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コロナ禍で思うこと その1



世間ではコロナ騒動が連日TVを賑わし、毎日のように新規感染者の人数が発表されている頃、久しぶりに責任役員さんから呼び出しを受け、つとめ場所を訪ねた。



責任役員「ハルアキさん、いらっしゃい。久しぶりですね。」

ハルアキ「ご無沙汰してすみません。責任役員さんはお元気でしたか?」

責「はい、おかげさまで。ハルアキさんはいかがですか?コロナで健康や仕事に問題はありませんか?」

ハ「えぇ、健康には問題ありませんが、仕事の方は在宅ワークが増えました。何処もかしこも自粛で人に会うことが出来ませんから。」

責「そうですね、こちらでも人に会う、人が集まることが制限されていますから、信者さんの集会や月次祭も自粛状態です。」

ハ「それはそれは・・・。教会も寂しくなりますね。」

責「今回のコロナは、若者や丈夫な人が感染してもそれほど問題は無いようですが、基礎疾患で免疫力の落ちている人やお年寄りが感染すると危ないらしいので、自粛せざるを得ませんね・・・。」

ハ「なるほど、責任役員さんも大変ですね。」

責「いや、おかげで古い書物を読んだり、調べ物をしたり、ネットで情報収集する時間がとれて、充実していますよ(笑)。」

ハ「なるほど。悪い事ばかりではないという事ですね?」




責「それで、かねてからハルアキさんが興味を持っていた、どうして教祖が亡くなってから短期間の間に天理教が全国に広がり、大正から昭和初期に掛けては700万人とも800万人とも言われる、実に日本人の1割もの人たちが信者になっていたという点について考えていたのですよ。今日は、その事に付いてハルアキさんに聞いて貰おうと思っていたのですよ。」

ハ「本当ですか?」


責「まずはこれまでの話を復習してみましょうか。」

ハ「はい。今までのお話しですと、教祖が亡くなる前に本席から『扉を開いて』というおさしづがあり、教祖が亡くなる(扉を開く)事で神様が教祖の身体から飛び出して全国に働きかけて広がったと。」


責「そうでしたね。」

ハ「でも、その説明だと、普段、オカルト摩訶不思議を排して教義を追及する責任役員さんのスタイルに合いませんよね?元々、教祖の身体に神様=人間を超越した力を持つ存在が入り込んだ、なんて認めていなかったのですから。」


責「はい、自分でも説明がつかなかった部分です。あくまで教祖の思考のたまものである教えですから、教祖が亡くなったからといって不可思議な力を発揮する訳ではありません。もし、何らかの力が働くとすれば、教祖が亡くなった事によって残った人たちが発奮して頑張った、という事ですね。」

ハ「なるほど、殉教者や革命の戦死者が英雄としてまつられ、残された人たちが発奮して大きくなるというのはよくある話ですね。」


責「はい。でも、これも以前お話しした通り、教祖の教えは明治政府と真っ向から敵対するような教えですから教団としては教祖の教え通りには説けないという事情があった。」

ハ「応法の理、という訳ですね?」


責「そうです。そこで政府の公認を得るために『神道天理教会』として東京に天理教本部が設立され、本席の命令でお屋敷に移転した訳です。」

ハ「そこでは、教祖の教えにはない『たすけたまえ天理王命』という座りつとめが教えられていたとか・・・?」


責「でも今の教団からは、教祖の教えではない、という話は出てきません。」

ハ「そりゃぁ、まぁ、そうでしょうね・・・。」


責「教祖が亡くなった段階で、教祖の教えを正しく伝えようとする派閥と神道天理教会として力を付けようとする派閥があって、それぞれで教えや伝える内容が違っていたと考えていたのですが・・・。」

ハ「当然、違いますよね?」


責「そして、広く伝わったのは教祖派の方だと私自身考えていました。」

ハ「まぁ、普通に考えれば、神道派の教えは政府の後押しがあったとはいえ、内容が内容ですから、早々広まるとは考えにくいですね。教祖派の人達が布教して、その教会や信者さん達を神道派に乗っ取られた、と考えるのが妥当だと思いますけど。」


責「そう考えるのが自然なのですけど、色々調べていくとそうでもなさそうなのです。」

ハ「どういうことでしょう?」


責「まず1点は、いわゆる不良教師事件です。」

ハ「ええと、教祖派の布教師、教師達が追放された事件ですね。確か、明治三十・・・。」


責「明治37年です。教祖派の泉田藤吉を始め、1400名の布教師が放逐されています。これは、教祖派にとっては大打撃で、主な教祖派が一掃されたと言えるでしょう。」

ハ「なるほど、一度に1400人もの布教師が放逐されては、ただでさえ少ない教祖派は壊滅でしょう。」


責「ええ、でも、その後も天理教の強勢は伸びているのですよ。そして、大正から昭和初期には7~800万人にもなったと伝えられています。」

ハ「なるほど。神道派の教えでも広がっていた、という事ですね?
そうすると・・・天理教の広がりは教祖の教えが主な理由ではない、と?」


責「私としては認めたくない事ですけどね・・・。」

ハ「それはそうでしょうが。」



責「さらに言えば、天理教に対する世間からの評価です。」

ハ「世間からの評価?」


責「はい。以前お話しした事があったと思いますが、天理教は『屋敷を払ろうて 助けたまえ てんてこ舞の命』などと揶揄されていた、という事です。」

ハ「はい、聞きました。天理教に入ると財産を残らずお供えさせられるとか、身代を潰すとか、まぁ、神様がお金を使う訳はありませんから、本部や大教会が贅沢三昧していた、というお話しでしたね?」


