【参考意見】様 2020年7月5日 投稿
>>天理教審判 議会速記録によって暴露された天理教罪悪史
衆議院議員今井新造氏四ヶ年の天理教討伐議会論戦集 より
「私は何故に天理教と闘ったか?」
──而もなお闘い続ける!── 代議士 今井新造
天理教に就いて議会で初めて質問し、政府に取調べと処断を要望したのは、
昭和13年の春、国家総動員法審議の委員会であった。
爾来四年間、来る年も来る年も、根気よく同じ質問を繰り返し続けてきたが、
私の信念が達成されるまでは、今日以後も、この闘いは不退転に続けられるであろう。
天理教が、もしも現在の姿で日本に存在するならば、日本には政府も無く、法律も無いも同様だと私は思う。
天理教が、このまま存在する限り、
大臣などが如何に国体の明徴を唱えても、
いくら臣道実践を叫んでも、畢竟意義のないことだと思うにつけても、
私の命のある限りは、あらゆる手段をつくして私は闘い続けるつもりだ。
私のこの心持は、議会に於て制限された僅かな時間をもって、
政府に質問した私の言葉を聴いた人達は、誰もよく解ってくれることと思う。
忠節を盡すを以て本分とする日本臣民であるかぎり、
不義と邪悪を憎む日本人であるかぎり、
誰でも理解し共鳴し、義憤を感ぜずにはおられまいと思う。
これがもし解らないと言うならば、その人は大義の何たるを解せざる非国民であり、
解っても悲憤義憤を感ぜぬ人があるならば、その人は日本人として良心の麻痺した生ける屍である。
昭和13年の春、
全く未知の私を宿舎に訪ねて来て、天理教の大逆不敬と一切の罪悪を訴えた山中重太郎氏は、
七十の老齢とは思えぬ気魄に満ち、闘志に燃えた若々しさで、
熱火の如き口調弁舌をもって、論理整然、大義を説き、名分を論じ、
独力単身あらゆる苦難を忍びつつ30余年間、天理教と闘い続けた経過を、聲涙共に下って語るのであった。
「これまで永い間、各方面の有力者に頼んでみたが、皆いけません。
天理教から金とって寝返り打つ者ばかりで、
政治家だ、議員だ、学者だ、志士だ、名士だと偉そうな顔をして世間をごまかしても、
悪い奴ばかりでどうにもならぬ。
雑誌も新聞も、自分から種を持ち出して2-3回攻撃すると、
すぐに金とって、あとはプッツリ書かぬようになるで皆いかん。
こんなことで日本がどうなることかと思うと、このままでは死にきれませぬ。
今の議会で頼む人は、あんた様より他ないと人から話されたで、突然お訪ね致した訳や」
涙をいっぱい眼にためて語り続ける老人の、世にも奇怪千万の物語に、
私は愕然とし茫然とした。
百鬼は夜に於て横行するものとばかり聞いていたが、
天理教をめぐる幾百幾千の大鬼小鬼は白日の下、堂々と横行闊歩しているのである。
天理教の魔力は、あらゆる方面に延びて、その根は極めて深く、その幅は広い。
所謂、名を求め、利を欲し、命を惜しむ俗人小輩には断じて闘い得ざる容易ならぬ問題である。
しかしながら、それが如何に困難のことであるにせよ、
前途にどんな迫害が待つにせよ、
これを不問に附し黙視することは、良心ある日本臣民として断じて忍び得ざるところである。
こうした決意で、私は議会で起ったのであるが、爾来4年間、政府は一体天理教に対して今日まで何をしたか。
文部省は、内務省は──。
さらにまた、10年前に提起した山中老人の、天理教に対する大逆不敬の告発は、
大審院に於て未だ一同の取調べすら行われておらぬではないか。
しかし、神の守護し給う日本は常闇の国ではない。
見よ、正しき者が遂に勝つ日は、すでに迫ってきたではないか。
大審院で未だ取調べないにも拘わらず、
一昨年の秋、別の事件で山中老人を取調べた大阪地方裁判所判事である
大野一雄、村松健三九の両氏が、山中氏の口から、
