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天理教とMLM

2020年09月27日

(前回より)


責「私自身も最近まで勘違いしていたのですが、神殿建築や大正普請など、教団にお金が集まるので行った事だと考えていたのです。でも、古い批判本や新聞記事などを調べると、そういう普請や拡大のために『寄附』の徴収が厳しくなっている、本部から掛け声が大きくなっている、という状態です。」

ハ「大きなお金が動けば、当然に・・・?」


責「はい、接待、袖の下、バックマージン、金額の不正操作など、犯罪紛いの事は十分可能でしょう。何といっても、そういう工事を請け負う業者は限定されているのですから。世間では当たり前の相見積も競争入札もありません。」

ハ「あぁ、あの工務店ですね。」


責「はい、天理教に関連する建築工事は全てそこで請負っています。上場していないという事は、天理教側にとっても色々メリットがあるでしょうね。」

ハ「天理教の普請の歴史とその工務店の成長拡大の歴史には関連性がありそうですね。」


責「どうでしょう?非上場なので決算書や損益計算書などの公開義務はなかったと思いますので、外部から調べるのは困難ですねぇ。」

ハ「・・・・。」



責「とまぁ、今となっては証拠も調査も出来ないようなお話しで申し訳ないのですが、天理教が明治20年代に急拡大した、多くの人が飛びついた理由を想像してみました。」

ハ「責任役員さんは、教祖の説く『一列兄弟』『互い立て合い助け合い』『雄松雌松にへだて無し』などの平等平和主義と精神的向上志向が、まだ封建的社会の名残のあった明治時代に多くの人に受け入れられた、とお話ししていたと思うのですが、そういった教義の部分は関係なかった、という事ですか?」


責「それも関係ないとは言えません。多分にあったとは思いますが、それらの教義の根幹部分は道徳的・良心的なものですから、『財産投げ打ってお道に飛び込み、この教えを世界に広めよう』という起爆剤にはなり難いと考えています。それだったら、医者も見放した難病を救われたとか、無い命を助けて貰った、という出来事の方が起爆剤になるでしょうね。」

ハ「それは確かに。」


責「教会の元一日の話などでも、初代が難病を救われたとか、事情を救ってもらったとかいう話を聞きます。かく言うこの教会の初代も信仰をして『子供が出来ない』という事情が救われたと聞いています。」

ハ「それは以前もお聞きしました。確かにそういう『初代が無い命を救われて入信した』という話はよく聞きますし、各教会に伝わっているようですね。」


責「よく考えてみましょう。今、効果がない『病助けのおさづけ』が、どうして明治のころには効いたのでしょうか?」

ハ「それは、天理教内でも、神様が働かなくなったとか、信仰に対する姿勢の変化とか、医学が発達したから、とか、色々と言う人はいますよね?」


責「もともと、教祖の教えでの『さづけ』は病助けではない、というお話しはしていましたよね?」

ハ「そうでしたね、あくまで教理を理解した人に対する免許状のようなものだと。」


責「はい、その『さづけ』がいつの間にやら、まぁ、神道教会天理教になったところでしょうが、『病助けのおさづけ』に変わってしまった訳です。果たして、それで本当に病気が治ったのでしょうか?」

ハ「あれ、ちょっと待ってください。じゃぁ、天理教関係者の間に伝わっている初代が命を救われたとか、難病が治ったとかいう元一日のお話しは、どういう事なのでしょう?」


責「教祖の教えは、生命発祥の原理を解き明かし、世界助けに邁進する人間として生まれ変わる教えですから、抑圧され差別や封建的価値観に縛られていた人には、多少の心因的な病気や悩み、多少の不具合などは吹き飛んでしまう効果は有ったでしょう。人間の生命や精神に直接働きかける人間の本性に沿った『真実の教え』だからです。だからと言って、医者に見放された難病や重病などがあっという間に完治した、は、おそらく、皆無とは言えませんがあまり無かったのではないでしょうか。」

