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教理勉強について(4)

ハ「おふでさきに書いていないモノが教理として平然と語られている事にも問題があるように感じます。」

責「五つの埃が八つの埃になって、その内容や解釈も歪んでしまった。こういった事も『神の心を受け入れられない考えや価値観』の圧力というか、対立の結果でしょう。なにしろ、『神の心を受け入れられない』という事は、『神の心に真っ向から反対する、対極にある価値観』ですから。こういった事はキリスト教などにも語られている事で、聖書の中にもイエスが『眼の中の丸太』と言っています。」


ハ「眼の中の丸太ですか。どういう事でしょう?」

責「私は日本語訳の聖書しか読んでいませんし、文章そのものは忘れてしまいましたので間違っているかもしれませんが、
たしか、イエスが神の心を受け取ることが出来ない人たち、聖書の中では律法学者とかファリサイ派の人達と呼んでいますが、その人達に向かって

『あなた方は民衆に向かって、眼の中のおがくずを取りなさいと説法をするが、何故あなた方自身の眼の中の丸太を取り除こうとはしないのか?』

と批判する場面があります。
この、おが屑にしても丸太にしても、神の心と違う、神の言葉を見ることが出来ない、神の教えを受け取れない人達が持つ考え方や価値観です。」


ハ「おが屑に対して丸太とは、ずいぶん頑固な考えというか、なんというか。ちなみに、イエスの言う丸太とは、教祖の言う埃と違いがあるのでしょうか?」

責「イエスは、丸太が何であるかを具体的には言っていません。

あくまでも例えとしておがくず、丸太と言っているだけなので、どのような考えや価値観の事を指すのかは聖書を読んだ人が自分で判断するしかありません。

その点では、中山みきさんは

『おしい、ほしい、かわいい、よく、こうまん』

と具体的に言っています。

イエスは『神の国』という表現で神の心が実現された社会や世の中の事を言っていますが、中山みきさんは元の理から始まる『かんろだいつとめの世界』で神の心が実現された社会や世の中の事を教えています。

かんろだいつとめの意味や内容については以前もお話ししましたので省きますけど。」


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ハ「あれ、ちょっと待ってください。キリスト教では人間社会とは別の、死後の世界として善人や教えを受け入れて悔い改めた人達が行ける世界として、神の国とか天国の事を教えていますよね?」

責「そういう解釈が一般的だと思うのですけど、そこも一歩踏み込んで考える必要があるでしょう。仮に、キリスト教が死後の世界としての神の国や天国の存在を主張しているだけなら、この世、人間が生きている間にするべきことは、死後に天国に行きたいから教えを守り、地獄に行くのが嫌なら悪い事をしてはいけない、という教えになります。」


ハ「そうですね。そういう宗教ではないのですか?」

責「じゃぁ、天国も地獄も死後の世界なんて信じない、という人達に対してはどういう説明をしますか?」


ハ「ええと、そういう人達は神様の存在そのものを信じないのだから、説明出来ませんし、説明する必要もないでしょう。」

責「そうなりますよね。でも、イエスの言った神の国、天国を、今この世で生きている人達の社会で実現するために『悔い改めなさい』と説いていたのだとしたら、どうでしょう?」


ハ「あれ?それは、本当の話ですか?仮定の話ですか?だとしたら、と言うのですから仮定の話ですよね?」

責「はい、仮定の話です。ハルアキさんはイエスの教えが、死後の世界に天国に行くか地獄に行くかの違いがあるから、生きている間に悔い改め神の言葉を受け入れて生活しなさい、という教えだと理解している訳でしょう?」


ハ「そうではないのですか?少なくともキリスト教ってそういう教えだと思っていましたが。」

責「生きている間に悔い改めれば天国に行けるという教えなら、極端な話、死ぬ直前に悔い改め洗礼を受ければ良いのだから、それまでは好き勝手な生き方をしよう、という解釈も成り立ちませんか?」


