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役員さんの関西土産その4


役「まず、これは私の経験と知識で言う事なので、真実事実とは異なっている点があるかも知れない、という事をお断りしておきますが・・・。」
ハ「はい、いつも通りですね?(笑)」

役「そうです(笑)。まず、明治の国家神道、天皇神道で国民の尊敬・信仰の対象を天皇に集めた、集める必要があった訳です。そして、天理教は、弾圧を受ける事を避けるため、逮捕拘禁されないように、教会とか宗教である事を認めて貰う、承認を得るために、中山みきさんの教えを封印し、国家神道の教えを『仕方なく説かなければならなかった』というのが『応法の理』と言われるモノのストーリーです。でもそれなら、『中山みきさんの教えをキチンと守り伝えながら、今は情勢が悪いので表面上は国家神道の形式や教えを説く』という信仰の方法が、あるべき姿です。」
ハ「隠れキリシタンならぬ隠れ天理教ですか?」

役「なるほど(笑)。そして、そういう国家の圧力や方針が変わったら、すぐにも皆が喜んで『中山みきさんの教え』だけを説く、となるはずです。」
ハ「そうですね。」

役「ところが、現実はそうじゃない。旧態依然の組織体制と神への奉仕を説き続け、信者や末端から尽くし運びをさせ続けて来た。『天皇は神だから服従しなさい』という国家神道の天皇が人間になったのに、その代わりに『教祖様は神、真柱は教祖=神の子孫だから神』と入れ替えただけのような信仰を強いています。いや、信仰や教えだけではない。封建的な組織体系も、それを維持する血統主義や世襲制度も、江戸時代そのままの身分制度を残しています。」
ハ「応法の理が続いていたと?」

役「応法の理だというなら、内部では本当の教えが説かれていなければならない筈ですから、応法の理という言い訳をしながら、本当の教えを排除してきた、あるいは、最初から本当の教えなど説く気が無かった、と考える方が妥当です。現在でも、信者や教会によって教えがバラバラだったり解釈が異なったりするのは、本来、隠れながらでも伝えなければならない中山みきさんの本当の教えが伝わっていない、伝えていないからです。」
ハ「しかし、戦後に『復元』という動きがあったのでは?」

役「それ自体もおかしい事なんです。『復元』だとか言われなくとも、あちこちから声が上がらなければならない筈です。中山みきさんの教えを陰ながら伝えていたならば。それが全く上がらない。ほんの一部はあったのかもしれないけど、封じ込められたリ追放されたり、全く知られていません。この事から考えても、本部が何をしてきたか、考えていたか、容易に想像できます。」
ハ「ううむ・・・確かに。」


役「いや、今回、ちょっと古い資料が手に入ったので、昔の事を想像してしまいました。ハルアキさんもお付き合いくださり、ありがとうございます。」
ハ「いえいえ、こちらこそ。」

役「さて、お土産の最後はこれなんですが、どうぞ。」
ハ「なんだ。出来れば最初に出して欲しかったですよ(笑)」
役「これは失礼。大好物なのは知っていますから、ちょっと焦らしてみました(笑)。」
ハ「相変わらず人が悪い(笑)。」
役「類は友を呼ぶ、とも言いますよ(笑)。」


こうして私は、やっと八つ橋を口にする事が出来た。


(今回の資料を提供してくれたI氏に心より感謝申し上げます。)



コメント
[1] 匿名 | 2018/07/05 11:32
天理教の正体見たり、枯れ尾花。応法の理でさえない、ただのインチキ宗教。
このインチキ宗教に騙されて、大勢の信者が財を尽くし切り、貧に落ち切ってしまった。罪深い、教団の中心にいた人々は、責任を取って
財を投げ出すぐらいのことをして欲しい。(馬の耳に念仏と承知だが)
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