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『人を助ける』とは?その1

役「ハルアキさん、ちょっと神様のお話をしませんか?悪い話じゃないですよ。この世界を形造って、人類の始まりを創った、元の神様のお話です。」
ハ「何ですか、藪から棒に。何かと思えば『おつとめ』の『ちょいとはなし』じゃないですか(笑)。」

役「(笑)。いえね、私の方から神様についてのお話をする場合に、何か切掛けとなるような言い回しはないかと思っていたのです。」
ハ「私に対しては、そんな言い回しは結構ですから。」
役「そうですか?では本題に行って良いですか?」
ハ「どうぞ、どうぞ。」

役「ハルアキさんも天理教用語と言われる『言葉』が沢山あるのはご存知だと思いますけど、その中から重要なモノというか、勘違いされやすいモノを拾い出して考えていきたいのですよ。」
ハ「なるほど。天理教の教えというか、理解をするには重要な事ですね。」

役「今日は『人を助ける』という言葉と内容を考えていきたいと思います。」
ハ「教外でも『人助けの天理教』なんて言われる事もありますね。」

役「はい。教内では上級から部下教会や信者さんに対して『においがけ、お助けしなさい。』という叱咤激励が飛ぶことは良くあります。というより『お助けする事』が天理教の信仰だと言えます。『おふでさきやみかぐらうた』にも『助ける心が真の誠』とか『助ける心がないのが残念』というような言葉が沢山出てきます。」
ハ「なるほど、信仰する人の役割というか行動原理、信仰心の発露とも言える内容でしょうか。」

役「ええ、私の両親(会長夫妻)なども、会長会議などで大教会長から毎月のように『においがけ、おたすけが足らない。』と檄を飛ばされて、教会に戻って来てはあれこれ思案はするものの、結局大したことも出来ずに一月が過ぎる。そして、会議でまた同じ事を言われる、と溢していましたよ。でも、大教会長も『においがけ、おたすけしろ』とは言うものの、『どういう人』に対して『何をしてあげる事』がお助けで、『最終的にどうなれば』お助けした事になるのか、という話や議論は殆どされないのですよ。」
ハ「ええと、ビジネス的に言い変えれば、『Plan・Do・See』が曖昧だという事でしょうか?」

役「そうです。信者も教会長の殆ども『お助けしなさい』という言葉から、銘々の考えや価値観で判断してるのが現実だと思います。勿論、ひながたである『教祖様』の『お助け』が逸話や伝記で残っていますが、正確とは言えませんし怪しいモノが多いのです。」
ハ「それでは、信者さんも困りますし、誰かに訊いても判断がバラバラでは意味が無いに等しいですね。教団や教義として、行動や判断が統一されていないのでは、何の為の組織かとなります。」

役「それが今の天理教全体の問題にも繋がっていると思います。そこで、ハルアキさんは『人を助けなさい』『お助けしなさい』と言われて、『どういう人に』『何をしてあげる事』だと思いますか?」
ハ「そうですね。色々あると思いますが、困っている人に手を差し伸べたり、親切にして上げたり、例えば、電車の中でお年寄りに席を譲るとか親切にしてあげる事。悩んでいる人の相談の乗ってあげて、悩みを聞いてあげて、解決策を一緒に考えたり具体的な行動を示唆してあげたりとか。後は、実際の募金やボランティア活動も人助けでしょうし、目の前で事故か何かあって怪我をした人がいれば、救助や治療の手助けとかでしょうかね。火事の現場で素人の私が火の中に飛び込んで人命救助は出来ないかもしれませんが、その人への経済援助とか。近年、地震や大雨などの自然災害も多いですから、被災者への経済的支援やボランティアに参加するなどのサポート等が人助けだと思います。天理教の中でも『災救隊』というのが有ったのではないですか?」

役「はい。『災救隊』の話は後にして、ハルアキさんの意見をまとめると、人に親切にする、個人的問題の解決の手助けや援助、災害などの現実問題の人的金銭的援助やサポート、といった感じですね。天理教では事情身上と言われている部分の『人助け』ですね。」
ハ「そりゃぁ、まぁ、現実に問題なり困っている事があって、誰かの助けが必要とか、助けがあった方が良いから『人助け』になるのでしょうし。何も困っていない人を『助ける』事は出来ないし、必要ないでしょう?」

