1/17000の闘争と逃走

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日本全国に根を張る巨大組織。
その中のたった一つの小さな存在が反乱を起こし、闘争と逃走を開始した。
その記録と手法を簡明な文章でお届けする。

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【参考意見】様  2020年7月5日 投稿

 

>>天理教審判 議会速記録によって暴露された天理教罪悪史

衆議院議員今井新造氏四ヶ年の天理教討伐議会論戦集 より

 

 

「私は何故に天理教と闘ったか?」

 

  ──而もなお闘い続ける!──  代議士 今井新造

 

 

天理教に就いて議会で初めて質問し、政府に取調べと処断を要望したのは、

昭和13年の春、国家総動員法審議の委員会であった。

爾来四年間、来る年も来る年も、根気よく同じ質問を繰り返し続けてきたが、

私の信念が達成されるまでは、今日以後も、この闘いは不退転に続けられるであろう。

 

 

天理教が、もしも現在の姿で日本に存在するならば、日本には政府も無く、法律も無いも同様だと私は思う。

 

天理教が、このまま存在する限り、

大臣などが如何に国体の明徴を唱えても、

いくら臣道実践を叫んでも、畢竟意義のないことだと思うにつけても、

私の命のある限りは、あらゆる手段をつくして私は闘い続けるつもりだ。

 

 

私のこの心持は、議会に於て制限された僅かな時間をもって、

政府に質問した私の言葉を聴いた人達は、誰もよく解ってくれることと思う。

 

忠節を盡すを以て本分とする日本臣民であるかぎり、

不義と邪悪を憎む日本人であるかぎり、

誰でも理解し共鳴し、義憤を感ぜずにはおられまいと思う。

 

これがもし解らないと言うならば、その人は大義の何たるを解せざる非国民であり、

解っても悲憤義憤を感ぜぬ人があるならば、その人は日本人として良心の麻痺した生ける屍である。

 

 

昭和13年の春、

全く未知の私を宿舎に訪ねて来て、天理教の大逆不敬と一切の罪悪を訴えた山中重太郎氏は、

七十の老齢とは思えぬ気魄に満ち、闘志に燃えた若々しさで、

熱火の如き口調弁舌をもって、論理整然、大義を説き、名分を論じ、

独力単身あらゆる苦難を忍びつつ30余年間、天理教と闘い続けた経過を、聲涙共に下って語るのであった。

 

「これまで永い間、各方面の有力者に頼んでみたが、皆いけません。

天理教から金とって寝返り打つ者ばかりで、

政治家だ、議員だ、学者だ、志士だ、名士だと偉そうな顔をして世間をごまかしても、

悪い奴ばかりでどうにもならぬ。

雑誌も新聞も、自分から種を持ち出して2-3回攻撃すると、

すぐに金とって、あとはプッツリ書かぬようになるで皆いかん。

こんなことで日本がどうなることかと思うと、このままでは死にきれませぬ。

今の議会で頼む人は、あんた様より他ないと人から話されたで、突然お訪ね致した訳や」

 

 

涙をいっぱい眼にためて語り続ける老人の、世にも奇怪千万の物語に、

私は愕然とし茫然とした。

百鬼は夜に於て横行するものとばかり聞いていたが、

天理教をめぐる幾百幾千の大鬼小鬼は白日の下、堂々と横行闊歩しているのである。

 

天理教の魔力は、あらゆる方面に延びて、その根は極めて深く、その幅は広い。

 

所謂、名を求め、利を欲し、命を惜しむ俗人小輩には断じて闘い得ざる容易ならぬ問題である。

 

 

しかしながら、それが如何に困難のことであるにせよ、

前途にどんな迫害が待つにせよ、

これを不問に附し黙視することは、良心ある日本臣民として断じて忍び得ざるところである。

 

こうした決意で、私は議会で起ったのであるが、爾来4年間、政府は一体天理教に対して今日まで何をしたか。

文部省は、内務省は──。

さらにまた、10年前に提起した山中老人の、天理教に対する大逆不敬の告発は、

大審院に於て未だ一同の取調べすら行われておらぬではないか。

 

しかし、神の守護し給う日本は常闇の国ではない。

見よ、正しき者が遂に勝つ日は、すでに迫ってきたではないか。

 

大審院で未だ取調べないにも拘わらず、

一昨年の秋、別の事件で山中老人を取調べた大阪地方裁判所判事である

大野一雄、村松健三九の両氏が、山中氏の口から、

天理教の大罪悪と、30余年間の闘争の経過とを聴取して憤然蹶起、

法の尊厳擁護のために職を賭するも辞せざる決意の下に、

昨年来天理教に対して、根本的、本質的、致命的の徹底せる取調べを開始し、

今現に公判となって、審理が進められておるということを、

最近、山中氏から耳にして私は合掌、神に感謝した。

 

