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四下り目

役「四下り目は、助け合いを教えるみかぐらうたを心に修める信者の心得を述べていると言えます。

一ッ ひとがなにごといはうとも かみがみているきをしずめ

と、他の人、みかぐらうたの理を理解しない人が何を言った処で気にする必要はない、と教えられています。
『かみがみている』と言っても、天から神様が地上を覗いているとか、白雪姫の母親のような世の中の事を映す鏡で誰かが見ている訳ではないのです。
まぁ、敢えて言うなら『お天道様が見ている』というのと同じような意味だと取れますね。つまり貴方の心に理が修まっていれば『神と共にあるのだから何も間違いがない』と解釈するべきでしょう。」
ハ「なるほど、お天道様も実体のない神様のような認識ですよね。」

二ッ ふたりのこころををさめいよ なにかのこともあらはれる

役「と続くのですが、一ッで他人が何を言っても気にするな、と教えていながら、二ッでは『ふたりのこころををさめなさい』と教えています。
パッと見には矛盾しているように思えますが、みかぐらうた全体の『この世』を表す手振りが『人の行き交う様』を表していることを考えれば、社会の最小単位である『二人』、これは『夫婦』とか『親子』とか『仲間』などとも受け取れますし、どのような大勢になっても、人間関係は『自分と貴方の二人である』とも言えますね。

その二人が同じみかぐらうたの理を理解し心に修めれば、どんな事でも『あらわれる』という訳です。
といっても中山みき様が教えているのは『陽気ぐらしの実現』ですから、人間が空を飛ぶとか、何も食べすに何年間も生きられるなんて摩訶不思議な事や奇跡的な事が起きるわけはありません。
『ふたりの間では陽気ぐらしが実現する』という受け止め方が妥当でしょう。
というのは、実際、陽気ぐらしで実現するのは、具体的なお話は殆ど伝わっていません。せいぜい『やまず、よわらず、定命115歳』という事くらいです。」
ハ「いや、それも凄い事ですよ。本当なんでしょうか?」

役「本当かどうかは、実際にそういう皆が陽気ぐらしできる世界が実現すれば分かることです。少なくとも、『ふたり』で『なにかのこともあらはれる』と教えて下さっているのですから、それを思案する必要がありますね。

つまり、
一ッでは、万人が反対したり批判しても私はこの道が正しいと信じる、一人でも歩んでいくという強い心を持ちなさいと教え、
二ッでは、ただ一人だけでなく夫婦や親子、仲間といった『ふたりのこころ』が揃ってこそ実現する、という事になります。
二人いれば、悟り違いや間違いも修正できますし、二人の人間が同じく考え感じることなら、多くの人にも通じる事だと考えられます。」

三ッ みなみてゐよそばなもの かみのすることなすことを

ハ「ここにも『神のすること』という言葉がありますが、役員さんの解釈なら『神の理を心に修めた人のすること』という事になりますか?月次祭の時のお話でも神様は何もしないししてくれません、と断言していましたね。」

役「そうなりますね。拝み祈祷でも伺い立てる信仰でもない神様ですから。クリスマスにプレゼントを持ってきてくれるサンタクロースはいないし、宇宙怪獣が現れてもウルトラマンが退治してくれるわけではないでしょう。悪い政治家や悪徳商人から庶民を守ってくれる水戸黄門も作り話です。それなのに、人間を助けてくれる神様だけ存在すると考える方がおかしいでしょう(笑)。神の理を心に修めた人が、

四ッ よるひるどんちゃんつとめする そばもやかましうたてかろ

と、中山みき様が教えてくれた『つとめ』をして、今度は『神様の理』を実行に移すわけです。」
ハ「つとめをする事が実行に移すという事なのですか?具体的に人助けをするとか、布教に走るとかは書いてないようですが。」
役「この歌を直訳すれば、『夜昼かまわず賑やかにつとめをする、周囲の者は喧しい、嫌だ(うたて)なぁと思うだろう』となりますが、このままの意味だけでは十分とは言えないでしょう。

