従わない、天皇の祖先を神と言って権力に阿るような事はしない、一列兄弟互い立て合い助け合いこそ真実の神の教えだという事を曲げない、という決意と主張を続けた訳です。

しかし、真之亮だけは警察の力に屈し、言うがままに調書に署名をして教祖を裏切った訳です。

それに対して教祖は、『一人じゃ寂しかろう、お前も私達と一緒に正しい道を歩みなさい』と誘った訳ですが、真之亮はそれに従わず警察から解放された訳です。」


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ハ「もう、言葉がありません。目頭が熱くなります・・・。」




(続く)

ハ「ここは、まぁ、特に訊きたい事はないです。」

責「じゃぁ、黙ってますね(笑)」

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ハ「これが、責任役員さんが『かんろだいは何処に建ててもイイ』という根拠ですね?」

責「根拠と言えば根拠ですが、雨乞いつとめで『かんろだいの模型を立ててつとめた』とありますから、『面はぢばかぎり』という本席のおさしづは理由と意味が有っての事だと考えなければいけません。」

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(続く)

ハ「その、問題の『転輪王講社』ですが・・・」

責「この部分は、教団発表の教義の根本にも関わる部分です。じっくり読んで、教祖の教えをよく思案する必要があります。」





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ハ「さて、ここからは秀司さんの臨終までですが・・・」

責「はい。教団発表では『早く帰っておいで』と優しく言ったと伝えられていますけど(笑)。まぁ、教祖は輪廻転生の教えなんて説いていませんから、『帰っておいで』は無いですね。」

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ハ「秀司が亡くなっても、今度は親戚連中ですか。困ったモノですねぇ(笑)。」

責「全くです(笑)」



(続く)

ハ「この、こかんさんの章は、なんと言ったら良いのか、言葉がありません。」

責「えぇ、教祖にとってこかんさん、秀司も共に自分の子供です。神の心で人生を歩むことを決心した教祖にとって、自分の子供だから、といった価値観や感覚は世間の親と比べる事は難しいかもしれませんが、神一条の道を歩む事を期待した部分はあったと思います。」

ハ「そういう期待に添わない秀司に対するお叱りの言葉は、おふでさきに書かれている通りですね?」

責「はい。教祖のひながたは、神の思いに沿わない周囲の者への叱責と闘いの50年だったとも言えます。」






















ハ「なんか、秀司に対する解説は、『神の想いには沿っていないけど、世間的には悪い人間ではない』という言い訳にも聞こえますね。」

責「実際に、教祖がどう考えていたか、どう感じていたかは、想像の域を出ませんよ。次の『転輪王講社』の経緯では、おふでさきにも『我慢の限界を超えた』と書いているのですから。」


(続く)

ハ「『ぢば』と言えば、かんろだいの立っている月日親神が人間を宿し込んだ、全ての人間のふるさと、とも言える場所ですね?その所縁ある場所が中山家の敷地にあったとは、なんともすごいお話ですが。」

責「不自然ですよね。そもそも、そういう人類発祥のとても尊い場所を、どうして『定めた』のでしょうね?昔からあった決まった場所なら『捜す』事になると思うのですけど。」

ハ「あぁ、確かに矛盾しますね。ここに書かれているように、歩測で場所を決めたのなら『定めた』という言葉が正しい訳でしょうが。」

責「はい。何が何でも中山家の屋敷と教祖の存在を、神憑りの特別な存在にしたい人が居たのでしょう。」

















(続く)

ハ「この高山布教の項目は、教組伝にもある逸話ですね?」

責「そうですね。仲田さんと松尾さんに『おふでさき』を持たせて問答に行かせた逸話と山村御殿のことですね。教組伝には、その時の問答の内容ややり取りは記載がありませんが、劇画では国家神道の内容と対比して描かれていますね。」

ハ「なるほど、どうして問答が必要なのか、どういう経緯があったのかが分かり易いですね。」


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責「この章だけでも結構な読みごたえがあり、中山みきさんの教えの一端が理解できますね。」


(続く)

ハ「次の『天皇神道』は、明治神道、国家神道の治世下での明治維新の思想ですね?」

責「以前もお話ししましたが、江戸時代までの幕藩体制の中で全国300藩に分割統治されていた日本全国の日本人の意識や考え方を一つに集めて力を合わせないと、日本は西欧列強の侵略や干渉を受けて植民地状態にされてしまう可能性が高かった訳です。実際に、明治維新当時のアジア情勢はハルアキさんも学校で習ったでしょう?」

