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『人を助ける』とは?その2

役「『何をしてくれる』という考え方はちょっと違いますが、それを考えるのに、みかぐらうたから引用させて頂きますね。

三下り四つ ようようここまでついてきた  じつのたすけはこれからや
   五つ いつもわらわれそしられて  めづらしたすけをするほどに
四下り五ツ いつもたすけがせくからに  はやくようきになりてこい
   六ツ むらかたはやくにたすけたい  なれどこころがわからいで
   七ツ なにかよろづのたすけあい  むねのうちよりしあんせよ
五下り一ツ ひろいせかいのうちなれば  たすけるところがままあろう
   二ツ ふしぎなたすけはこのところ  おびやほうそのゆるしだす
   七ツ なんでもなんぎはささぬぞえ  たすけいちじょのこのところ
   八ツ やまとばかりやないほどに  くにぐにまでもたすけゆく
六下り二ツ ふしぎなたすけをするからに  いかなることもみさだめる
   四ツ ようこそつとめについてきた  これがたすけのもとだてや
   五ツ いつもかぐらやておどりや  すえではめづらしたすけする
十下り二ツ ふしぎなたすけをしていれど  あらわれでるのはいまはじめ
   六ツ むごいことばをだしたるも  はやくたすけをいそぐから

という風に、十二下りの中で14回も「たすけ」が出てきます。これだけ考えても中山みき様の教えは「たすけ」が中心・重要な事だと分かります。で、この中にも「じつのたすけ」「たすけあい」そして「ふしぎなたすけ」が3回、「めづらしたすけ」が2回出てきます。

仮に、仮にですよ。先ほど言った『事情身上のたすけ』が中山みき様が意図する教えてくれた「たすけ」だとしましょう。
そうすると、この「じつのたすけ」「ふしぎなたすけ」「めずらしたすけ」は何を意味するのでしょう?どんな「たすけ」なのでしょうか?ハルアキさん、どう思います?」

ハ「そうですね・・・。『じつのたすけ』ですから、中途半端ではなく『徹底的なたすけ』とか、『ふしぎなたすけ』は、事情身上がその場でスッキリ解決する、治ってしまう、とかですかね?伝記や逸話編にも眼の見えない人がスッキリご守護頂いたとか、真実誠をお屋敷に運んだら精神的病が治ったとか、幾つかあったと思いますけど。ええと、『めずらしたすけ』は・・・ちょっと区別が出来ませんね。」
役「なるほど。そうすると、中山みき様の教えようとしていた『ふしぎなたすけ』と『めずらしたすけ』は、医者にも見放されたような人にスッキリ治療をする魔法のような『たすけ』という感じでしょうか?癌が治ったとか、くも膜下出血で倒れた人がその場で回復したとか。」

ハ「はぁ、ちょっと疑問はありますけど、天理教の中ではそういう話もありますよね?」
役「事実かどうかは分かりませんが、たまに信者さんの中からそういう話が出てくる事は否定しません。後は、そういった事を更に考えると、お金に困っている人が信仰して宝くじが当たったとか、競馬で大穴当てたとかいう『ご守護』になるのかな?先程の道路の陥没ならその場で穴が塞がったとか、土砂崩れが起きても不思議な助けで崩れた土砂が元に戻ったとか、かな?」

ハ「ハハハッ、そういう金銭的な話は疑問ですね。元々『貧に落ちきれ』が教えの根幹なので金銭的ご守護は無いのでしょうか?道路の陥没が跡形もなく消えたとか土砂崩れが元に戻ったって、映画の逆回しという訳では無いのですから有り得ませんよ。」
役「まぁ、そういう理屈も、多くの人が何となくそう思っている部分だと思いますけどね。後は、嫁姑問題で悩んでいる人が、一夜の間にも実の親娘のように仲良くなったとか、ブラック企業で苦しんでいる人が突然超ホワイト企業から引き抜きにあって、給料は増える休みも増えて楽になったとかいうご守護があれば『ふしぎ』ですかねぇ?」
ハ「それは『ふしぎ』ですね。」

役「あと、先程の伝記や逸話編、信者さんの間で話される中山みき様の『ふしぎなたすけ』というかハッキリ言えば『魔法のような病たすけ話』なんですけど、本席を始め他のお弟子さんにはそういう話が一切ないのはどうしてでしょうね?まぁ、一部教会ではそういう人がいたとか、初代がそういう力を持っていた、なんて所もありますけど、中山みき様の周辺にはいませんね。」
ハ「たしかにそうですね。他の人はそういう力を持っていなかった、授けられていなかった、ですか?」

役「いや、元々、中山みき様がそういう『超常的な力や魔法のような病だすけの力』を持っていたとする方がおかしいのですよ。」
ハ「なるほど。」

役「何と言っても中山みき様は『ひながた』とされています。元からそんな超常的な人助けの力を持っていた人を『ひながた』にするのがおかしいし、天理教で言われているような『天から神様が降りて来て宿った』と云うのが本当なら、人間は何もせずに神様が下りてくるのを待っていれば良いだけになってしまいます。」
ハ「しかし、何もせずに待っているだけでは神様が降りて来るかどうかなんて何の保証もありませんから、そこは『中山みき様を目標にひとだすけに精を出している人』に降りて来るとか・・・。」