ハ「初代が神様に助けて頂いたというお話しは大げさに伝わっている、という事ですか?」


責「そこで先ほどの話に戻るようですが、ハルアキさんはMLMとかネットワークビジネスに詳しそうなのでお訊きします。そういうビジネスで誰かにその商品を勧めたり勧誘をする場合、商品の効果や効能を大袈裟に言ったりしませんかね?」

ハ「そりゃぁまぁ、人に勧めるのですから、良い事は多少大袈裟に言ったり、悪い点は隠したりしますよね、普通は。勿論、最近では各種法律や規制が厳しくなって、嘘や過大な表現は禁止されていますが。」


責「それが天理教の布教においても行われていたとしたら、どうでしょうかね?」

ハ「人間心理として十分考えられると思います。」


責「そう、そういう人間心理が働いて天理教は急拡大した。そういうネタが神道教会天理教には大きな目玉として有った訳です。目玉を提供したのは本部ですけど、それが日本中に広まったのは、そういう人間心理が働いたからだと考えられます。」

ハ「なるほど。確かMLMビジネスはアメリカで第二次世界大戦前後に始まったものだと聞いていますが、それより4~50年も前に天理教がそのシステムを取り入れていたというのは驚きです。」


責「まぁ、結果的にですよ。今改めて検証してみて、似通っている、人間心理を巧みに使った形だという訳です。どう思いますか?」

ハ「今のお話しを聞いて思った事ですが、日本においてMLMに関わっている人数は、人口の約1割と言われているのです。日本に本格的なMLMビジネスが輸入、導入されて40年程になりますが、最初に急拡大を続けて10年ほどで人口の1割に浸透したそうです。その後も色々な会社や組織がMLMを使って販売や営業をしてきましたが、日本では、人数的に国民の約1割というのがほぼ変動していないそうです。国によってこの割合は違うようですが、これは国民性の表れとも考えられています。」


責「そうですか、奇しくも、天理教が拡大した時の日本国民の信者の割合と同じ程度ですね。どう判断すればいいかは難しいところですが、面白いデータだと思います。」

ハ「しかし、天理教が拡大した理由が、教祖の本当の教えではなく、その人間心理を巧みに動かした目玉だというのは、これまで責任役員さんが調べてきた、考えてきたことと真逆の事のように思えるのですけど。」


責「まぁ、自分でもこの思考は残念でもあり認めたくはないという気持ちはあります。でも、事実はどうだったのかを追及しないと気が済まない性格ですから(笑)。それに、だからと言って中山みきさんの教えは価値がないとか無意味という訳ではありません。逆に、宗教とは別の形で広める必要のあるモノだという気持ちがより強くなりましたよ。」

ハ「宗教とは別のというと、以前からお話のあった社会規範とか道徳とか哲学のような形ですか?なぜ宗教ではいけないのですか?」


(続く)


2つの目玉

2020年09月25日
(前回より続き)


ハ「2つの『目玉』ですか?」


責「はい。一つは教祖のひな形といいますか、中山みきを看板にしただけでなく、その一生を波乱万丈のドラマに仕立てて、巧みに神道教会派の教えを入れ込んでしまった嘘と虚構のストーリーを作り上げてしまった。教祖伝として編纂されたのは明治31年の『教祖様御伝』が最初だと思いますが、それ以前からオカルト摩訶不思議な教祖像が作られ語られていた訳です。それも、夫と密通した下女から毒殺されかけたのを許すとか、預り子のために自分の子供の命を捧げる慈悲深さとか、神に憑り付かれても家族の事を思って鏡が池に身を投げようとする様子とか、本当に一般受けするような、感動的な教祖像を作り上げてしまった訳です。これらの話は、一派独立のために官庁申請する書類として作られたストーリーだという事が明白になっています。まぁ、子供のことから信心深く、面倒見の良い優しい女性だったという事は問題ないでしょうが、当時の普通の女性ですよ。ほんなんでもない百姓家の女房なのですから。」