これまでもお話してきたように、月日親神の心は『全ての人に陽気に暮らしてもらいたい』ですけど、それを実現するのは人間達であり、その第一歩は銘々の心の建て替えです。
神の理を心に修めた人がつとめをする事で、陽気づくめ世界を実現させる決意し、行動に移す事です。

まずは家族や親戚、友人知人、仕事場や地域社会などで『互い立て合い助け合い、一列兄弟世界ろくぢ』を呼びかけ形を作っていくわけです。その様子が『賑やか』である、盛んであるという事になります。

この『そば』というのは、近くに居る『理解しない人、知ってて無視する人』ということですね。みかぐらうたやおふでさきには、『むらかた』『そばなもの』『むねがわからん(者)』といったような表現が出てきますが、身近に居ながら神の心を理解しない人のことを指しています。
そういった人は、『互立合い助け合い、一列兄弟世界ろくぢ』とは正反対の価値観や考え方で生きている訳です。
自分の命令に皆が従うべきだ、とか、女子供は主人の言う事に従え、とか、俺は偉いのだから楽をしていい、なんて考えですね。

あれ?今の天理教組織の大教会だの本部の人間がやっている事や態度が、全くこれですね(笑)。
まぁ、そういう人にとっては、神様の理で『互立合い助け合い、一列兄弟世界ろくぢ』なんて言葉は、自分の立場や権力を否定されるのですから、煩いし聞きたくもない話だ、となる訳です。」

ハ「なるほど、被包括関係廃止手続きでも、組織に中山みき様の教えを持ち込んではいけないと言った大教会の役員(N岸)がいましたね(笑)。」
役「ハハハッ、あの人からすれば私の話など『やかましうたてかろ』だった訳です(笑)。」

五ッ いつもたすけがせくからに はやくようきになりてこい

ハ「役員さん、この五ッはどう解釈するのでしょう?誰が誰に呼びかけているのか、そして『ようきになりてこい』とはどんな意味なのか、分かりにくいですね。」

役「確かに解釈の分かれる所だと思います。
みかぐらうたは中山みき様が残された『月日親神の言葉』という形を取っていますので、誰が誰にというのは、当然、月日親神が人間にとなります。
そして『皆が陽気ぐらし出来る世界の実現』を望んでいる神様ですから、人間に対して『陽気になって此処に来なさい』と呼びかけている意味ではなさそうです。
どんちゃんつとめをして、月日親神の理を心に修めて行動することで、『はやく陽気世界を実現して欲しい』という願望的呼びかけでしょう。

それに、『陽気』というのも単純に『明るい』『元気』『楽しい』といった感覚で捉えるのも問題があります。勿論、今の日本語で『陽気な~』というとこういう表現が当てはまるのですが、『陰陽二元論』から考えると、意味が違うのです。」

ハ「陰陽二元論というと中国の思想、哲学ですね。相対する物事を陰と陽の二つに分類して、その調和やバランスを考える方法だったかと思いますが。」

役「はい、細かく説明はしませんが、その対立する二つの事象のバランスが取れている状態を『陽気』、バランスが崩れている状態を『陰気』と言います。
たとえば、「暑いと寒い」のバランスが取れて過ごし易い気温になります。この状態が人間にとって『陽気」であり、暑すぎたり寒すぎると『陰気』となります。
挨拶で『今日は陽気が良いですね。』などと言うのは、過しやすくて気持ちのいい天気ですね、という意味でしょう。」

ハ「では、この歌で言われている『ようき』というのは、どのようなバランスが取れている状態なのでしょう。」
役「繰り返しになりますが、みかぐらうたは月日親神の言葉ですからそれを銘々の心に修める必要があります。みかぐらうたの意味を理解し心に修まった状態、スッキリと安定していて穏やかな状態が『陽気』だと考えられます。意味も分からず、モヤモヤして混沌としている状態が『陰気』でしょうね。
これも、月日親神は世界助けを急いでいるのだから、早く理を心に修めて行動・実行に移して欲しい、と呼びかけている言葉だと理解できます。」

