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2つの目玉

(前回より続き)


ハ「2つの『目玉』ですか?」


責「はい。一つは教祖のひな形といいますか、中山みきを看板にしただけでなく、その一生を波乱万丈のドラマに仕立てて、巧みに神道教会派の教えを入れ込んでしまった嘘と虚構のストーリーを作り上げてしまった。教祖伝として編纂されたのは明治31年の『教祖様御伝』が最初だと思いますが、それ以前からオカルト摩訶不思議な教祖像が作られ語られていた訳です。それも、夫と密通した下女から毒殺されかけたのを許すとか、預り子のために自分の子供の命を捧げる慈悲深さとか、神に憑り付かれても家族の事を思って鏡が池に身を投げようとする様子とか、本当に一般受けするような、感動的な教祖像を作り上げてしまった訳です。これらの話は、一派独立のために官庁申請する書類として作られたストーリーだという事が明白になっています。まぁ、子供のことから信心深く、面倒見の良い優しい女性だったという事は問題ないでしょうが、当時の普通の女性ですよ。ほんなんでもない百姓家の女房なのですから。」

ハ「なるほど、宗教的教義はおいとくとしても、そういう誰からも讃えられ尊敬される教祖像を前面に出して教化したという訳ですね。」


責「今でも、みかぐらうたやおふでさきの解釈や研究などをせずに『教祖がこう言った、こんな事をした、私たちも見習いましょう。』みたいな話をする人がいるのではないですかね?もっとも、本部からの発信がその程度ですから仕方がないかもしれませんが。」

ハ「一応、みかぐらうたやおふでさきの解釈や解説をされた本は出版されていたと思いますけど?」


責「多少は出ていますけど、殆どは先ほど言ったオカルト摩訶不思議な教祖像、つまりは、神道教会派の教義や教えの流れを汲む内容ばかりです。御用学者が自己の保身のために書いた作文みたいなものです。もっとも、神道教会派の教えや教義を越えた解釈や新しい解釈、教祖の教えを追求する発表は、異端扱いされて排除や追放される訳ですが。」

ハ「本当に、天理教からの分派独立は多いですからねぇ。」


責「ええと、二つ目の『目玉』はビジネスモデルですね。」

ハ「ビジネスモデル?天理教は宗教ではないのですか?」


責「えぇ、天理教は宗教団体ですけど、天理教の教会制度はネットワークビジネスとかフランチャイズに似ていると、以前お話しをしたことを覚えてますか?不謹慎だと思う人も居るかもしれませんが、元々、宗教とビジネスって共通点が多いのです。特に、天理教の場合はMLM(マルチ=レベル=マーケティング)と似ている点が多い感じですね。」

ハ「なるほど。宗教と事業の違いはありますけど組織やお金のことなど共通点は多いように思えます。」


責「教会制度の上下関係はMLMそのものですね。一度できた組織は、まず上下関係が逆転することもないし、余程のことがなければ所属の異動や変更も出来ません。」

ハ「MLMは人から人へと繋がるビジネス、こちらは教会から教会へと繋がる訳ですね。」


責「教会から教会といっても、やはり人と人との繋がりですよ。その人から信者が増えて布教所から教会へとなるのですから。」

ハ「先に始めて、伝えた方が上に立つ、有利な点もそっくりですね(笑)。」


責「教義や教えを商品、お供えや御礼を売上の代金と考えれば、宗教もMLMもあまり変わりません。」

ハ「そうすると、月次祭や各集会、祭典などもMLMでいうイベントやミーティングなどと考えられますね。」


責「聞くところによると、MLMの大きなイベントでは『成功者』といわれるタイトルホルダーとか収入を揚げた人が舞台の上で話をするそうですが。」

ハ「はい。業界ではセミナーとかラリー等と呼ばれる大きな集まりでは定番の内容ですね。商品の事とか会社の事なども話しは出ますが、多くの聴衆(会員)の興味を惹くのは、どうしたら成功できるか、どうしたら収入を上げられるか、という事でしょう。」


責「なるほど、天理教の感話、講話でも、人助けの体験談とか、信者さんを増やした方法とか、定番の内容ですね。」

ハ「あぁ・・・、信者さんをMLMの会員と置き換えれば、お話の趣旨は似てるかもしれない・・・。」


責「まぁ、宗教をビジネス的に捉えれば、の話ですけど、基本的には宗教で生活をしている人達がいるという事は、『商売』『ビジネス』としての側面を持つのは何処も一緒です。そして、天理教の場合は、末端教会にとってあまりにもMLM的なブラック=ビジネスモデルだと言えます。」

ハ「他の宗教団体とはまた違った部分が多い、という事でしょうか?」


責「あのオウム真理教が、天理教をモデルにして信者組織を作ったり、お金集めをしたというのは有名な話です。そのくらいブラック的な要素が多いです。というのも、他の宗教では、教義や教えの部分でお金に関する事はあまり触れないのが一般的です。でも、天理教の場合は『教祖の道すがら』でお金に関する話が目いっぱい出てきますよね。」

ハ「あぁ、確かに。ええと、教祖伝では貧しい人への施しのためとなっていますが、屋形を取り払って田畑を質に入れて貧に落ち切ったと・・・。」


責「嘘で塗り固めた教祖伝ですけど(笑)。その虚構の道すがらを辿りなさい、真似しなさいというのが教義の根本になっていますから、大問題です。信者さんが直接貧しい人への施しをするならまだしも、教会に出させるのですから困ったものです。」

ハ「そこは何とも・・・。」


責「あぁ、失礼。話が逸れました(笑)。似たようなビジネスモデルはお茶やお花の家元制度のように既にあったと思っています。それを宗教の組織に取り入れたというのが当時としては画期的だったのではないでしょうか。」

ハ「しかし、売上を全部上にあげろというのでは、ビジネスにならないのでは?」


責「下の者達にはそう言っておかないと、と言ったところでしょう。教祖伝などを紐解いても、秀司がお札や魔除け虫よけの『肥のさづけ』などを販売していた経緯がありますが、当初は、本部もそういう販売とか御礼を受取る形から、信者が増えるにしたがって方向転換したのではないかと思えますね。」

ハ「なるほど、そういうビジネスを承知で飛び込んだ、信者になって布教した人も多かったと・・・。」


責「中山家が貧のどん底から富貴になる、教会建物は豪壮になり、土地も広がっていく、これも全て神様のご守護であるというのを眼に見せて信者を増やしていたのではないかと考えられます。」

ハ「あぁ、MLMでも、タイトルが上がって稼いでいる人は、ポルシェを買ったとか、高級マンションに住んでいるとか、月の半分は海外に遊びに行ってるなどと『贅沢な暮らしをしている』というのがウリになりますから、本部がそれをやって見せたのかもしれませんね。」


(続く)



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