ハ「なるほど、宗教的教義はおいとくとしても、そういう誰からも讃えられ尊敬される教祖像を前面に出して教化したという訳ですね。」


責「今でも、みかぐらうたやおふでさきの解釈や研究などをせずに『教祖がこう言った、こんな事をした、私たちも見習いましょう。』みたいな話をする人がいるのではないですかね?もっとも、本部からの発信がその程度ですから仕方がないかもしれませんが。」

ハ「一応、みかぐらうたやおふでさきの解釈や解説をされた本は出版されていたと思いますけど?」


責「多少は出ていますけど、殆どは先ほど言ったオカルト摩訶不思議な教祖像、つまりは、神道教会派の教義や教えの流れを汲む内容ばかりです。御用学者が自己の保身のために書いた作文みたいなものです。もっとも、神道教会派の教えや教義を越えた解釈や新しい解釈、教祖の教えを追求する発表は、異端扱いされて排除や追放される訳ですが。」

ハ「本当に、天理教からの分派独立は多いですからねぇ。」


責「ええと、二つ目の『目玉』はビジネスモデルですね。」

ハ「ビジネスモデル?天理教は宗教ではないのですか?」


責「えぇ、天理教は宗教団体ですけど、天理教の教会制度はネットワークビジネスとかフランチャイズに似ていると、以前お話しをしたことを覚えてますか?不謹慎だと思う人も居るかもしれませんが、元々、宗教とビジネスって共通点が多いのです。特に、天理教の場合はMLM(マルチ=レベル=マーケティング)と似ている点が多い感じですね。」

ハ「なるほど。宗教と事業の違いはありますけど組織やお金のことなど共通点は多いように思えます。」


責「教会制度の上下関係はMLMそのものですね。一度できた組織は、まず上下関係が逆転することもないし、余程のことがなければ所属の異動や変更も出来ません。」

ハ「MLMは人から人へと繋がるビジネス、こちらは教会から教会へと繋がる訳ですね。」


責「教会から教会といっても、やはり人と人との繋がりですよ。その人から信者が増えて布教所から教会へとなるのですから。」

ハ「先に始めて、伝えた方が上に立つ、有利な点もそっくりですね(笑)。」


責「教義や教えを商品、お供えや御礼を売上の代金と考えれば、宗教もMLMもあまり変わりません。」

ハ「そうすると、月次祭や各集会、祭典などもMLMでいうイベントやミーティングなどと考えられますね。」


責「聞くところによると、MLMの大きなイベントでは『成功者』といわれるタイトルホルダーとか収入を揚げた人が舞台の上で話をするそうですが。」

ハ「はい。業界ではセミナーとかラリー等と呼ばれる大きな集まりでは定番の内容ですね。商品の事とか会社の事なども話しは出ますが、多くの聴衆(会員)の興味を惹くのは、どうしたら成功できるか、どうしたら収入を上げられるか、という事でしょう。」


責「なるほど、天理教の感話、講話でも、人助けの体験談とか、信者さんを増やした方法とか、定番の内容ですね。」

ハ「あぁ・・・、信者さんをMLMの会員と置き換えれば、お話の趣旨は似てるかもしれない・・・。」


責「まぁ、宗教をビジネス的に捉えれば、の話ですけど、基本的には宗教で生活をしている人達がいるという事は、『商売』『ビジネス』としての側面を持つのは何処も一緒です。そして、天理教の場合は、末端教会にとってあまりにもMLM的なブラック=ビジネスモデルだと言えます。」

ハ「他の宗教団体とはまた違った部分が多い、という事でしょうか?」


責「あのオウム真理教が、天理教をモデルにして信者組織を作ったり、お金集めをしたというのは有名な話です。そのくらいブラック的な要素が多いです。というのも、他の宗教では、教義や教えの部分でお金に関する事はあまり触れないのが一般的です。でも、天理教の場合は『教祖の道すがら』でお金に関する話が目いっぱい出てきますよね。」