これでこそ法が神聖であり、法が尊厳であり、法の独立が維持されるのである。

 

如何に強大なる権力と魔力を持つにせよ、

不義と邪悪は必ず亡び、時来たらば正しきものは遂に勝つのである。

正邪善悪の事理は、既に余りにも明白である。

 

この事実を前にして、文部省は今後、天理教に対して如何に処置するか。

内務省はどうする。

大審院検事局はどうする。

願わくは、来るべき議会に於て、重ねて同じ質問を、私に繰り返させることなきよう、

私は国家のために心から祈るものである。

 

  昭和16年3月26日 衆議院控室にて

 

 

★ 第73回帝国議会(昭和13年)

 

衆議院国家総動員法案委員会議録

会議 昭和13年3月12日、午前10時28分開議

 

出席委員

委員長 小川郷太郎君  委員 今井新造君(外44名)

出席国務大臣

内閣総理大臣公爵 近衛文麿君

外務大臣 廣田弘毅君   海軍大臣 米内光政君

司法大臣 鹽野季彦君   陸軍大臣 杉山元君

商工大臣 吉野信次君   鉄道大臣 中島知久平君

文部大臣兼厚生大臣 木戸幸一君

内務大臣 末次信正君

 

──(前文略)──

 

〇今井(新)委員

 内務大臣と司法大臣にお尋ね致します。私のお尋ね致したいと思いますことは国民として一日も一刻も疎かにすることのできない国体明徴に重大なる関係を持つ問題であるのであります。あわせて新聞紙の取締りと云うことに就いても関係を持つもので御座いますから、その御つもりで御聴取を願いとうございます。曩頃、私の手許へ届きました一通の印刷物を開いて読んで参りましたところが、私は読んで参りまする中に、肌に粟を生ずるような感じが致しました。段々読んでいきますと眼に涙が浮かんで参りました。実にその内容は驚くべき事が書いてありまして、明らかに国家の体面を傷つける怪文書とも言うべき印刷物であります。ただ今それを持参致して参りましたが、その印刷物は昭和13年2月10日発行のものであります。名称は「日満経済論壇」というものの号外であります。執筆者は三宮維信という人で、その見出しに一体何と書いてあるかと申しますると、こういうことが書いてある。

 

「政界・官界の伏魔殿、天理教本部を暴く。

天理教不敬事件告発の真相と司法当局の態度、政党・官僚の政治的策謀資金の本拠を衝く」

 

こういう見出しであります。内容を一々申しますると時間がありませぬから、私は簡略に、この文書の内容を申したいと思います。昭和6年4月2日、今から7年前です。山中重太郎という人が、天理教管長中山正善と同教本部実権者松村吉太郎の両人に対し不敬罪として、一切の不敬に亘る事実を列挙し犯罪事実を明白にして告訴を提起した。さらに同人は昭和11年6月5日、江島弁護士を代理人として天理教「泥海古記」の編纂者たる元文部大臣平生釟三郎氏の秘書官、現天理教管長顧問岩井尊人を不敬罪として告訴を提起したという事実が、この文書に書いてあります。然るに奇怪千万にも、この大逆不敬の証拠歴然たるものあるにも拘わらず、告訴提起以来7ヶ年間、司法当局は之を全く捨てて顧みない。被告人に対して一回の取調べも行わない。さらにまた一面に於ては、告訴を受けた天理教の幹部は巨億の富を有するが故に、贈賄と買収に狂奔致しまして、盛んに不浄の金を国家機関の各方面の有力者にばら撒いている。こういう事が書いてある。これが而も、情を知ってこの不浄の金を天理教の幹部から受けた者には、宮中の顕官あり文部の顕官あり、内務の顕官あり、司法官あり、貴族院議員あり、代議士あり、大将あり、政党総裁あり、こう書いてあります。断定的に書いてある。日本国民として一日も黙許し難き不敬大逆罪を告発して、而も7ヶ年間、何等の処置に出でて無い。しかも国家枢要の地位にある者が挙って情を知りつつ、これを助けるが如きことは、正に天、人ともに許すことのできない事であって、綱紀の頽廃の之より大なるは無い。こういう意味の事が、この文書に書いてあります。これを一々読みますと、私が只今言ったような程度のものではない。驚くべき事が書いてあります。けれども取締りの任に当たられております内務大臣は、この印刷物について御承知がありますか、先ずこの点を、お尋ね致したいと思います。

 

〇末次国務大臣

 只今ご質問の、その書類は未だ見ておりませぬ。

 

