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三下り目(その1)

役「『三下り目』ですが、まず終戦までは歌うことも文字を見ることも出来なかった、禁止されていた内容だという事を考える必要があります。
何が問題かというと、最初のうたと9番目と10番目でしょうか。

『よのもと』と『元の神、実の神』という文言が使われており、終戦までの天皇を現人神としてその祖先を国家最高の神とする国家神道に真っ向から対立する内容です。

こういう教えが中山みき様のご苦労18回に及ぶ逮捕拘禁、拷問に繋がる内容なのですから、我が身を守りたい、繁栄を願う人間思案で作られた天理教会からすれば、表に出せなかった歴史だった訳です。」

ハ「明治政府の国家神道の方針を考えなければいけない訳ですね?」

一つ ひのもとしょやしきの つとめのばしょはよのもとや

役「はい。この最初のうたにも『世の元』という言葉があります。国家神道では、日本の国を産み出したのは『イザナミ・イザナギ』が雲の上から海を掻き回して造り、その子孫が天皇であると教えているのですから、どこか別の場所が『世の元』では辻褄が合わなくなります。それで、三下り目が削除されたのでしょう。
ただ中山みき様の言う『世の元』というのが、神話や伝承に出てくるような『人類創造の最初の場所』と捉えると解釈が逸れてしまいます。

『つとめのばしょ』は『よのもと』と仰っているのですから、このつとめ場所から世界を建て替える、『互い立て合い助け合いの精神』で世の中を『誰も苦しむ者の居ない陽気くらし世界』に改革していく『最初の場所である』と解釈しなければいけません。

もっとも、これも国家神道からすれば、その方針とは真逆のモノですから、表には出せない内容だといえます。」

二ッ ふしぎなつとめばしょハ たれにたのみはかけねども

役「月日親神は、一人も残さず助けたい、皆全ての人間に陽気ぐらししてくれ、という想いで人間を産み出し、世界を創りあげて守護し続けているのですから、多くの人がこれまで信じていた神様とは全く違うモノなのです。

それまでの神様は、権力者や支配者を象徴するような強大な力や権力を持っており、人間はひたすらお供え物を捧げ、命を掛けて働き、ひれ伏して慈悲を乞うような神様です。それでも気に食わない時は怒りを爆発させ、災害を起こし、多くの人命を奪い、更なる要求を人間に突き付けて忠誠や服従を誓わせるのです。

この違いを理解できれば、月日親神に
『もっとご守護下さい。病や難渋を無くして下さい。』
等とお願いするのは見当違いだと分かります。」

ハ「なるほど、拝み祈祷で行くでなし、の意味ですね。」

役「はい。後は、陽気ぐらしするのもしないのも、人間自身にかかっているという事です。

いうなれば、人間の陽気ぐらしの準備万端整えてくれたのが月日親神で、陽気ぐらしを味わうのが人間だという事です。
月日親神は人間に陽気ぐらしをして欲しいと願っているのに、人間同士が互いに助け合って協力したら陽気ぐらしが出来るのに、それを争いばかり起こして陽気ぐらしから遠ざかってしまっているのが人間の『埃』だと教えてくれているのです。

だから、『よのもと』である『つとめばしょ』で神様の気持ちを理解し、心に修めて『互い立て合い助け合い』に目覚めて勇んで陽気ぐらしに向かって貰いたいという切なる願いでもある訳です。

とはいえ、いくら月日親神の願いとはいえ、月日親神は、誰かに頼んだり救世主として誰かを遣わしたりという事はしないと明言されています。
これは、我々の立場で言えば、漫画や映画などに登場する救世主とかヒーローのような人に頼らない、アテにしない、頼ってはいけないという、信仰を続けるうえでの姿勢も戒めていると考えられます。それは、」

三ッ みなせかいがよりあうて でけたちきたるがこれふしぎ

役「というお歌に続くところから理解出来るでしょう。
中山みき様の言う「せかい」「このよ」とはお手振りにもあるように「人が行き交う社会、人間同士の関係」を表わしているわけです。
これは、誰か強い人、英雄や役割を持った人が、その他大勢を率いて戦争に勝ったとか、国を創ったなんて歴史が当たり前ですけど、この『陽気づくめの世』『つとめ場所の理』は、自然と人々が寄り合って出来て来るものだよ、という事です。」

ハ「なるほど、確かに歴史上の出来事や事件では、誰か中心となる人物が登場しますが、そういう人物が居ない、教祖様の教えを理解した人が自然と集まって出来て来る、実現するとしたら本当に『これふしぎ』と言えますね。」

役「月日親神が直接命令する訳でもない、誰かに頼んで大勢を導く訳でもない、
『互い立て合い助け合い、一列兄弟世界ろくぢ』
を理解して、その素晴らしさを目標に生活しよう、日々の行動を変えて行こうという人達が自然と集まって出来る世界、それこそが月日親神のいう『ふしぎなふしん』でもある訳です。」

ハ「あれ、ちょっと待ってください。それでは『教祖様』の存在というか役割というのはどうなってしまうのでしょう?
『教祖様』は英雄とかヒーローとは意味が異なるでしょうが、特別な存在だと思えるのですが。」