ハ「あぁ、確かに。ええと、教祖伝では貧しい人への施しのためとなっていますが、屋形を取り払って田畑を質に入れて貧に落ち切ったと・・・。」


責「嘘で塗り固めた教祖伝ですけど(笑)。その虚構の道すがらを辿りなさい、真似しなさいというのが教義の根本になっていますから、大問題です。信者さんが直接貧しい人への施しをするならまだしも、教会に出させるのですから困ったものです。」

ハ「そこは何とも・・・。」


責「あぁ、失礼。話が逸れました(笑)。似たようなビジネスモデルはお茶やお花の家元制度のように既にあったと思っています。それを宗教の組織に取り入れたというのが当時としては画期的だったのではないでしょうか。」

ハ「しかし、売上を全部上にあげろというのでは、ビジネスにならないのでは?」


責「下の者達にはそう言っておかないと、と言ったところでしょう。教祖伝などを紐解いても、秀司がお札や魔除け虫よけの『肥のさづけ』などを販売していた経緯がありますが、当初は、本部もそういう販売とか御礼を受取る形から、信者が増えるにしたがって方向転換したのではないかと思えますね。」

ハ「なるほど、そういうビジネスを承知で飛び込んだ、信者になって布教した人も多かったと・・・。」


責「中山家が貧のどん底から富貴になる、教会建物は豪壮になり、土地も広がっていく、これも全て神様のご守護であるというのを眼に見せて信者を増やしていたのではないかと考えられます。」

ハ「あぁ、MLMでも、タイトルが上がって稼いでいる人は、ポルシェを買ったとか、高級マンションに住んでいるとか、月の半分は海外に遊びに行ってるなどと『贅沢な暮らしをしている』というのがウリになりますから、本部がそれをやって見せたのかもしれませんね。」


(続く)



世間ではコロナ騒動が連日TVを賑わし、毎日のように新規感染者の人数が発表されている頃、久しぶりに責任役員さんから呼び出しを受け、つとめ場所を訪ねた。



責任役員「ハルアキさん、いらっしゃい。久しぶりですね。」

ハルアキ「ご無沙汰してすみません。責任役員さんはお元気でしたか?」

責「はい、おかげさまで。ハルアキさんはいかがですか?コロナで健康や仕事に問題はありませんか?」

ハ「えぇ、健康には問題ありませんが、仕事の方は在宅ワークが増えました。何処もかしこも自粛で人に会うことが出来ませんから。」

責「そうですね、こちらでも人に会う、人が集まることが制限されていますから、信者さんの集会や月次祭も自粛状態です。」

ハ「それはそれは・・・。教会も寂しくなりますね。」

責「今回のコロナは、若者や丈夫な人が感染してもそれほど問題は無いようですが、基礎疾患で免疫力の落ちている人やお年寄りが感染すると危ないらしいので、自粛せざるを得ませんね・・・。」

ハ「なるほど、責任役員さんも大変ですね。」

責「いや、おかげで古い書物を読んだり、調べ物をしたり、ネットで情報収集する時間がとれて、充実していますよ(笑)。」

ハ「なるほど。悪い事ばかりではないという事ですね?」




責「それで、かねてからハルアキさんが興味を持っていた、どうして教祖が亡くなってから短期間の間に天理教が全国に広がり、大正から昭和初期に掛けては700万人とも800万人とも言われる、実に日本人の1割もの人たちが信者になっていたという点について考えていたのですよ。今日は、その事に付いてハルアキさんに聞いて貰おうと思っていたのですよ。」

ハ「本当ですか?」


責「まずはこれまでの話を復習してみましょうか。」

ハ「はい。今までのお話しですと、教祖が亡くなる前に本席から『扉を開いて』というおさしづがあり、教祖が亡くなる(扉を開く)事で神様が教祖の身体から飛び出して全国に働きかけて広がったと。」


責「そうでしたね。」

ハ「でも、その説明だと、普段、オカルト摩訶不思議を排して教義を追及する責任役員さんのスタイルに合いませんよね?元々、教祖の身体に神様=人間を超越した力を持つ存在が入り込んだ、なんて認めていなかったのですから。」


