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『道の先達の心得』その3

『道の先達の心得』その3

役「本題に入る前に、まず『道の先達』ということですから、これは『既に信仰をしていて、後人(理の子や未信者)に布教や教化するための『心得』だと考えられます。具体的には、教人、布教師、教会役員や会長さんなどを対象としたものだと言えるでしょう。」
ハ「なるほど。先達ですから、布教やにおいがけ、新しい信者さんをどのように集め布教して行くか、どのように導いていくかという内容ですね?目次でもそれを項目別に分かり易く分類されていると思います。」
役「そうですね。では中身を考えて行きましょう。」


お道の結構さに就いて

一、お道の信仰をしたら、必ずたすかるのである。
二、たすかるとは、生きて行く万事につけてよくなることである。豊かな生命が恵まれ、良き運命に守られて行く。即ち、悪いんねんが善いんねんにきりかわるのである。
三、それは、人は今はかかっていなくても、何時思わぬ病気や災難にかからなければならないとも限らない。そのようなものから逃れたり、そのようなものを防いだりすることが出来ることなのであり、
又、今、病気や災難にかかっている人は、それをひどくならないうちに、癒したり逃れたりすることが出来ることでもあり、
更に又、ひどい病気や災難にあっている人も、それから逃れさして頂くことが出来ることなのである。
こうして凡そ人としての生き甲斐のある、楽しい明るい激刺とした生き方が出来るようにならせて頂けることなのである。
四、だから、お道の信仰をしないのは、みすみす、このよき運命から離れ、豊かな生命を棄てることになる。



役「素晴らしいですね。まず、第一声に『お道の信仰をしたら、必ずたすかる』と断言されています。これほどハッキリと断言できるのは流石としか言えません。道の先達たるもの、こういう信念を持たなければいけないでしょう。」
ハ「いや、その・・、必ずって・・・。」

役「そして、『たすかる』という事について明確な説明がされています。『悪いんねん』が『善いんねん』に切り替わり生きていく上での全てが良い方向に変わる、という訳です。」
ハ「全て・・・、ですか?」

役「はい。以前もお話したと思いますが、私は、この『人を助ける』とは何をする事か?どうなればその人が『助かった』と言えるのか、ずっと考えて来ました。いまだに明確な答えは見つけられなかったのですが、ここには明確に書いてあります。」
ハ「これがその答えですか?どういう事でしょう?」

役「つまり、『お道の信仰をさせる』という事です。」
ハ「え?人を助ける事は、お道の信仰をさせる事?」

役「はい。他人の『悪いんねん』を『善いんねん』に切り替えるなんて人間業では出来ません。これは神様の力でなされる事でしょう。で、その為には『お道の信仰』をさせる、とここに書いてある訳です。」
ハ「まぁ、確かにそう読めますが、本当に助かるのですか?」

役「私自身、中山みき様の教えは、一列全てを助けたいという『世界たすけ』であり、『一列兄弟。世界ろくぢ』を実現する事かと考えて来ましたが、諸井慶徳先生は、世界や一列兄弟など関係なく、お道の信仰をさせれば、その人の人生万事がよくなると仰っています。それを伝えるのが道の先達達たる人の役割なんですね。これは肝に銘じておくべき教えだと思います。」
ハ「はぁ・・・。何か、すぐには納得できない感じですが・・・。」


五、そんなことが本当にあるのかと思われるよう。然し本当にそうなのだ。それは試みに信仰してみたら、必ず味わわることである。自転車なんて乗れるものかと思われるが、やってみてわかるのと同じである。幸い先輩が多ぜい居られるから、尚、間違いない。
六、もともと、このようなことは得られないと思っていたなら、なくても、もともと思って、 一つためしに信仰してみることだ。
七、それならば、何故そのようなことが得られるのか、ごまかしではないか、とも思うかも知れないが、これには深い理由と根拠があるのである。
八、それは人間の生活の根元の消息が開示されたからなのである。人間を含め、万物の存在をしてあらしめられる根本存在としての親神が、自らを現わし出され、ここに人間の生命の真実の意義が明らかにされたからである。
九、ここに始めて、人間の基くべき所が固められ、根が培われることとなったのである。

役「すぐには信じられないのも無理はありません。でも、諸井慶徳先生は『疑うなら試しにやってみろ』と仰っています。例えるなら喰わず嫌いや、あれこれ考えていないで、大勢の人が天理教を信仰しているのだから安心してやってみなさい、と説明しています。」
ハ「ちょっと説明になっていないような感じなのですが・・・。」

役「いえ、ちゃんと根拠も書かれています。それは『人間をお創りくだされた親神が自ら姿を現し教えている事』だからだという事です。」
ハ「それは、元の理とよろずよ八首の中の文言でしたね。でも、以前、役員さんは、元の理は神話の世界、たとえ話であって実際に親神が人間を創った訳ではない、と言ってましたよね?」