役「ハルアキさん、自分で言っていて、矛盾に気が付いていますよね?言葉を出すのが苦しそうです。」
ハ「ええ。先程からの話を総合すると『事情身上のたすけ』だけで考えると矛盾が出てしまう。それを解決するのはオカルト摩訶不思議の世界になってしまうので、理論が破綻してしまいます。ただ、そういう『事情身上のたすけ』は必要ないとか関係ないという風に断言できないような気がして・・・。」
役「それが正解だと思います。『事情身上のたすけ』は必要というか基本なのです。そこがスタートである事は間違いありません。でも、中山みき様の教えは『事情身上の無いと思われている人を含めて世界中全ての人をたすける教え』だという事です。」

ハ「たしかに、経済的に豊かだとしても幸せとは限らないし、今は健康でも人間いつ何時事故にあうか病気になるかは分かりませんからね。でも、そういうのって仏教の世界のように思えますけど。」
役「良い所に気が付きましたね。確かに仏教では世の中の思うようにならない事として、四苦『生・老・病・死』と『愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦』の4つを合わせて、四苦八苦と呼んでいます。これらは無くそうと思っても無くなるものではないので、逆に、これらに執着して気に病んだり悩み続ける事そのものを『煩悩』としています。」

ハ「結局、煩悩を捨ててあるがままに受け入れなさい、という事になりますか?」
役「まぁ、四苦八苦をどうするかはその道の専門家に任せるとして、中山みき様は全く違う方向に行っている、行っていたと思いますよ。」

ハ「全く違う方向ですか?ちょっと想像できないのですが。」
役「まずは、先程の『事情身上のたすけ』だけではなく、『世界中全ての人をたすけたい』という部分です。つまり、中山みき様の立教の段階で『全ての人がたすける対象』だったという事を考えなければいけません。おそらく、今現在も『全ての人がたすける対象』でしょうし、そういう『たすけ』が中山みき様の教えであり内容だと理解しないと、いつまで経っても『皆が陽気に暮らせる世界=陽気づくめの世界』は実現しないと思います。」
ハ「今現在、困った事や悩みがない人でも『たすけ』の対象である、という事ですか?」

役「そうですね。今現在『事情身上の無い人』でも『陽気ぐらし』をしているかどうか、と考えた場合、どう思いますか?」
ハ「それは、そういう立場や環境でそれぞれが感じる事でしょうから何とも・・・。でも、スポーツ選手や芸能人など、収入や生活ぶり、大きな家に住んだり高級車に乗ってそれなりの暮らしをしていますよね。先の事は分からないとはいえ、若いうちに十分な貯えをして老後も心配ない生活をしている人が居るでしょうし。あるいは、大企業の経営者家族や大物政治家とか高級官僚と言われる人達も、普段の生活もそうですけど、退職金まで世間一般の人より多いですよね?」

役「まぁ、それが私達の世間一般の価値観や考え方だと思います。それなりの収入があってそれなりの生活を送ることが出来れば、『幸せ』だし『陽気な暮らし』じゃないか、という。」
ハ「それが違う、という事でしょうか?」

役「はい。実際にそういう人達は『幸せ』を感じているのでしょうか?毎日の生活が充実していて、気力や気持ちが喜びにあふれている『いさみ』の毎日なのでしょうか?そうではないのではないか、決してお金や周囲の人と比べて、高級なモノを持っているからといって幸せとか喜び溢れた生き方は出来ないのではないか。という今現在のそういう価値観では『人間は陽気ぐらしできない』し『成人も出来ない』と教えているのが『みかぐらうた十二下り』なんですよ。」
ハ「確かに『幸せは他人との比較や銀行口座の残高で決まるモノではない』とも言われますよね。」

役「逆に言えば、そういう他人との比較や資産の過多で幸せかどうかを判断する『心』が問題なのです。身体は『貸しもの借りもの』なのですから、どのように使うか、使わせて貰うかで『心が喜びを感じられるかどうか』に繋がります。勿論、豊かで便利な世界、世の中の方が良いのは間違いがありません。でも、現在のように偏った豊かさや資源や利権を奪い合うような世の中は、人間の心が歪んでいるから発生している訳です。その辺りも十二下りで教えて下さっています。」
ハ「なるほど、教えはそのように繋がっているのですね?」

役「ええ、教えの言葉はほぼ全て繋がっています。単独に取り出してしまうと、個人個人で勝手な解釈になってしまうので、全体が滅茶苦茶になってしまうのです。それに、従来のおつとめの方法では『十二下り』ですら神様に対するご祈祷や奉納の手踊りみたいになってしまっています。それでは、心の入れ替え、つまりは銘々が中山みき様の教えてくれた『本当に生れ変った人間』になれないし、陽気づくめの世なんて実現出来ませんから。」
ハ「なるほど。では、まずは『十二下り』の意味を考えないといけない、という事ですね。」
役「はい、長くなりますのでじっくり考えていきましょう。」



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