責「はい、自分でも説明がつかなかった部分です。あくまで教祖の思考のたまものである教えですから、教祖が亡くなったからといって不可思議な力を発揮する訳ではありません。もし、何らかの力が働くとすれば、教祖が亡くなった事によって残った人たちが発奮して頑張った、という事ですね。」

ハ「なるほど、殉教者や革命の戦死者が英雄としてまつられ、残された人たちが発奮して大きくなるというのはよくある話ですね。」


責「はい。でも、これも以前お話しした通り、教祖の教えは明治政府と真っ向から敵対するような教えですから教団としては教祖の教え通りには説けないという事情があった。」

ハ「応法の理、という訳ですね?」


責「そうです。そこで政府の公認を得るために『神道天理教会』として東京に天理教本部が設立され、本席の命令でお屋敷に移転した訳です。」

ハ「そこでは、教祖の教えにはない『たすけたまえ天理王命』という座りつとめが教えられていたとか・・・?」


責「でも今の教団からは、教祖の教えではない、という話は出てきません。」

ハ「そりゃぁ、まぁ、そうでしょうね・・・。」


責「教祖が亡くなった段階で、教祖の教えを正しく伝えようとする派閥と神道天理教会として力を付けようとする派閥があって、それぞれで教えや伝える内容が違っていたと考えていたのですが・・・。」

ハ「当然、違いますよね?」


責「そして、広く伝わったのは教祖派の方だと私自身考えていました。」

ハ「まぁ、普通に考えれば、神道派の教えは政府の後押しがあったとはいえ、内容が内容ですから、早々広まるとは考えにくいですね。教祖派の人達が布教して、その教会や信者さん達を神道派に乗っ取られた、と考えるのが妥当だと思いますけど。」


責「そう考えるのが自然なのですけど、色々調べていくとそうでもなさそうなのです。」

ハ「どういうことでしょう?」


責「まず1点は、いわゆる不良教師事件です。」

ハ「ええと、教祖派の布教師、教師達が追放された事件ですね。確か、明治三十・・・。」


責「明治37年です。教祖派の泉田藤吉を始め、1400名の布教師が放逐されています。これは、教祖派にとっては大打撃で、主な教祖派が一掃されたと言えるでしょう。」

ハ「なるほど、一度に1400人もの布教師が放逐されては、ただでさえ少ない教祖派は壊滅でしょう。」


責「ええ、でも、その後も天理教の強勢は伸びているのですよ。そして、大正から昭和初期には7~800万人にもなったと伝えられています。」

ハ「なるほど。神道派の教えでも広がっていた、という事ですね?
そうすると・・・天理教の広がりは教祖の教えが主な理由ではない、と?」


責「私としては認めたくない事ですけどね・・・。」

ハ「それはそうでしょうが。」



責「さらに言えば、天理教に対する世間からの評価です。」

ハ「世間からの評価?」


責「はい。以前お話しした事があったと思いますが、天理教は『屋敷を払ろうて 助けたまえ てんてこ舞の命』などと揶揄されていた、という事です。」

ハ「はい、聞きました。天理教に入ると財産を残らずお供えさせられるとか、身代を潰すとか、まぁ、神様がお金を使う訳はありませんから、本部や大教会が贅沢三昧していた、というお話しでしたね?」


責「教祖の教えであれば、そんな搾取やお供えで身代を潰すような強要はしないはずなのです。先人たちは『この道は骨折り損の損のしっ放し』という言葉を残すくらい、見返りや要求をせず、ただ人助けに邁進していたはずです。こういう教祖の教えではない天理教の搾取体制やお話しがいつ位から広まったのか、という事です。」