ハ「まぁ、そう言われればそうなのかもしれませんが、実際のキリスト教ではどう解釈しているのでしょう?」

責「知り合いのキリスト教関係者に質問した限りでは、そのような都合の良い考え自体が神の受取る事ではない、と言ってましたけどね(笑)。」


ハ「まぁ、そんな考えでは、死ぬ間際に本当に悔い改めたかどうかも分からないし、それで天国に行けるとなると早くから悔い改めた人に失礼というか、不公平のように思えますが。」

責「まぁ、普通に考えたらそうなりますよね(笑)。
でも、神の世界、神の思し召し、神の物差しで見たら、そうとばかりも言えません。
というのは、イエスの言葉でも『罪深い者ほど赦される』という趣旨の内容が沢山あります。お金持ちが神の国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しいとか、身を売って生活の糧を得ていた娼婦などが真っ先に救われる、などという話もあります。
我々の人間世界で当たり前とか常識だと考えられている尺度や価値観と、神の世界の価値観は違う訳です。」


ハ「我々人間社会の常識や当たり前などの考え方では、世の中はダメだと?」

責「当然です。現実世の中は、仏教では『苦の世界』ですから。実際、絶えず世界中で戦争や紛争は起こっています。貧富の差は広がる一方だし、貧しい国や子供たちは今日食べるパンもない、なんて事がある訳です。」


ハ「その点、日本は平和で豊かですよね。本当に良い国だと思います。」

責「何を言ってるんですか。戦争や紛争はないものの、日本だって貧富の差はあるし、差別や凶悪犯罪は無くなりません。特に、ここ20年以上も続くデフレで国民全体が貧しくなっています。子供の貧困問題、国民全体の実質所得の減少、災害の度に指摘されるインフラの未整備、お年寄りの交通事故やブラック企業の問題、毎年の人口当たりの自殺者数は世界でも類を見ないほど多い、などなど、挙げたらキリがありませんよ。」


ハ「え、あの、日本の経済や政治、社会の様々な問題があるのは確かですけど、それとこれとは。」

責「ハルアキさん。そういう現実の問題の殆どは、多くの人が持っている『神の心を受け取ることのできない考え方や価値観』から起こっている事です。

社会全体の『心どおりの守護』の姿です。

東日本大震災で亡くなられた方、行方不明者は18,000人を超えるそうですが、日本国内で毎年の自殺者は30,000人を超えます。
今でも避難所生活をされている方が大勢いるし、建物や建築物への被害は地震の方が圧倒的に多いでしょうが、人命だけでいうなら毎年の自殺者の方が多いのです。
インフラや建物はお金を掛ければ修復する事は出来るでしょうが、亡くなられた方の命は戻りません。」


ハ「政治や経済と宗教は別だと思うのですけど。」

責「キリスト教の『神の国』や中山みきさんの『かんろだいの世界』に政治や経済は無いと思いますか?

キリスト教の『天国』や『神の国』は死後の世界の事なので、その世界の人間たちは飲み食いも着る物も必要とせず、生産も消費もしないから現実のような経済とは無縁の世界だと言う人がいるかもしれません。

あるいは、食べ物も人が望んだり考えただけで何処かから湧き出て来るとか言いそうですけど。

でも、現実社会に生きている私達が、現実社会の政治や経済を全て棄てて生活は出来ません。

勿論『神の国』や『かんろだいの世界』と違うからと言って全てを否定する訳でもありませんし、今すぐ全てを変えろと言っている訳でもありません。
しかし、宗教や信仰が今現在私たちの生きている世の中を『神の国』や『かんろだいの世界』に導くものでなかったら、信じる事も考える事すら無意味になってしまいます。

みかぐらうた12下りの1下り目が経済の教え、2下り目が政治の教えだという事は以前にもお話ししましたよ。」


ハ「あぁ、そうでした。」

責「『神の国』と『かんろだいの世界』が同じものだと言うつもりはありませんが、どちらも神の理で運営されている状態です。

理想と言われればそれまでですが、そこにこそ人間社会、人間個々人が目指すべき生き方や社会があるのではないでしょうか?

そういう社会に少しでも近づく為に働くのが『ようぼく』たる役割です。今の社会の中で産み出される難渋を助けるのも大事な人助けですけど、それで終わりではないと言えます。」






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