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お話(その2)

ここは一応「天理教の教会」です。天理教の教会というと、普通は天理教の神様のお話や、日々の生活での心構えや毎日の行動をどうするか、困った時に相談に乗ったり、悩みや病気の時のお願いに来たり等の人生をどのように生きるかというお話をさせて頂くことになります。

しかし、この教会は他の教会とは違います。

というのは、元々、天理教の教祖中山みき様は、「こうを作れ」「こうを結ぼやないかいな」と言われていました。「こう」というのは、同じ信仰や考えをもった人達の集まりです。宗教関係では、定期的に富士山へ登山して参拝する為の「冨士講」や三重県の伊勢神宮をお参りするための「伊勢講」等が全国にあります。あるいは「頼母子講」といった互助会的や共済保険のような働きをする「講」も全国にあります。

で、この教会は、分かり易く言うと「学校」だと思って下さい。

学校にも色々な種類がありますが、大抵は「子供達が皆で勉強や運動をして将来立派な大人や、職業に就くための技術や能力を身に付ける場所」と言えます。

もっとも、「学校で勉強した事は社会で役に立たない」なんて事もよく言われますけど、そのままでは役に立たなくても、色々な物事の基礎知識や基本技術を身に付けると考えれば、全く意味の無いものではありません。基礎の出来ていない、基本を分かっていないと、何をやっても失敗や間違いが多い、勘違いしたままでは何度も同じ失敗を繰り返す、なんて事になるのは誰でも簡単に分かる事でしょう。

では、この教会=学校では、何を学び、何を身に付けるのでしょうか?

それは、「人間の心の基礎」です。

神様がどんな気持ちや考えで人間をお創りになられたのか?
今、自分が生きている、生かされている理由、原因は何なのか?
これから先の生活や生き方で何を考え、何に注意して、どんな考えで行動すれば良いのか?
こういう言葉にすると最初にお話しした他との違いが微妙なのですが、違いは、この「かんろだい」と「おつとめの仕方」にあります。

他所の教会や、以前の此処もそうでしたが、ここに一列に並んであちら(三殿)に向かって「おつとめ」をしたり「ておどり」をしていました。
これでは、「神様に向かってお祈りをしている、神様に奉納している」としか思えません。そういう考えが心の中に刷り込まれてしまいます。

そうではありません。

このように「かんろだい」を囲んで皆で「おつとめ」や「ておどり」をすると、先程お話しした「神様の気持ちや考え」を「自分の心の中に納める」事が出来るのです。勿論、「これ(かんろだい)が神様でお願いをしているんだ」という考えでは困ります。

月日親神は、10種類の道具を用意して人間を創りました。10種類の道具は、それぞれの役割や特徴を活かして、互いに協力して、助け合って命を産み出し、ずっと繋いでいるのです。それこそ、今皆さんが生きている、生かされている理です。
その道具の働き、役割を、この「かんろだい」を囲んでつとめることで、皆さんは「月日親神」の気持ちを思いを理を、心の中に納めることが出来ます。
その形や気持ち、考え方が『人間が本来持っている性質』で、そういう生き方考え方が、人間の持つ真っ正直な生き方なんです。

よく、一人で食事をしても美味しくない、栄養にならない、何て言われます。家族や友人たちと一緒に楽しく食べる食事は、美味しいし食もはかどりますよね。
家族や友人たちと一緒にレジャーをしたり旅行に行ったりするのは、いい思い出になりますし、人生の心を豊かにする事になります。

中には「一人旅の方が気楽で好きだ」なんて言う人もいますけど、本当に気持ちの通じた相手、互いに理解し合い、お互いを大切に思う気持ちがある人間同士なら、一緒に行動した方が楽しいんです。喜べるのです。それが、人間が本来持っている性質なのです。

その理を基礎、基本として、家族や友達や社会で、実際の生活の中で活かしてください。

世の中では、「皆仲良く」「喧嘩してはいけません」なんて言いますけど、その実は何を教えているでしょうか?どうしろと言ってるでしょうか?

競争、他人に負けるな、お隣より良いモノを買いたい欲しい、一番を目指せ、他人の足を引っ張ってでも自分が上に立て、そんな事ばかりで、他人を尊重したり、一緒に行動したり仲良くする事を妨げる事ばかりです。

会社やスポーツなどで「チームワーク」とか「協力して」等という場面もありますけど、それだって、相手チームに勝つ、他所の会社よりも売り上げをあげる、という競争と闘いの為に必要だからという「仮の姿」なのです。

そうじゃありません。

月日親神は
「人間創り出した時から、役割や特徴の違う者同士が協力して命を産み出した」
のですから、その事を深く心に修めて、それで今自分が生きているんだと理解して下さい。

その為にこの「おつとめ」を行います。

それが心に修まったら、その気持ちや考えで家族や友人、会社などで行動して下さい。「俺が俺が、」という人や「他人の足を引っ張っても、」なんて世の中一般の考えや価値観に負けることなく、神様の心を信じて持ち続けて頂きたいと思います。

この教会は、月日親神が『こういう人間になってくれ』と願っているような『本当の人間』になる為の「教室」で、このかんろだいは、「教材」なんです。


今日も、こうして畑で採れたナスや枝豆が揚げられています。

家庭菜園で野菜を作ります。例えばナスを植えたとしましょう。
ナスの実が成るまでには、周囲の雑草を抜いてあげなければならない、雨が降らなければ水もあげるし、必要な時には肥料もあげる、アブラムシや芋虫が付けば払ってあげなければならない。

『大きな実をつけろ、美味しい実をつけろ』
という気持ちで手入れをしたり世話をする訳です。

暑い時期に雑草を取ったり世話をするのは大変だけど、そうすると大きな実が沢山なって豊かな収穫ができます。

さて、月日親神はこの世に人間の種を蒔きました。

でも、神様は見守っているだけです。雑草を抜いてくれたり、水や肥料を与えてくれたりはしません。

その代わりに、人間が自分で雑草を抜いたり自分達で水や食べ物を食べたり、虫を払う事が出来るように、この身体と知恵を与えてくれたのです。
月日親神は人間たちに、それぞれの役割や特徴を活かして、互いに助け合って問題を解決して成長し、皆が陽気にくらすという大きな実りをもたらしなさい、豊かな社会を作りなさい、と期待しているのです。

この事をじっくり思案して、毎日の生活や生き方を考えさせて頂きたいと思います。



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