役「はい、そうです。科学的にも考古学的にも、元の理に書かれている事が実際に行われた、と考える方が無理があります。例え話として、月日親神が泥海中の世界から『10の道具』を集めて人間を創った、10の道具が各々の持ち味や特徴を活かして、互いに協力して産み出されたのが『人間』である、という解釈です。そうして創られた人間だから、何をするにも皆で互いに協力して助け合っていく事で喜べるし楽しいという性質を持っている訳です。その性質が親から子、子から孫へと伝わるのが『いんねん』で、そのいんねんを自覚して、銘々が持っているホコリを払う事が『いんねんの自覚』であり『ホコリの溜まったいんねんの切り替え』にもなる訳です。」
ハ「ここに書かれている解釈とは随分違うようですが。」

役「いえいえ、私の解釈はあくまで私個人のモノです。諸井慶徳先生の言葉は天理教の先達、今もこの教えを守っている全国の教会長さんや布教師さん達の心得ですから。」
ハ「はぁ、そうですか・・・。」


一〇、他の宗教や信仰は色々あるが、それ等は一時の気やすめにしか過ぎない。又は、みすみす気の毒な間違いの通り方にと入って行くことでしかない。
一一、それは、人間生命の根元の所以が開示したものでないから、そして浅はかな一時の人間思案に流されているものであるから、それでは人間の根は培われることは出来ないからである。


役「これはちょっと過激な文言です。」
ハ「そうですね。他宗教を批判というか、頭から否定してますね。」

役「まぁ、先達の心得としては、この位の考えでないと布教や勧誘など難しくなるでしょう。表立って言わなければ良いのです(笑)。実際に、私が若い頃『他所の宗教は・・・。』等とこれに近い事を言っていた某会長さんや役員さんが居ましたよ。私も他宗教との比較ならよくやります。もっとも、私の場合は教義や解釈の比較であって、頭から否定はしませんけど。」
ハ「いや、それが当然でしょう。それにしても、たとえ他宗教との論議でもこんな言い方はないと思えますけど・・・。」

役「まぁ、それはそれで、あくまでもこれは『先達の心得』ですから、胸に仕舞っておくべき事です。」


一二、この道によって始めて示された数々の教えの角目は、今迄にはどうしてもわからなかった人間完成への確固とした道なのである。
一三、この道は、今迄はただ裏から働いて守護せられていただけであった人間世界をお創め下さった親神が、じきじき御自ら表にお現われ下さったもので、ここに一れつ人間に真実たすけを与えて下さることとなったものである。
一四、親神がじきじき表にお現われになったというのは、教祖を通してこの思召を明らかにお教え下さるようになったこと、及びそれと伴って、如実なお働きをありありとお与え下さるようになったことである。
一五、真実たすけとは、真に人間の生命を全うさして下さることである。

役「この部分は、基になったであろう著書『道の先達の心得・人間完成の道』のタイトルに沿った文言ですね。月日親神という創造神が中山みきという女性の身体に入り込み、この世全ての難渋を救うために言葉を発し行動をした。だから、これを信じてその道を辿るのが『人間として完成された存在になる道』である、という訳です。」
ハ「それも役員さんの解釈とは違いますよね?役員さんは、月日親神は中山みき様の思考の末に編み出された実在しないモノで、中山みき様は自分の価値観や人生全てを自分の理想とする生き方や世の中を実現するために行動した、というお話だったかと思いますが。」

役「そうです。その解釈は今も変わっていません。」
ハ「印象からすると、諸井慶徳の解釈は『月日親神』が主で『中山みき』さんが従、役員さんの解釈は『中山みき』さんが主で『月日親神』が従、という関係に見えますが。」

役「主従という関係が当てはまるかどうかは微妙ですが、そうですね。でも考えてみて下さい。まず、実際に『神様』がいて誰か人間の口を借りて「神の言葉」を伝えたとします。聞いている人にとっては、話しているのは只の人間ですから、本当の神かどうかは判断が出来ません。」
ハ「そうですね。まぁ普通は、そうかな?そんな事があるのかな?と思うだけでしょう。」

役「その逆に、ある人が、神様というのはこういう考え方、人間を超越した存在はこんな価値観や思考法で判断するだろうと体系化して『これが神様のお話だよ。自分は神様と同じ事を言ったりやったりするからね』と言ってお話をしたり、行動したとします。そのお話を聞いたり見たりした人は、どう思いますかね?」
ハ「それは、その人が考えた『神様』だと分かっていれば・・・、」

役「そういう説明もなく、その人が『神様の話ですよ』と言ったなら?」
ハ「え、あ、そうすると・・・。」

役「そうです。周囲からすると、本当にその人に『神様が宿っている』のか『その人の思考によってつくられた神様』なのか、判断できないのです。その人の言葉や行動など、出てくる結果が同じなのですから。」
ハ「なるほど。」

役「だから、諸井慶徳先生の解釈も、私の解釈も『矛盾しない』のです。真実は、神の言葉を話している本人にしか分からない事で、周囲の人が『どっちだろう?』と考えても答えは出ないのですよ。」



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