天理教の大罪悪と、30余年間の闘争の経過とを聴取して憤然蹶起、
法の尊厳擁護のために職を賭するも辞せざる決意の下に、
昨年来天理教に対して、根本的、本質的、致命的の徹底せる取調べを開始し、
今現に公判となって、審理が進められておるということを、
最近、山中氏から耳にして私は合掌、神に感謝した。
これでこそ法が神聖であり、法が尊厳であり、法の独立が維持されるのである。
如何に強大なる権力と魔力を持つにせよ、
不義と邪悪は必ず亡び、時来たらば正しきものは遂に勝つのである。
正邪善悪の事理は、既に余りにも明白である。
この事実を前にして、文部省は今後、天理教に対して如何に処置するか。
内務省はどうする。
大審院検事局はどうする。
願わくは、来るべき議会に於て、重ねて同じ質問を、私に繰り返させることなきよう、
私は国家のために心から祈るものである。
昭和16年3月26日 衆議院控室にて
★ 第73回帝国議会(昭和13年)
衆議院国家総動員法案委員会議録
会議 昭和13年3月12日、午前10時28分開議
出席委員
委員長 小川郷太郎君 委員 今井新造君(外44名)
出席国務大臣
内閣総理大臣公爵 近衛文麿君
外務大臣 廣田弘毅君 海軍大臣 米内光政君
司法大臣 鹽野季彦君 陸軍大臣 杉山元君
商工大臣 吉野信次君 鉄道大臣 中島知久平君
文部大臣兼厚生大臣 木戸幸一君
内務大臣 末次信正君
──(前文略)──
〇今井(新)委員
内務大臣と司法大臣にお尋ね致します。私のお尋ね致したいと思いますことは国民として一日も一刻も疎かにすることのできない国体明徴に重大なる関係を持つ問題であるのであります。あわせて新聞紙の取締りと云うことに就いても関係を持つもので御座いますから、その御つもりで御聴取を願いとうございます。曩頃、私の手許へ届きました一通の印刷物を開いて読んで参りましたところが、私は読んで参りまする中に、肌に粟を生ずるような感じが致しました。段々読んでいきますと眼に涙が浮かんで参りました。実にその内容は驚くべき事が書いてありまして、明らかに国家の体面を傷つける怪文書とも言うべき印刷物であります。ただ今それを持参致して参りましたが、その印刷物は昭和13年2月10日発行のものであります。名称は「日満経済論壇」というものの号外であります。執筆者は三宮維信という人で、その見出しに一体何と書いてあるかと申しますると、こういうことが書いてある。
「政界・官界の伏魔殿、天理教本部を暴く。
天理教不敬事件告発の真相と司法当局の態度、政党・官僚の政治的策謀資金の本拠を衝く」
こういう見出しであります。内容を一々申しますると時間がありませぬから、私は簡略に、この文書の内容を申したいと思います。昭和6年4月2日、今から7年前です。山中重太郎という人が、天理教管長中山正善と同教本部実権者松村吉太郎の両人に対し不敬罪として、一切の不敬に亘る事実を列挙し犯罪事実を明白にして告訴を提起した。さらに同人は昭和11年6月5日、江島弁護士を代理人として天理教「泥海古記」の編纂者たる元文部大臣平生釟三郎氏の秘書官、現天理教管長顧問岩井尊人を不敬罪として告訴を提起したという事実が、この文書に書いてあります。然るに奇怪千万にも、この大逆不敬の証拠歴然たるものあるにも拘わらず、告訴提起以来7ヶ年間、司法当局は之を全く捨てて顧みない。被告人に対して一回の取調べも行わない。さらにまた一面に於ては、告訴を受けた天理教の幹部は巨億の富を有するが故に、贈賄と買収に狂奔致しまして、盛んに不浄の金を国家機関の各方面の有力者にばら撒いている。こういう事が書いてある。これが而も、情を知ってこの不浄の金を天理教の幹部から受けた者には、宮中の顕官あり文部の顕官あり、内務の顕官あり、司法官あり、貴族院議員あり、代議士あり、大将あり、政党総裁あり、こう書いてあります。