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正式には「単立宗教法人」で「天理教某分教会」ですが、目指す先は中山みき様の教え「国々所々のつとめ場所」にすることです。その足跡をつらつらと書いて行きたいと思いますが、時として政治や経済の話、猫の話が登
単立天理教会 国々所々つとめ場所は散歩道(非公認HP)
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二下り目
2017年09月07日
役「『二下り目』全体の意味を考えさせて頂くと、世界の普請、理想世界の実現という事になると思います。
まだ見ぬ『陽気づくめの世』の建設ですから、誰もやった事も無ければ実現もしていません。それこそ『ふしぎなふしん』である訳です。
その建設の仕方も、これまで歴史の中で世の中を変えるというと『革命・クーデター・政略・政変』といった武力や血を血で洗う戦いの結果の改革だった訳ですが、そんな血生臭い戦いや殺し合いの結果ではなく、一人一人の心を建て替え、かんろだいつとめによる月日親神の『心』を修めた人が行動する事で実現する『世直り』『世直し』の『ふしぎなふしん』でもある訳です。」
ハ「その手法も出来上がる世界も、歴史上類を見ない『ふしぎ』だという訳ですね?」
役「そうです。そういう『陽気づくめの世』は、前も言いましたが、天国や極楽のようにあの世の世界の話ではなく、また他所に行って一生懸命建設したりする訳でもない。
教えの理を理解し心に修めた人達によってできて来る世界、この世が改革改善されてできる世界だという事です。
一人一人の生活態度や日々の心使いを確立する事で、そういう人達が寄り集まって、銘々の信念と信仰心によってできて来る世界だという事です。
明治維新のように海外からの圧力や、戦後の日本のようにGHQが占領して改革してくれる訳でもない、一生懸命拝んでいれば神様が一人残らず喜ぶ世界を造って下さる訳でもないのです。
おふでさきでは、神様は、すでに人間が互い立て合い助け合いをすれば陽気ぐらし出来るようにご守護をされている、現時点でも教えの理を心に修め、互い立て合い助け合いの精神を心に定め、それで日々を過ごせば陽気な生活をする事ができるのだから、あとは目覚めて社会を陽気づくめの世の中に建て替えてくれと仰っている訳です。
神様に『陽気ぐらしのご守護を頂きたい』と願うのではなく、互い立て合い助け合いの心定めをして日々の行動に移してくれと言っている訳です。」
ハ「やはり、拝み祈祷や伺い立てるのではないのですから、銘々の心定めと行動が大事だという事ですね?」
役「はい、勿論です。
そして重要な事は、一下り目が『経済』のシステムについてでした。二下り目は『政治体制』のお話だという事です。
社会を構成する重要な要因は政治と経済ですから、この2つを改善改革しなければならないという事です。この点を認識しながら解釈を進めていくと、」
とんヾとんと正月をどりはじめハ やれおもしろい
役「という最初の言葉は、一下り目と同様にこの歌がつくられたのが慶応三年の正月だった事と、年の改まった正月を掛けていると考えられます。
あと「をどり」ですが、この歌がつくられた段階では手振りは教えられていません。
教祖伝でも「歌の意味を考えて手振りを付けてみなさい」とお弟子さん達と一緒になされているのですから、将来的に手振りも付けて踊りにしようと思っていらっしゃった事が伺えます。
その意味を踏まえて『理を振るのやで』と仰ったのではないでしょうか。」
ハ「なるほど、中山みき様は教えの先を見据えていたのですね?」
役「はい。互い助け合いの世界のあり方、人間の生き方、陽気づくめの世を言葉で教えられ、その真理を身振りで表し、悟り違いが無いように、また、身に付けやすくする、心に納め易くするという二重の意味が有ったのではないかと悟らせて頂きます。
ですから、みかぐらうたの意味、教えの真理を理解し、心に修める為には、このみかぐらうたの手踊りが『神様に奉納しているご祈祷』などと勘違いされては意味が有りませんし、意味を知らなければ各々の日々の生活に活かす事や表現する事も出来ません。
