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三下り目(その2)

六ッ むりなねがひはしてくれな ひとすぢごころになりてこい
七ッ なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする

役「とはいえ、人がその置かれている環境や状況を今すぐ全く違うモノにする事は出来ません。
でも、その置かれている環境の中で、自分の値打ち、その価値を十分理解して、
『互い立て合い助け合い』
に目覚めて行動するなら、生きる目標や行動の指針を
『一列兄弟世界ろくぢ』
を目指して行くなら、その時から誰でも陽気づくめの世の中、勇んだ心とやり甲斐のある働きが出来るのだよ、と教えてくれているのです。」

ハ「ええと、例えば、子供が『〇〇ちゃんの家の子供に生まれてくれば良かったのに』なんて言う事は『無理な願い』でやめてくれ、というような事ですか?」

役「そうですね。まあ、子供の言う事なら仕方がないと思いますけど、大人になったら、成人したらそのような事ばかり言っていたら笑われてしまいますし、そんな事が実現する訳が無いのは誰でも理解しているでしょう。

そんな無理な願いをするより、月日親神の気持ちに沿った『ひとすじごころ』で毎日を歩む事が大事なのだよ、という事です。
ひたすら『ご守護を下さい、結構な状態にして下さい』などと月日親神を自分の欲や願望に従わせるのではなく、神様に合せて自分の心を切り替えていく事が『ひとすじごころ』です。
陽気ぐらしをするように産み育てられてきた人間が、
『互い立て合い助け合い』
をして陽気づくめの世界を味わって欲しいとういう神様の想いに沿う事です。」

八ッ やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん

役「と言われているのは、『やむ』というのが個人的な病気や身上だと受け取ると、全体がおかしな事になってしまいます。

人間の身体もこの世の物や動植物に至るまで、全てが月日親神が創ってくれた『借り物』なのですから、これが『互い立て合い助け合い』で十分に働いている状態、それぞれが、他の何かの為に役に立っている状態が『いさむ』であり、その逆、争いや倒し合い、傷つけ合う状態を『いずむ』と言っている事が理解出来れば、この『やむ』というのが決して一個人の病気や身上の事を言っているのではないと分かります。

自分が月日親神の心である『互い立て合い助け合い』に生きていない、違う方向に向かっていれば喜べないという事を心に修めて、日々の行動が神に沿った方向に向かっている『ひのきしん』に励んでほしい、と諭されています。

人は、真実を知る前には誰かからの命令や世の中の常識などに従って生きて居られる、生活できるのですが、それに疑問を感じたり、真実とは違うという事が分かってしまうと、その環境の中では喜ぶことも出来ないし、勇んで毎日を過ごすことも出来ません。

それこそ、ストレスと精神的苦悶の中で毎日を送ることになりますので、心だけでなく肉体的にも血圧だとか胃腸の状態だとかに影響が出て、本当の病気や身上になって現れてくる訳です。
さらには、そんな環境社会そのものも、歪みと矛盾が大きくなって、社会全体が『やんで』しまう事になります。 

過去の日本の歴史、明治政府の国家神道が戦争への道へと繋がった事、西欧列強がアジア・アフリカ諸国を植民地にして原住民から富や土地を奪い、奴隷制度の下に虐げていた事、それらの結果が二度の世界大戦へと結びついたと言えるのではないでしょうか。

勿論、今現在もその流れは続いています。日本は戦争に直接参加はしていませんが、紛争や国家間の戦争は絶え間なく起こっていますし、今でも国内紛争が解決していない国や地域が沢山あります。
石油利権や富を奪い合う為に、中東では血と火薬の臭いが消え去る暇が無いくらいです。世の中や社会に影響力を持つ人、立場や資産を抱えている人達の『月日親神の想いと反する心』がこのような世界的なやまいを引き起こしていると言えるのではないでしょうか。」

ハ「いや、まぁ、そこまで大きなお話になってしまうと何とも言えませんけど、まずは自分の身の回り、銘々の生活や関わりのある社会の改革改善から始めよう、という所ですね。」
役「そうですね。」

九ッ ここまでしんじんしたけれど もとのかみとハしらなんだ
十ド このたびあらはれた じつのかみにはそうゐない

役「人間を拵えた時から、陽気づくめの世にしたい、そうあって欲しいと思っていた月日親神ですから、元拵えた神様、真実の神様であることに間違いはない、それを理解して、その月日親神の想いを心の社として、働くことが私達の信仰です。

かりにも、助けとか救いという事を考える宗教なのですから、現世の苦しみや多くの人の難義のとなる原因、世俗や社会を支配している、動かしている権力や政治体制なども是正していかなければなりませんし、その方向性や政策の先の事も見極める必要があります。
また、権力からの保護や開放も考えなければなりません。そこには、世俗の政治や権力より強い意志を持つ神や仏の存在が必要になってくる訳です。多くの人の全ての人の幸福と繁栄を考えたら、一部の人や特殊な団体などの横暴や我がまま等は許してはいけない事なのです。

日本の歴史から学ぶべきことは、権力者の祖先を神として祀った日本の国家神道は否定されるべきモノであり、徳川幕府の為の思想統制と民衆教育機関になり下がった寺社仏閣は世界助けや人民の救済など全くできない単なる権力者の下請け出先機関になってしまったと言えるでしょう。
ただひたすら、自分達の教団・組織の安泰を図り、その維持運営の為に権力者を正当化して民衆を圧迫支配するような宗教には何ら存在価値は無いのではないかとすら思えます。
そんな宗教が衰退するのは、時代の流れともいえる事でしょう。
厳しい言い方をすれば、中山みき様の教えに背いて、応法の道を説き復元されない教団の存在価値、そしてその命運も、全体から見れば明らかだと言えるでしょう。」

ハ「なるほど、分かります。」
役「私達は、中山みき様の教えを繋ごうと考えるなら、『元の神とは知らなんだ』『実の神には相違ない』という、いかなる権力者よりも、いかなる力を持った人達よりも尊い月日親神の存在に目覚め、信仰の原典にしなければならない訳です。」



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