断定的に書いてある。日本国民として一日も黙許し難き不敬大逆罪を告発して、而も7ヶ年間、何等の処置に出でて無い。しかも国家枢要の地位にある者が挙って情を知りつつ、これを助けるが如きことは、正に天、人ともに許すことのできない事であって、綱紀の頽廃の之より大なるは無い。こういう意味の事が、この文書に書いてあります。これを一々読みますと、私が只今言ったような程度のものではない。驚くべき事が書いてあります。けれども取締りの任に当たられております内務大臣は、この印刷物について御承知がありますか、先ずこの点を、お尋ね致したいと思います。
〇末次国務大臣
只今ご質問の、その書類は未だ見ておりませぬ。
〇今井(新)委員
御答によりますと未だ御覧になっておらぬ様であります。只今、申述べました様な事情でございまして、この文書の中に私が只今申述べた様な事が判然と書いてある。もし事実無きにも拘わらず、斯くの如く国家の体面を明らかに傷つける様な事を書いて、これを発行したとするならば、これは書いた者に重大なる責任があると思います。当局としては当然、適当の処置に出でべきものであると存じます。
(篠原委員長代理退席 委員長着席)
この際、この印刷物は内務大臣に差し上げますから、どうぞよく読まれた上、御調べを願いとう御座います。
次に司法大臣にお尋ね致します。この文章の書き方、文章の勢い、内容を読んでいきますと、実に理路整然として堂々たる大文章である。嘘の事では、こんな事は書けるものではないという様に、私には直感されます。昭和6年4月2日、私が今申述べた天理教に対する大逆不敬の告訴の提起されたという事を、司法大臣は御承知になっておりますか。
〇鹽野国務大臣
只今の告訴に付きまして私は承知致しておりませぬが、左様の文書がありますれば必ず告訴があったものでありましょう。而して、その結末が必ず付いている事と存じます。私の記憶しているところでは、山中重太郎という者が盛んに天理教の攻撃をしておったという事だけは、ぼんやり記憶がありますから何か事件があったろうと思います。しかし数年に亘って検事局が打棄てているものとは考えませぬから、結末が付いている事と存じます。
〇今井(新)委員
司法大臣の只今の御答弁によりますと、これだけの重大問題を7年間に亘って司法当局が放任しておくとは思われない。おそらく片が付いているものと思う。こういう御答弁と拝承致しますが、この文書によると只今の司法大臣の御答弁と全く反しておりまして、7年間も捨てて置き、しかも驚くべきことには天理教のばら撒いた不浄の金が司法官にまで及んでいると断定して書いてある。これは司法大臣として国家の名誉のために、また尊厳なる司法権のために、一日も放任しておく問題ではないと私は思います。あなたは責任上、至急この件について御取調べあることが当然の事と存じますが、御取調べになられますか。
〇鹽野国務大臣
早速、取調べてみます。
──(後文略)── 以上昭和13年分<<
天理教審判 議会速記録によって暴露された天理教罪悪史
衆議院議員今井新造氏四ヶ年の天理教討伐議会論戦集
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(参考意見様)
まさに地獄の沙汰も金次第。
昭和13年、この後、日本は戦争そして敗戦へと進み、
そのドサクサの中で全てはウヤムヤになってしまったのでしょうか。
* 山中重太郎氏の起こした告訴の内容や文書が気になります。
ちなみ、昭和13年には既に支那事変の真っ最中ですから国内はともかく対外的には戦争の真最中です。
政府としては、戦争に協力的な天理教に対する弾圧や取締りは避けたかったのかもしれません。