まして、人に伝えるとか、においをかける事も出来ませんし、取次ぎをさせて貰う事など程遠い話になってしまいます。
意味なんかどうでも構わない、ただ手踊だけ覚えて神床で形だけ行えばいいのだ、等という話では中山みき様には通じない事なのです。」
二ッ ふしぎなふしんかかれバ やれにぎはしや
役「この『ふしん』については、前述のように誰も見た事の無い『陽気づくめの世』を建設する、この世を建て替えるという『ふしぎなふしん』なのですから、現実の建物や館を建築する『ふしん』ではありません。
そういう眼に見える普請なら『ふしぎ』と付ける必要はありませんね。
また昔の事になりますが、教義講習会において二代真柱が
『教祖が普請または神のやかたと仰せ下さったのは、陽気ぐらしの世界の事であって、目に見える建物の事ではない』
と言われています。
明治の『教祖御伝記』にも、
『然れども此神殿の造営は普通の神殿にあらずして実は甘露台の造営を意味するなり。甘露台は教祖御神楽歌に一列すまして甘露台と歌ひたまひしが如く我々人類が済度の恩寵を被り其心清浄となりたるの紀念として建てらるるものにして甘露台一たび建てらるるときは我々人類の霊福と平和とは地上に降るべし。然らば又神殿造営の御予言の甚だ重要なるを知るべきなり。』
と記されています。
中山みき様の仰った『ふしん』とは、全ての人が喜ぶ世界、一列兄弟助け合いの世界を指しているのだという事がハッキリと示されている訳です。」
ハ「なるほど、現実の建物や館の事ではなく、銘々の心と、そこから出現する誰も苦しむ人の居ない『陽気づくめの世』の普請という事ですね。」
役「そういう、皆の喜ぶ世界、苦しむ者の居ない世の中、互い立て合い助け合いの世の中を創るために、自分の心も身体も役に立っているのだ、その為に働いているのだという事が理解できれば、その充足感と満足感は、例え一人で取り組もうとも『にぎわしい』のです。取り掛かっただけでも価値のある事だと教えられているのです。
現実世界では、こういう仕事ばかりではありません。
大きな建築や土木工事でも、出来上がったという満足感や達成感が多少は感じられても、結局は『金づく』の世界だったり、大勢の人の無理や無味乾燥の集まりだったりする訳です。
結果として『儲かった』という場合もあるでしょうが、一下り目で話したように『ほうねん』の状態や取り組みからは程遠い、なんて事が多い訳ですね。
あるいは、心に汚点やシミを残すような仕事や運営をしている状態の仕事も多いので、とても『にぎわしい』なんて気持ちや境遇には届かない事ばかりなのです。
一つの理想を持ち、シッカリとした目的と指針を持った人間は、その方向と行動が生き甲斐になりますし、どのような困難や問題に直面しても、決して挫ける事なく歩み続ける事ができます。
何に向かって生きるかという事が一番重要な事になるのです。
中山みき様も寿命を25年縮めても教えを説き続けました。
一番弟子と言われた中田儀三郎さんも最後のご苦労で警察の迫害を一緒に受け、その為に身体を壊して命を落とす事になりました。
でも、その人生や生き方に悔いも後悔も無かったと思います。
道半ばで命を落としたと言われるかもしれませんが、これから先に続く人達の為に精一杯、神一条の道を歩まれたという満足感が勝っていたのではないかと思うのです。」
三ッ みにつく
四ッ よなほり
役「当然ながら、頭の中で理解できただけでは足らないという事は誰でも知っている事です。
それを各々が自分で心に修め、日々の行動や言葉に『自然に出てくる』ようになって初めて『身に付いた』状態と言える訳です。それが身に付くと、その人の周囲、関係する人の見る目も対応も変わってくる訳です。
中山みき様の、互い立て合い助け合いの世の中にしようという教えを受けた人が充分思案して心を定めると、日々の行動や言葉に出てくるようになる。
身に付いた状態になると、その人の周囲の反応や態度も変わってきます。