役「普通はそう考えますよね。いや、天理教関係者だけでなくほぼ全ての人がそう考えると思います。ではもう少し掘り下げさせて頂きますが、例えば、ハルアキさんが道を歩いていたら、その少し前に水道管の破裂か何かで路面が陥没して、落ちて怪我をしてしまった人が目の前にいるとしましょう。どうしますか?」
ハ「そりゃあ、そういう事故なら駆け寄って怪我の状態を確認して、必要なら応急手当てをするとか、救急車や警察を呼ぶとか、必要なら家族に連絡を取ってあげるとか、ですかね。まあ、警察や救急車が来れば、後は任せてあまりお節介な事はしない方が良いでしょうけど。」

役「そうですね。とりあえず目の前の困ってる人を助ける、何かの手配をするのが人助けでしょうが、この場合、それで終わりでしょうか?」
ハ「これで、というと?」

役「はい、穴に落ちた人を助けるのは勿論ですが、事故の場合は『二次災害を防ぐ』という重要な事があります。つまり、他の人が穴に落ちないように呼びかけをするとか、囲いをするとかして、これ以上怪我人が出ないようにしなければなりません。更に言えば、その穴そのものを塞ぐ、復旧させなければ終わった事にならない訳です。」
ハ「それはそうかもしれませんが、そこは警察だの行政だのの役割ですね。」

役「はい、勿論そうです。我々一般の人間が交通規制をしたり、道路の陥没を埋めるとか復旧させる事は出来ませんが、そうやって、問題の原因を取り除くまでが『人だすけ』なのではないかと思う訳です。もともと行政や警察などの仕事や目的には市民へのサービスや生活の安全を図るというモノがあるのですから。」
ハ「なるほど。現代社会ではそれを分担してやっている、という訳ですね。」

役「はい、まあ、仕事の分担はともかく、目の前の困っている人を助けるのと同様に、その原因や問題そのものを解決する、解消する事も大事だという訳です。」
ハ「確かに必要な事ですね。他の人が同じような事で困ったり、苦しむ事が無くなるならその方が良いです。」

役「そういう事です。では別の視点から考えますが、そういう『人助け』って中山みき様が教えてくれなかったら、誰も知らなかった事でしょうか?日本人は誰もそういう『人を助ける事や心』を持っていなかったのでしょうか?」
ハ「え?いや、そんな事はないでしょう。もっと昔から当たり前にあった事でしょうし、皆がそれなりに持っていたと思います。まぁ、先年の東日本大震災の時に話題にもなった日本人の秩序正しさと、互いを尊重して助け合う気持ちや行動、日本人の美徳とも言える事は、何時からとは言えませんけど、昔から有ったと思います。」

役「そうですね。災害などの時に必ずではないでしょうが、他所の国なら暴動だの略奪だのが起こりやすいのに比べて、日本人は秩序と冷静な行動が際立っていて世界からも称賛されています。あの様子は、戦前の大正時代に起きた関東大震災の時も同じように日本人は秩序を保った行動と助け合いをして、世界から注目されていた報道記事が残っているのですよ。」
ハ「そうなんですか?関東大震災というと、日本人がデマに扇動されて朝鮮人の大量虐殺をしたとかいう事件ばかりが聞かされていますが。」

役「それもどうやら事実と異なるようです。当時の記事を調べていくと、不逞鮮人が日本政府の転覆を図って計画していた所、関東大震災が起こってしまったので略奪暴行の直接行動に切り替え、それを各地の自警団や警備の日本人と衝突して両方に被害が出た、という記事が沢山見られます。今、その記事は手元にはありませんけど、ネットって便利ですね(笑)。まぁ、その問題はともかく、関東大震災も一応中山みき様の亡くなられた後の事ではありますが、中山みき様が、そういう『人助け』を教えてくれたから日本人がそういう行動をした、という訳では無いと思いませんか?」
ハ「まぁそうですね。え、という事は・・・?」

役「気が付きましたか?まぁ、順番に考えていきましょう。中山みき様が教えてくれた月日親神は、世界一列皆が可愛い子供で、一列全てを助けたい、という神様です。今現実に困っている人だけ、悩んでいる人だけ、事情身上を抱えている人だけの神様ではないのです。」
ハ「はい、では、現実に事情身上の無い人には何をしてくれる神様だという事なのですか?」



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