ハ「なるほど、先ほどの不良教師事件を考えると、明治37年前後、という事になるでしょうか?」


責「はい。その事に関して、明治後半から昭和初期に掛けて、天理教の問題点や批判が新聞記事や本として出版されていたのはご存知ですよね?」

ハ「えぇ、改めて読んだ訳では有りませんが。」


責「まぁ、奈良県の寒村で産声を上げた宗教が、10~20年の間に当時日本最大の宗教団体に成長した訳ですから、当然、批判や反対は有ったでしょうし、中身を研究調査する学者や関係者も多数いたでしょう」

ハ「そうですね、出る杭は打たれる、とも言いますし。」


責「で、社会学掲示板に投稿された内容なのですが、明治35年発行の『天理教の害毒』という本に『金銭を妄りに寄付せしむる社会上の害毒』という項目と内容が記載されているのです。」

ハ「明治35年発行という事は、不良教師事件よりも前ですね。」


責「明治35年出版の本にこのように書かれているという事は、それより以前からそういう、金銭を妄りに寄附せしむる事が行われていたという事です。おそらく、2~3年前どころか、もっと前からでしょう。」

ハ「そうでしょうね。そもそも、教祖の教えでお供えだの金銭的要求をされない信者さんや教会が、仮に神道派の人達に乗っ取られたからといって、すぐさまお話しや教えの中身がガラッと変わったら、寄付も信仰もしなくなりますよね?」


責「もう一つ、明治29年に出された内務省秘密訓令はご存じですね?」
ハ「たしか、天理教が戦争に協力しないという事で内務省から天理教の取締りを強化する訓令が出された、という事でしたね?」


責「その内務省秘密訓令が天理教を取り締る理由として『妄りに寄附をなさしむる』というのが挙げられているのです。」

ハ「明治29年の時点でそれが挙げられているという事は、すでに『妄りに寄附をさせていた』という事になりますね。遡れば、明治20年代の中ごろか・・・。」


責「いつから寄付をさせるような布教が始まったかという事を考えると、もう、初めの頃からそうだったのではないかとしか考えられませんね。」

ハ「初め頃からですか。」


責「こういった資料から推察すると、ですよ。本席を中心とする教祖派の人達は教えを広めたかった、教祖の教えを伝えたかった。でも、教祖の教えでは認可も受けていませんし、組織として弱い。つとめ場所は神道派の神様が祀られ、かんろ台を建てようとした場所も中山家の敷地です。お屋敷に来る人たちに教祖の教えてくれた神様の話をしようとも出来なかった。そこで、神道派とは席を分けてお話をするようになった訳です。」

ハ「別席制度の始まりですね?」


責「とはいえ、席を分けて神様のお話しをしても、教祖の看板を背負って政府から認められた教会として営業しているのは、神道派の初代真柱真之亮です。体制や組織的な面では、これに従わざるを得ません。本席を始め教祖派の人達は忸怩たる思いで過ごされていたと思いますけど。」

ハ「いわゆる、応法の理というやつではないのですか?」

責「普通に応法の理と聞くと、教祖の教えを守り伝えたいけど政府の取締りがあるので已む無く教えを歪めて伝えていた、と解釈されています。この解釈は間違いではないのですけど、ポイントは、応法の理として已む無くというのは教祖派の人達だけの話で、神道教会派は最初から政府の方針や組織体制、お供えを揚げさせる制度や仕組みを取り入れ、教祖の教えに逆らいながら自分たちの立場と利益を確保する方便として『応法の理』という言葉を使っていたと考えられることです。全国に広がる信者組織や教会には、本部の教祖派の人達だけでは目が届きませんので、どのようなお話しや教えがされているかは本席にも把握できなかったでしょう。」

ハ「信者さんとしては、せっかく席を分けて教祖の教える神様のお話しを聞いても、その後に組み込まれる組織や教会が全く教祖の教えと相容れない神道教会のお話しですから、不思議に感じたり疑問に思ったりした人も居たのではありませんか?」


責「居たかもしれませんが、そういう疑問から目を逸らさせる『目玉』となるモノがあったのです。私が思うには2つの大きな『目玉』があります。」

ハ「2つの目玉ですか?」

(続く)