そういう考え方、生き方が素晴らしいのだと周囲の人が気が付く訳です。
その人自身も周囲も『にぎわしい』状態になると、自然と世の中が変わってしまう、『世直り』になるのですね。」
ハ「ええと、簡単な話では、世間によくある、子供達に挨拶を励行しようという『あいさつ運動』とか『親切運動』とか『ゴミを拾いましょう』なんていう市民活動的な運動の輪を広げる、という感じでしょうか?」
役「教えの内容や目的、範囲は異なるでしょうが、切っ掛けや始まりは同様のモノだと考えて差し支えありません。
中山みき様の教え全てを即行動に移す事は大変な事ですし、一下り目のように理解されにくい部分も多いのです。
でも、誰かが理解できたこと、納得できたことから始めて実行し、それが周囲に広がっていくというスタイルで結構かと思います。
何と言っても、争いや闘いによって決めたり従わせたりするような教えではないのですから。」
ハ「『よなおり』という言葉ですが、世の中には『よなおし』という言葉もありますよね。確か、江戸の末期に大塩平八郎の乱とかが起きて、後に『世直し大明神』と祀られたとか。」
役「はい。大塩平八郎の乱は、歴史的には中山みき様が立教を宣言される直前の頃だったかと思います。日本全国で冷害による飢饉の為に多くの餓死者が出た時期に、江戸や大阪の商人たちは米を買い占め高値で売り、民衆は益々困窮してしまったのです。貧しい農家は、自分で米を作っていながら全て年貢で取り上げられ、生活に困って娘を売り飛ばしたり雑穀や草の根を食べて飢えを凌いだとか。そんな世の中は間違っている、と檄文を飛ばして立ち上がったのが大塩平八郎だった訳です。」
ハ「なるほど、多くの民衆の為に立ち上がった訳ですけど、幕府や体制に逆らう事から『乱』と呼ばれているのですね。」
役「そう思います。多くの武士は農民や民衆が苦しんでいてもその状態が当たり前だと思っている、或いは、おかしい間違っていると思っても見て見ぬふりをしている、という人ばかりだった訳です。
ただ、大塩平八郎が『どういう世界を造ったらよいか』という事は良く分からなかったのではないかと思われます。
多くの民衆や農家が苦しんでいる、飢えに喘いで餓死してしまう世の中は間違っている、けど、何処をどう変えたら良いのかまでは明確ではないのです。
言い方は悪いかもしれませんが、不満や不平があるから何とかしろと武力蜂起をした、という感じです。
勿論、大塩平八郎自身は武士の立場で体制側の人間ですから、民衆や農民の為に立ち上がった事は立派な事です。」
ハ「正義を愛し、勇気のある行動ですね。」
役「はい。この点で中山みき様の教えは、社会や体制を変えろと強訴や暴力を使うのではなく、自分自身の素直な改革改善によって身の回りから、周囲の人からより良い世界に変えてしまう、真心に基づく実践で作ってしまう、そうすれば自然と世の中が変わってしまうという『よなおり』と仰っている訳です。
人間一人一人が互い立て合い助け合いの心に目覚めて、その実践によって陽気づくめの世を作り上げていこうという教えですから、全然違う訳です。」
ハ「なるほど、非暴力の改善改革という感じですね。」
五ッ いずれもつきくるならば
六ッ むほんのねえをきらふ
役「皆がそういう気持ちで、そういう心で世の中の建て替えを志せば、行動して行くなら、争いの根も原因も理由も無くなってしまいますよ、と続いています。
元々『むほん』というと下の者が上の者に逆らう、反逆して行動を起こすという事ですが、中山みき様の教えは『一列兄弟世界ろくぢ』ですから上下関係などない訳です。
勿論、当時の日本や世界の有り様は上下関係の厳しい身分社会ですし、現在の自由主義社会においては『基本的人権』こそ平等だとされていますけど、経済格差や血統主義などの格差社会です。
この世の中は月日親神が高低の無いようにご守護下さっているのに、人間の心得違いによって高低があるように勘違いして、高きに上ろう、上の者を引きずり降ろそう、上の者はそうさせまいとして下の者を利用したり叩き潰して自分達の立場を守ろうとする。そして戦いや競争に明け暮れる毎日になる訳です。