〇今井(新)委員

 御答によりますと未だ御覧になっておらぬ様であります。只今、申述べました様な事情でございまして、この文書の中に私が只今申述べた様な事が判然と書いてある。もし事実無きにも拘わらず、斯くの如く国家の体面を明らかに傷つける様な事を書いて、これを発行したとするならば、これは書いた者に重大なる責任があると思います。当局としては当然、適当の処置に出でべきものであると存じます。

(篠原委員長代理退席 委員長着席)

この際、この印刷物は内務大臣に差し上げますから、どうぞよく読まれた上、御調べを願いとう御座います。

次に司法大臣にお尋ね致します。この文章の書き方、文章の勢い、内容を読んでいきますと、実に理路整然として堂々たる大文章である。嘘の事では、こんな事は書けるものではないという様に、私には直感されます。昭和6年4月2日、私が今申述べた天理教に対する大逆不敬の告訴の提起されたという事を、司法大臣は御承知になっておりますか。

 

〇鹽野国務大臣

 只今の告訴に付きまして私は承知致しておりませぬが、左様の文書がありますれば必ず告訴があったものでありましょう。而して、その結末が必ず付いている事と存じます。私の記憶しているところでは、山中重太郎という者が盛んに天理教の攻撃をしておったという事だけは、ぼんやり記憶がありますから何か事件があったろうと思います。しかし数年に亘って検事局が打棄てているものとは考えませぬから、結末が付いている事と存じます。

 

〇今井(新)委員

 司法大臣の只今の御答弁によりますと、これだけの重大問題を7年間に亘って司法当局が放任しておくとは思われない。おそらく片が付いているものと思う。こういう御答弁と拝承致しますが、この文書によると只今の司法大臣の御答弁と全く反しておりまして、7年間も捨てて置き、しかも驚くべきことには天理教のばら撒いた不浄の金が司法官にまで及んでいると断定して書いてある。これは司法大臣として国家の名誉のために、また尊厳なる司法権のために、一日も放任しておく問題ではないと私は思います。あなたは責任上、至急この件について御取調べあることが当然の事と存じますが、御取調べになられますか。

 

〇鹽野国務大臣

 早速、取調べてみます。

 

──(後文略)── 以上昭和13年分<<

 

天理教審判 議会速記録によって暴露された天理教罪悪史

衆議院議員今井新造氏四ヶ年の天理教討伐議会論戦集

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097584

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

(参考意見様)

まさに地獄の沙汰も金次第。

昭和13年、この後、日本は戦争そして敗戦へと進み、

そのドサクサの中で全てはウヤムヤになってしまったのでしょうか。

 

* 山中重太郎氏の起こした告訴の内容や文書が気になります。

  ちなみ、昭和13年には既に支那事変の真っ最中ですから国内はともかく対外的には戦争の真最中です。

  政府としては、戦争に協力的な天理教に対する弾圧や取締りは避けたかったのかもしれません。

  

 

【参考意見】様  2020年7月5日投稿

 

>>天理教審判 議会速記録によって暴露された天理教罪悪史

 

衆議院議員 今井新造氏四ヶ年の天理教討伐議会論戦集 より

 

 

刊行宣言

 

ここに収録した議会速記録は、

衆議院議員今井新造氏が、

第73議会より第76今議会に亘る四ヶ年間に於て、

真摯なる熱情をもって、断乎として所信に邁進し、

敢然、起って議場に咆哮せる質問演説を、

速記録の対話体の形式のまま編集致したものであります。

 

申すまでもなく、

議員の議場に於ける発言には、

一抹の虚言も許されず、

一糸の詐意も織り込まれては居りませぬ。

 

国家の選良である代議士今井新造氏が、

皇道の大義に燃え万民翼賛の赤誠を吐露したる発言に対しては我等は満腔の信服を致すものであります。

 

 

慮るに、議場に於ける質問に端を発しましたる事象が、

足掛け四ヶ年の年月を費やして、なお遅々として進展せず、

或いは全然その緒にさえ就かぬという例は、

古今東西に極めて稀であります。

 

しかも、ここに収録した四ヶ年の速記録集に観られる如く、

皇紀まさに2601年、天皇御親政、万民翼賛の叫ばれつつある昭和聖代の現在に、

この稀有の怪事実が現存しているのであります。

 

こんなことでは、口に百万遍臣道実践を唱え、億の標語に一億一心を識したとて、

何にもなりはしないのであります。

 

こんなことでは靖国の神と祭られる十万一千の英霊に対し、

将又、酷寒酷暑の大陸の戦場に現在、

命を的に敢闘せられつつある将兵諸士に対しても慚愧汗顔の至りであると思うのであります。

 

 