責「教祖の教えであれば、そんな搾取やお供えで身代を潰すような強要はしないはずなのです。先人たちは『この道は骨折り損の損のしっ放し』という言葉を残すくらい、見返りや要求をせず、ただ人助けに邁進していたはずです。こういう教祖の教えではない天理教の搾取体制やお話しがいつ位から広まったのか、という事です。」

ハ「なるほど、先ほどの不良教師事件を考えると、明治37年前後、という事になるでしょうか?」


責「はい。その事に関して、明治後半から昭和初期に掛けて、天理教の問題点や批判が新聞記事や本として出版されていたのはご存知ですよね?」

ハ「えぇ、改めて読んだ訳では有りませんが。」


責「まぁ、奈良県の寒村で産声を上げた宗教が、10~20年の間に当時日本最大の宗教団体に成長した訳ですから、当然、批判や反対は有ったでしょうし、中身を研究調査する学者や関係者も多数いたでしょう」

ハ「そうですね、出る杭は打たれる、とも言いますし。」


責「で、社会学掲示板に投稿された内容なのですが、明治35年発行の『天理教の害毒』という本に『金銭を妄りに寄付せしむる社会上の害毒』という項目と内容が記載されているのです。」

ハ「明治35年発行という事は、不良教師事件よりも前ですね。」


責「明治35年出版の本にこのように書かれているという事は、それより以前からそういう、金銭を妄りに寄附せしむる事が行われていたという事です。おそらく、2~3年前どころか、もっと前からでしょう。」

ハ「そうでしょうね。そもそも、教祖の教えでお供えだの金銭的要求をされない信者さんや教会が、仮に神道派の人達に乗っ取られたからといって、すぐさまお話しや教えの中身がガラッと変わったら、寄付も信仰もしなくなりますよね?」


責「もう一つ、明治29年に出された内務省秘密訓令はご存じですね?」
ハ「たしか、天理教が戦争に協力しないという事で内務省から天理教の取締りを強化する訓令が出された、という事でしたね?」


責「その内務省秘密訓令が天理教を取り締る理由として『妄りに寄附をなさしむる』というのが挙げられているのです。」

ハ「明治29年の時点でそれが挙げられているという事は、すでに『妄りに寄附をさせていた』という事になりますね。遡れば、明治20年代の中ごろか・・・。」


責「いつから寄付をさせるような布教が始まったかという事を考えると、もう、初めの頃からそうだったのではないかとしか考えられませんね。」

ハ「初め頃からですか。」


責「こういった資料から推察すると、ですよ。本席を中心とする教祖派の人達は教えを広めたかった、教祖の教えを伝えたかった。でも、教祖の教えでは認可も受けていませんし、組織として弱い。つとめ場所は神道派の神様が祀られ、かんろ台を建てようとした場所も中山家の敷地です。お屋敷に来る人たちに教祖の教えてくれた神様の話をしようとも出来なかった。そこで、神道派とは席を分けてお話をするようになった訳です。」

ハ「別席制度の始まりですね?」


責「とはいえ、席を分けて神様のお話しをしても、教祖の看板を背負って政府から認められた教会として営業しているのは、神道派の初代真柱真之亮です。体制や組織的な面では、これに従わざるを得ません。本席を始め教祖派の人達は忸怩たる思いで過ごされていたと思いますけど。」

ハ「いわゆる、応法の理というやつではないのですか?」

責「普通に応法の理と聞くと、教祖の教えを守り伝えたいけど政府の取締りがあるので已む無く教えを歪めて伝えていた、と解釈されています。この解釈は間違いではないのですけど、ポイントは、応法の理として已む無くというのは教祖派の人達だけの話で、神道教会派は最初から政府の方針や組織体制、お供えを揚げさせる制度や仕組みを取り入れ、教祖の教えに逆らいながら自分たちの立場と利益を確保する方便として『応法の理』という言葉を使っていたと考えられることです。全国に広がる信者組織や教会には、本部の教祖派の人達だけでは目が届きませんので、どのようなお話しや教えがされているかは本席にも把握できなかったでしょう。」

ハ「信者さんとしては、せっかく席を分けて教祖の教える神様のお話しを聞いても、その後に組み込まれる組織や教会が全く教祖の教えと相容れない神道教会のお話しですから、不思議に感じたり疑問に思ったりした人も居たのではありませんか?」


責「居たかもしれませんが、そういう疑問から目を逸らさせる『目玉』となるモノがあったのです。私が思うには2つの大きな『目玉』があります。」

ハ「2つの目玉ですか?」

(続く)



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