六ッ むらかたはやくにたすけたい なれどこころがわからいで

ハ「先ほど話のあった『むらかた』ですね?」
役「はい。現実に人助けをするにも神様が直接手を下すのではないのですから、銘々が取り組むことになります。人の手の届く範囲は、家族、友人、隣近所、職場や地域社会、という事になります。今はネットやSNSが盛んですが、明治の時代にはそのような物はありません。もっとも、ネットを通した人間関係でも『むらかた』と言えば言えるわけですが。」

七ッ なにかよろずのたすけあい むねのうちよりしあんせよ

役「そして、これが四下り目の中心的な教えになりますが、なにかよろずは『何でも全て』、あらゆる事に『助け合いをしなさい』、それが教えを守る者としての役割・つとめなのだから、それをジックリ考えてみて、行動に移しなさい、という事になります。
つまり『助け合いの心』をお互いに持つ事で、二人の間では陽気ぐらしが実現する、という訳です。今の世の中、夫婦であっても、親子であっても、たとえば『親友』と呼べる人だとしても、『何でも助け合いが出来る間柄』というのは、なかなか難しいのではないでしょうか。」

ハ「なるほど、確かにどんな関係の二人でも、そういう人生のパートナーとも言える人を見つけられるか、誰かとそういう関係を築く事が出来るかと言ったら、難しいですね。」

役「そしてそういう二人の関係が出来ると、

八ッ やまひのすっきりねはぬける こころはだんだんいさみくる

悩みや心配事もなく安心して毎日の生活が送れるので身体も健康になりますよ、それどころか、心は毎日が楽しくて『いさんで来る』ばかりだという事です。」

ハ「『病は気から』とも言いますし、心の状態は身体にも影響しますから当然ですね。」
役「更に言えば、これは個人的病気や精神的な問題を言ってるだけでなく、そういう人達が増えれば、社会な問題、差別や貧困、所得格差や社会的待遇の問題、不正や汚職と言った社会的病根と言われるモノまで『根が抜ける』のですよ。」
ハ「あぁ、そういう『神様の理を心に修めた人達』が造る社会、国家ですから、
社会問題や犯罪だって無くなるでしょうね。」

九ッ ここはこのよのごくらくや わしもはやばやまいりたい。
十ド このたびむねのうち すみきりましたがありがたい

役「この『ここ』というのを幾つか解釈が分かれる所ですが、中山みき様のいる『お屋敷』と考えた場合、それは奈良県大和の小さな農村ですから夏は暑く冬の冷え込みは厳しい、当時は自然は豊かでしょうが、農業以外の産業も無い、食べ物だって山海の珍味が手に入るとか、食べられるという訳でもない。現代なら過疎村と言っても差し支えないような寒村だった訳です。それでも、そこに月日親神の想いを伝える中山みき様の教えによって、『互い立て合い助け合い』を理解した人が集まり、実際に『たすけあい』の精神を日々の生活で行動に移す事で『ごくらく』になる訳です。現実に中山みき様が存命中にそのような『ごくらく』には至っていないと思われますので、誰でも何処でも『ごくらく』を作り出す事が出来るし、誰だって行きたいと考えているだろう、というお歌です。」

ハ「なるほど。
先ずは、強い決意。
次に、二人の心を治める事。
そして、どんちゃんつとめをして、賑やかに助け合いを実現する事。
それが『極楽』だという訳ですか。」

役「はい。色々付け加える部分や言葉もありますが、四下り目の骨子はそうなります。教えを守る信者の心得、忘れてはならない、というより、行動して実現しなければならない『極楽を実現する事』です。それは、死後の世界に行けるとか、お祈りしていれば神様が連れて行ってくれるとか、天からカンロが降って来て、それを食べたら世の中がコロッと変わるとか、そんなお話では無いのです。」



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