役「中山みき様は、その『互い立て合い助け合い、一列兄弟世界ろくぢ』を実行した、実践した最初の一人だという事です。

最初の一人であり、それを多くの人に伝えたという、それ以上でもそれ以下でもない『存在』です。

それまで誰も考えた事もない、いや、『平等の社会』だの『皆が幸せに暮らせる世界』なんて事を多少は空想したり考えていた人が居るかもしれません。

マルクスの『資本論』なんて、机上で理論を構築し、本に残した訳です。でも自分の人生を使って実行しよう、実践しようなんて人は居なかった。

敢えて言うなら、イエス=キリストやブッダは考えた事、悟った事を人々に伝え、実践しようとした様子が伺えますが、でも、それらはどう見ても世捨て人に近い感じがします。

でも、中山みき様はそれを実行した訳です。

人生の後半50年をその為に使い切った訳です。

だからこそ『ひながた』でありその道を辿ることが我々、教祖様を慕う者が歩むべき道であると思います。」

ハ「確かにそうですね。それだけに役員さんが言う『教祖伝や逸話編、教祖様のお話などに歪みや嘘があってはいけない、嘘偽りのない教祖様の言葉や行動、生活ぶりなどを伝えなければならない。』という訳ですね。本席の『おさしづ』にも言われていた事ですね。」

四ッ ようようここまでついてきた じつのたすけはこれからや

役「ここで考える必要があるのは、『じつのたすけ』という言葉です。

色々伝わっている教組様周辺の状況を考えますと、この『みかぐらうた』を教えられる以前に、後に本席になられる飯降伊蔵さん夫妻が入信しています。
教組様の周りに信者らしい人、教えを理解した人が寄り集い、それなりの人数になった。でも、当時のお屋敷、教祖様のいらっしゃった場所は『綿蔵』という物置を整理したような場所で、広さも無く大勢の人が座ってお話を聞く事が出来るようなスペースもない。
毎日、綿蔵から人が溢れ、天気の悪い日などは風雨を避ける事すら出来なかったのではないかと想像されます。
そこで集まった人の間から、教祖様のお話をユックリ聞く事が出来る場所、『つとめ場所』のお話が持ち上がった訳です。
神様のお話ですから『お社なり建てさせて頂きたいと思います』という提案に対して教祖は
『社はいらん、小さいモノでも建てかけ』
との言葉です。続いて
『継ぎ足しは心次第』
と言うのですから、これは、現実の建物の事を言いたかったわけではなく、銘々の心の建て替えが先であり、その結果として皆が寄り合う場所、お話や教えを聞く事が出来る場所を心次第で建てればイイ、という出来事だと解釈できます。」

ハ「中山みき様のお話し、教えによって救われた、助けられた、『互い立て合い助け合い、一列兄弟世界ろくぢ』を心に修めて日々の生活を歩む事が素晴らしい事なのだと理解できた人が、これから銘々の周囲の人にその事を伝えていく、周囲の人を助けて行くのが『じつのたすけ』だと仰ってる訳ですか?」

役「そうです。すると、」

五ッ いつもわらはれそしられて めずらしたすけをするほどに

役「という事になってしまうのですね。

難渋を救い、貧困に手を差し伸べ、それでいて自分は何の見返りも求めない。
ただひたすら
『互い立て合い救け合い、一列兄弟世界ろくぢ』
の実現のために行動する訳ですから、知らない人や周囲の人からすれば、
『損ばかりしている、骨折り損のくたびれ儲けみたいなものだ』
という風にしか見えない訳です。
『そんな事ばかりして何が面白いのだろう?何の得があるのだろう?』
と考えるのが世間並、世の中の価値観としては当たり前の事なのです。

今でこそ、多少はボランティアだとか社会貢献という評価や価値観が増えていますが、それにしたって、自分の人生・生活すべてを投げ打って、自分の財産も身体もすべて使って『陽気づくめの世の中』を創るために働くなどという事は、表面的には『立派な人だ、素晴らしい生き方だ』と言われるかもしれませんが、その実、『自分には出来ない。とてもとても無理な話だ。行政や国が取り組むべき事だろう。』という考え方が正直な所だろうと思います。

言い方は悪いかもしれませんが、自分が平均的な生活をしているとして、難渋を救う、人助けをするというのは、平均以下、言うならばマイナスの人達と合わせて生活をするようなモノですから、自分の生活レベルが下がってしまう訳です。

これでは周囲の人から見れば
『何をバカな事をやっているのだ。そんな人達は放って置いて、自分の事をすれば良いのに。』
と笑われそしられてしまうのも当然でしょう。

でも、そういう生活にこそ、真の喜びがあり、それを継続して世界中に広げていく事こそ、月日親神の望む『陽気づくめの世』が建設できる訳です。」

ハ「その平均とマイナスを合わせて計算するというのは、お金の問題とか経済的な事でしょうか?」

役「お金の問題が一番分かり易いですね。何と言っても、世の中のほぼ絶対的な尺度になってますから。でも、決してお金だけではなく、社会的な立場や身分、時間使い方の問題や人の心、気持ち、差別の問題だって忘れてはいけない事だと思います。」

ハ「なるほど。でも、それなら経済的に豊かな人や余裕のある人を計算に入れれば良いのではないでしょうか?」

役「それは、経済的に余裕のある人、お金持ちにお願いして資金援助や貧困者への支援、寄付などを募ることも必要でしょうが、その人達が『どれ程協力してくれる』と思いますか?
いくら『互い立て合い救け合い、一列兄弟世界ろくぢ』が理想世界だと説いたところで、中山みき様のように人生全てを投げ打って人助けの道に入る人がどれ程いるでしょうか?

逆に言えば、社会的弱者だからこそ、マイナスの人だからこそ、中山みき様の教えに興味を持ち、救われたい、豊かな生活をしたい、高低のない世の中にして欲しい、と願うのではないでしょうか。」

ハ「あぁ、なるほど。そうして下の方から平均化して行けば、段々に上の方にも広がって、最後は全てが平均化される、平らになる、という事ですね。」

役「まぁ、簡単な道程ではないし、一朝一夕に出来る事でもありません。でも、その目標というか進むべき道を誤ってはいけないのは当然でしょう。だからこそ、銘々が教えを正確に理解し、心に修める事が大事なのだと思います。」



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