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「みかぐらうた」の意義

 「みかぐらうた」は、教祖様が従来折に触れ事に当って断片的にお口を通して説かれてきた教えを、わかり易くまとまった形に歌い上げており、ここに信仰の要領、目的、道人の在り様、布教の仕方等々が簡潔明瞭に指し示されることになりました。まさに教祖様の「教えの集大成」とも言えるものです。

 それ程重要なモノであり内容でありながら、その文言は平易で理解しやすい言葉で語られており、拍子や調子を取りながら心に修める「うた」の形式をとっています。また、文字だけでは悟り違いや勘違いが生じないとも限らないので、手振り身振りの「お手振り」によって正確かつ易しく理解する事の出来る「教え」になっています。

 「十二下り」を通じて溢れでているものは、親神様のお望み下さる、陽気暮らしの喜びの世界であり、親神にとっての子供(人類)が、「病まず弱らず、定命115歳」の世界を実現するための「心定め」とその道を歩むための「行動原理」であると言えるでしょう。「みかぐらうた」を地歌とする「かんろだい」を囲んで行われる「かぐらつとめ」をする事は、そのつとめ人衆の心は勿論の事、拝聴する者全て誰もが皆区別なく、必ずこの「陽気ぐらし世界建設」の喜びを味わうことができるという、希望と楽しみを与えられるものです。その教えの真理を心に修めた時、親に抱かれているような安らかさを与えられると共に奮い起つ勇気と力をお与え頂くことができる、喜びの「みかぐらうた」です。

教祖が「月日のやしろ」としておなりくだされてより、心一つでどんな中も喜び勇んで暮らすことの出来るひながたの道をお通りくだされること30年にして、そのお心の集大成を纏められたのが慶応3年のことです。
 「月日のやしろ」とおなりくださるや、瞬時も早く、一列の子供に「たすけ一条」の道を教えてやりたいとの切なる「おせき込み」をお待ちくださっているはずの教祖が、30年の歳月を経て初めてこれお教えくださることになったのは一体どうしたことでしょう。その年月は、教組様のお気持ちや考えを伝える術が十分ではなかったからかもしれない。また、その内容があまりにも世間一般の常識や価値観と乖離していた為、少し位話を聞いたり教組様のなさり様を見ても理解できなかったのではないだろうかと想像できます。これは、「みかぐらうた」にも「おふでさき」にも随所に見られる「そばなもの」や「とうじん」や「たすけるこころない」等の表現によっても容易に理解できます。

なお、「みかぐらうた」の掲載について、各下りの最後を「なむてんりんおうのみこと」ではなく「南無転輪王よしよし」としたのは、「みかぐらうた」に「てんりんおうのみこと」という呼称が使われていないので矛盾を感じたため、スッキリした呼称を使わせて頂きました。



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