ハ「そうでしたね。そうすると、明治政府の国家神道もあながち悪いモノではなかったと言えますかね?」

責「明治維新と国家神道を善悪や正誤の判断をするのは歴史の研究家に任せましょう。私が言えることは、国家神道や天皇神道は、中山みきさんの教えとは相反するモノだったという事です。」


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ハ「なるほど、ずいぶんと違う価値観、考え方だと言えますね。」

責「えぇ、でも、この『統治や支配を是とする価値観と宗教観』が明治維新によって日本中に広められたわけです。中山みきさんの教えとも相反しますが、古来から有る『八百万の神様』とも異なるものです。そして、これは第二次大戦後に否定された訳ですが、今でも人々の心の中には深く刻まれているのです。」


(続く)

ハ「慶応三年というと江戸時代の最後の年ですね?」

責「そうですね。おつとめの唄や手振りで教えを伝え始めた頃です。」

ハ「しかし、転輪王明神というのは、教祖の教えを正しく伝えるものではなかったようですね。」

責「大和神社事件で、宗教を営業する許可証は秀司のモノになってましたから。」

ハ「なるほど、教祖やこかんにも秀司の営業方法を止める手は無かった訳ですか。」














責「なので、秀司や一般の宗教との違いや考え方、価値観の違いを、少しでも理解して貰うことの大切さを描写されています。

欲得やメリットを求める信仰や信心は、決して『陽気づくめの世界』という実りはやって来ない、決して『世界余さず助けたい』という転輪王の気持ちや『一列兄弟、互い立て合い助け合い』を伝えようとした月日親神の価値観を理解することは出来ないのだという事です。

『輪廻転生』だの『前生の行い』だの『魂の徳』で、今現在の現実社会にある上下の格差や差別や貧富の差や紛争や内紛があることを理屈付けてしまってはいけないのです。」








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ハ「この屋敷のそうじという逸話に込められた意味は何でしょうか?」

責「その時代のお屋敷の状況は複雑だったと思いますし、中山みきさんも自分の教えや価値観と、実際のお屋敷の中の状態が全く異なるのでは困った上でのことだと思います。でも、現代のわれわれから考えるなら、秀司の女性問題をどうこう言うより、『おふでさきの解釈の仕方』でしょうね。そのおふでさきが書かれた時代背景や前後の事情をよく理解しないと、おふでさきの内容・中山みきの思いや考えを正しく理解できないという事です。

ですから、今の世の中の事や我々の出来事、日々の生活の中で『お筆先の一文や一言だけ」を抜き出して当てはめたり解釈するのは、危険だといえます。

教団や大教会の人間の中には、中山みきさんの教え全体の流れや意図を考えずに、自分の都合の良いようにおふできさきの一部だけ切り取って解釈しようとする、お諭をしようとする人が居ますから、要注意ですねぇ(笑)。」


(続く)

ハ「次の、中山みきの人助けについてですが、教団では『貧しい人に施しをし、病で苦しむ人に不思議なご守護を施した』という内容になっていますが、これを読むと、全く違いますね?」

責「はい。中山みきは『話し医者』と言われていたそうですから、単なる篤志家ともオカルトの呪い師でもありません。」

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ハ「なるほど。正しい夫婦の有り様、正しい心使い、正しい人生の生き方、そして、正しい世の中を創るために働く事、というお話をされた訳ですか。」

責「そう思います。身分制度のある社会、自分さえ良ければという価値観、他人を倒してでもという考え方、全てが月日親神の願いと相反するモノです。それを順々に諭して伝えたのが中山みきの教えだと考えられます。」


ハ「次の大和神社事件なのですが、稿本教祖傳などではあまり詳しく書かれていなくて、単に中山みきさんの教えが迫害されただけのような書き方になっています。」

責「教団から出ている出版物では、この事件を掘り下げたモノは殆どないですね。まぁ、事情があって掘り下げられないのだと思いますけど(笑)。」

















ハ「これからすると、大和神社事件は、仕組まれたモノというか、陰謀のような事件だったように見えますが。」

責「はい。大和神社事件の結果として、こかん名義の許可証が取り上げられてしまっています。中山みきからすれば、別に神仏祈祷の営業許可など無くてもどうという事はないのですが、同業者から何のかんのと喧しく言われ、信者さん達も集まり難くなるのでは意味が有りませんし、許可証のない者が人を集めるのは当時の法律にも引っ掛かります。それで、こかん名義の許可証を持っていた訳です。しかし、こかん名義のままでは困る人が居る訳ですよ。」