こういった事も含めて上下関係のない世の中に建て替えるには、銘々の心を入れ替えて、誰も苦しむ人のいない『互い立て合い助け合いの一列兄弟世界ろくぢ』を実践する世の中にしようという教えが重要な訳です。」
ハ「経済的格差や貧富の差も問題であると?」
役「一下り目の経済システムを考えていけば、その教えを理解し心に修め実践していけば、『講の中』では経済的上下格差や貧富の差も解消されていくのです。」
ハ「あぁ、中山みき様の教えは単独ではなく全て繋がっているのでしたね(笑)」
役「そう、それを忘れてはいけません(笑)。」
七ッ なんじふをすくいあぐれバ
八ッ やまひのねをきらふ
役「そして、中山みき様の教えを実践して行こうと、高低の無い互い立て合い助け合いの世界を目指して生きようと決心した人の行動や言葉は、難儀している人に助かって貰いたい、難渋している人を救い上げようという行いとなって現れてくる訳です。
救い上げるのですから、自分の上や下に置くのではなく、自分と同じ位置・立場に引っ張り上げる事がポイントです。
それが『一列兄弟世界ろくぢ』の実現ですね。人助けをしたから自分にご利益がある、何倍にもなって返ってくるなんて損得計算ではダメなのです。」
ハ「ふうむ、厳しいと言うか損な役回りですね。」
役「そう感じるのも無理はありませんが、それが理想的社会、陽気づくめの世の中の実現の第一歩なのです。
お言葉にも『欲があるならやめてくれ、神のうけとりできんから』とあります。
それに、無理に命令する、やらせようという信仰でもないのです。
本人の心定め次第で着いて来なさい、という教えです。
難渋を救い上げるという教えを『おつとめ』で身に付け、互い立て合い助け合いの理想に向かって自分が生きようと心を定めて実践して行けば、月日親神の心、つまり世界の真理、生命誕生の真実に沿う、合致する生き方考え方で人生を歩む事ができますので、自然に個人個人の心の悩みや体の問題も氷解してしまうし、社会問題や国際問題すらなくなって行くよ、と教えて下さっているのです。」
九ッ こころをさだめゐやうなら
十デ ところのをさまりや
役「その為にも、まずは銘々の心定め、つとめの理を実践して自分の周囲に『互い立て合い助け合いの豊かな講』を目指していくと、『むほん』も『やまい』も無くなり『陽気づくめの講』になる。
そこが『ところのをさまり』であり、教えを受けた者が目指す境地です。
それを最初に実践した、いや、現実には実現できなかったとも言えますが、中山みき様が最初に教えられたのはお屋敷の『かんろだいのぢば』なのですから、そこから取次ぎ人が世界中に、国々所々へ『互い立て合い助け合い』を始めれば、世界中いたるところに『かんろだいの理』が活き活きと芽生え、成長して花開くことになる訳です。」
ハ「なるほど。」
役「先程、ハルアキさんが市民活動的な運動と言ってましたが、形からすると同じですね。
まずは中山みき様が『互い立て合い助け合いの、豊かな、むほんもやまいも無い陽気づくめの世』を創るために心定めをして、具体的な方針や目標を決めた。
それを心に修めて身に付いた現実の教祖様の行動や言葉に触発された人達、いわゆるお弟子さんたちが取次ぎ人となって、次々に心定めと現実の行動に移す事が出来るようになった。
それが広がると、日本中、世界中が『陽気づくめの世』に建て替わる、と考えられます。
もっとも、現実の歴史ではそう簡単には行かなかった。
社会情勢や明治政府の圧力、また、中山みき様の教えを理解できなかった人も多かったかもしれません。
あるいは、理解していながら100%の信仰心ではなく、中山みき様を慕って集まる人を利用し、お金儲けと権力を手にして堕落してしまった人が居た事も覗えます。
世間一般では、そういう人達の方が賢いというか普通なのかもしれませんが、中山みき様の教え、目標や目指すべき先が素晴らしいモノだけに、残念でなりません。」
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