ハ「秀司ですか?戸主として、中山みきの教えも理解していないし、営業上も無関係では自分の立場が無い、という訳ですかね?」

責「だと思われます。大和神社事件は、単なる中山みきさんの教えに対する『迫害』ではなく、秀司を始め何人かの協力者が、信者組織を乗っ取ろうとした陰謀だという事ですね。」


(続く)

ハ「次に、中山みきさんの教えの始まりとなった『おびや・ほうそ』の事ですね?」

責「天啓を排して、中山みきを一人の思想家として捉えた場合、その思想体系や教えの中身をどのように伝えるか、他の人に分かって貰うかは大変な困難と労力が必要です。中山みきさんの教えが『皆が陽気ぐらし出来る世の中の実現』という壮大なものであるだけに、その苦労や困難さは桁外れだと言ってもイイでしょう。でも、それが誰にも分かり易く、身近なモノとして伝えることが出来たのが、『おびや・ほうそのゆるし』だったのだと思えますね。」









ハ「この『米相場の失敗』というのは、責任役員さんが以前から話していた、中山家が貧に落ちた原因ですね?」

責「決して、貧しい人に施したからではなく、秀司の放蕩と米相場での失敗が原因です。更には、こかんの『大阪布教』も偽りですから(笑)。」











ハ「これは、教典や稿本教祖傳を信じてる人から異論が出そうですねぇ。」

責「かもしれませんね。でも、真実を知る事は大事です。この時のエピソードとして、こかんが拍子木を叩きながら『南無天理王の命』と唱えて歩いたなんて、作り話もいいとこです。この時代に『天理王』なんて神名は使っていませんし、後に秀司がひらいたのも『転輪王講社』ですからね。」

ハ「なるほど。では次に・・・。」



(続く)

久しぶりにU教会、責任役員さんを訪ねる。


ハルアキ「責任役員さん、お久しぶりです。お声を掛けて頂きながら、月次祭にも来られずにスミません。」

責任役員「いえ、お気になさらずに。お仕事がお忙しいようですね?」


ハ「まぁ、忙しいというか、相変わらずバタバタしている感じですが(苦笑)。」

責「バタバタでもタマタマでも、仕事が忙しいのは良い事ですよ(笑)。」


ハ「まぁ、それはそうなんですけどね。で、今日はこれをお返しに来ました。長いことお借りしてしまって。」

0001 表紙

責「読み終わりましたか?」


ハ「えぇ、2~3度読み返しました。以前、責任役員さんがご自分のバイブルとも言える本だと仰ってましたよね?それでちょっとお聞きしたい事があるのですけど。」

責「何でしょう?」


ハ「幾つかありまして・・・。ええと、ページをめくりながら訊かせて頂いてよろしいですか?」

責「構いませんよ。」

ハ「では、まずは・・・・。」




























ハ「この『立教の宣言』ですが、教典や教祖傳に書かれている天からの言葉や通信といった、天啓を真っ向から否定していますね。」

責「それはそうです。オカルトや虚構を排した中山みき像なのですから、そういう不可思議な力や知恵などは余計なモノです。逆に言えば、オカルトや天啓によって教えとなる知識を得たという話は、人間『中山みき』を侮辱している考え方だと言えます。教団では、魂の生れ変りなどと云う、これまた確認しようも証明しようもないとんでもない理論で正当化していますけどね(笑)。」

ハ「なるほど、では次ですが・・・。」


(続く)



ハ「役員さん、こんにちは。」
役「ハルアキさん、いらっしゃい。お忙しい所呼び出して済みません。」

ハ「急な呼び出しは毎度の事ですから構いませんけど、今日は何でしょう?」
役「今日は、以前からお話していた『ひながたの会』の設立についてのお話をさせて頂こうと思いまして。」

ハ「ひながたの会というと、役員さんがアドバイスして離脱した教会の?」
役「アドバイス等と言うとおこがましいですね。私はほんの少し情報を伝えただけです。実際に手続きや申請、関係者とのやり取りをしたのは、それぞれの教会の人ですから、私は何もしていませんし。」

ハ「そうですか。でも、自分より先に離脱手続きなり行動なりを起こした経験者から話を聞く、教えて貰えるというのは、心強いし頼りになると思いますけど。」
役「そう思って貰えるなら嬉しいですけど(笑)。」

ハ「それで、離脱した教会が集まって、更に後に続く人や教会の支援をするために、ひながたの会を設立する訳ですか?」
役「それも目的の一つですけど、一番は、各教会の情報交換をするためです。というのは、離脱すると教団との一切の情報や交流が遮断されますから、その後の活動や信仰、教会運営などを全て自分達でやらなければなりません。」

ハ「役員さんは、それがメリットだと言ってましたよね?」
役「はい。上からの命令も上納金の義務も無くなりますし、自分達で決めて行動するというのは、大きなメリットです。でも、次にどうしようか、次は何をしようか、という事を全部自分達で考え、調べ、取り組んで行くのは、なかなかに大変でしょう?だから、皆で情報を出し合って、他所の参考になる事は取り入れる、自分達の取り組みについて、もっと良い方法ややり方やアイディアの意見を貰って参考にする、等と言った『交流の場』を作りたいと思った訳です。」

ハ「なるほど、確かに言えますね。」
役「たとえば、今年の夏は酷暑と言えるほど暑かった訳ですけど、ある教会から『この暑さで、おつとめ着を着るのも大変です』という声が上がったら、すかさず、『離脱したのだから、そういう形式に縛られる必要はありません。自分の所では、ハッピだけでやってます』というアドバイスが出ました。宗教法人の法律的な問題から、こういう信仰上の形式、それこそ、些細な教えの解釈や日常の事まで『アドバイスし合える』のが良いですね。」

ハ「上級も何もないのだから、形式や儀式に縛られる必要はないですものね。」
役「えぇ、そうです。もっとも、私の所ではハッピすらとうに止めていましたけど(笑)。」

ハ「でしたね。おつとめも講話の内容も、従来とは全く違いますよね。参加させて頂いてみた感じ、とても宗教行事とは思えませんけど?」
役「いいんです。行事や儀式形式に捕らわれる必要なんて何処にもありません。でも、伝えたい事は中山みきさんの教えですから、それを出来るだけ分かり易く簡潔に、また、かんろだいつとめの理、も伝えたいと思っています。勿論、こういった事は私の教会だけの話で、ひながたの会で強制しようとか押し付けよう等とは思っていません。訊かれたら答えますけど、何を選ぶかはそれぞれの教会が考え、決める事ですから。」

ハ「なるほど、了解しました。」
役「それで、ハルアキさんには、これを基に管理して頂いているHPで告知して頂きたいのです。」

役員さんが出したのは二枚ほどの文書だった。

一番上には『ひながたの会 設立趣意書』と書かれている。

そして、目的や会員資格、会員規約や会の役員等の項目が並ぶ。

文書を読み終えた私は、役員さんに疑問をぶつけた。

ハ「あの、役員さん、ひながたの会の役員構成とか会員とか、公表はしないのですか?普通、ネット上でも会社や団体などのHPでは、役員の本名や経歴などを載せますよね?」
役「載せませんよ。それは、以前原稿をお渡ししたときにその理由を説明したじゃありませんか。」

ハ「それはそうですけど、今はこの教会も離脱して1年以上経ちます。その間、何もトラブルや問題など無かったのですから、ここは公表しては如何でしょう?読む人の信用にも関わるかと思いますけど。」
役「目的の一つに、離脱しようとする教会の支援というのがある以上、教団から何をされるか分かりませんからね(笑)。私の教会はもとより、会員教会の名前も所在地も出せません。それで読んだ人が『信用できない』と思うなら、それはそれで仕方のない事です。」

ハ「あぁ、そうですね。分かりました。でも、この世話係として私の名前があるのはどういう事でしょう?」
役「それは、ハルアキさん以外に適任者がいないからです。勿論、やって頂けるでしょう?(笑)。」

ハ「相変わらず人使いが荒いなぁ。それで私に何か報酬や見返りは無いのでしょうか?」
役「じゃぁ、私が関西に行ったときは、必ず八つ橋をお土産に買ってきますよ(笑)。」

ハ「ん~、八つ橋程度で買収されるほど、、、しかし、、、仕方ないなぁ。」
役「では、宜しく頼みますよ(笑)。」





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