戦時体制下の現時に於て、

その戦争目的遂行上に障害を来すが如き、極めて不適正なる浮遊層が、

政治、経済界の上層部に蟠居しある事実に就いては、

弊社既刊にかかる「小山亮代議士小林商相機密漏洩並びに脱税問題に対する質疑応答」なる議会速記録集に於て、

完膚なきまでに剔抉致しおきました。

 

 

本事件が今より四年前、

今井代議士によって議会に問題化せらりしにも拘らず、

その発言の際には、各国務大臣、各委員をはじめ、代議士、新聞記者多数傍聴せるにも拘らず、

官政界は勿論、言論界に於てすらなお本件に対し黙殺的態度に出でしことは、

本事件が前述の極めて不適正なる浮遊層と錯雑せる因果関係を綴結しあるを物語るものと言うべきであります。

 

 

本事件に対し、特に同憂具眼の士の重且つ大なる注視を要する所以がここにあり、

弊社が多大の犠牲を排して、この速記録を刊行せし所以もまた、ここにあるのであります。

 

この速記録集を通じて、脈々として一貫するところのものは、

即ち正を踐み義を貫くところの破邪顕正の大精神であります。

 

悠久2600年の我が日本民族史に炳乎として輝く革正の大道であります。

 

我等はこの信念に燃え、この所信を貫くことこそ、云うところの臣道実践であり、

職域奉公なりと確信致すのであります。

 

我等は浅才、微力ながら、その資力の続く限り、革正の大道に突進せんことを期するものであります。

 

来るべき第77議会に於て、五度今井代議士が、その舌戦を展開するならば、

弊社は再び、三度かくの如き速記録を刊行して、同憂具眼の士にまみえるでありましょう。

更になお同志を動員し、文化戦闘陣を編成して、目的達成に邁進するでありましょう。

 

我等はかくして、実践政治による明朗日本を要望し、

一億一心、万民翼賛による強力日本を待望するのであります。

 

 

我等の理念は、つねに英霊とともにあり、我等の信念は確固不抜である。

 

 

昭和16年4月 編者識す

 

(続く)

 

【参考意見】様  2020年6月25日投稿

 

>>昭和5年発行「天理教その搾取戦術」より

 

 

第一の例によりて明らかに知られる如く、

 

人間のようなものでない、理が神、誠一つが天の理なることを知ることができるのである。

 

さて理とか誠とかいうものは、

実在として存在するものではなくして、言わば名前である。

 

例えて言えば、砂糖袋の袋のようなもので、何も無いものである。

道徳と云うに於て規範としてあるので、道徳が実在として存在するものでない。

 

難しい言葉で言えば、存在判断の対象とは如何にしてもなり得ないものであって、

それは価値判断の対象としかならぬものである。

 

だから第二例の文中にもある如き抽象されたものであり、空っぽな何も無いものである。

だからこれを有ると思って、いくら有難がったところで、

砂糖袋の空のやつから、砂糖が出て来っこはないではないか。

 

たまには砂糖が出てきたかの如くに甘く感ずるかも知れぬが、

それは甘く感じたまでで、胃液が出るから食物が必ず胃袋の中に入ったとは限らない。

 

食物を考えただけでも、我々の胃に於いての生理的作用の必然より、胃液は出るものである。

だから胃液が出たから食物が入ったのだなんぞ考えるのは、

一大錯覚であるか、認識不足の人のみに真理として受け取られる真理である。

もう一例を示すが、我々は梅酢を口中に入れれば非常に唾液が出ることは誰でも知っている。

ところがまた梅酢を思い出しても、スッパいと思うと唾液が出るということも誰でも知っている。

そこで問題はここにある。

梅酢を思って唾液が出たからといって、俺は梅酢を食ったと言う者があるならば、読者諸君は必ず笑うだろう。

 

が、精神的の状態では、食わぬ梅酢に唾液を分泌せしめて、

本当に梅酢を食ったと思い込んでいる者が、随分あることを知らねばならぬ。

 

 

実際に実在せざる神に祈願祈祷を捧げて何の価値があるか。

 

* 「たすけでもをかみきとふでいくてなし    うかがいたてゝいくでなけれど」 3-45

  毎朝夕のおつとめで一生懸命「お願い」「祈祷」をしている教会や信者さんは多いと思いますが、

  教祖も「拝み祈祷で人助けをするわけではない」と教えてます。

  

 

もし御利益があるとしたら、

それは食わぬ梅酢に唾液を出して、

食わせてもらったと有難がるのと一般(※同様、同類)である。

 

 

 

教祖は規範を教えたのだ。

 

 

教祖の教えた神は、第一例によれば規則を教えたのである。

 

 

だから神を祈ることは、その規則を実行することである。

 

* かねてより、

  教祖の教えが宗教という形ではなく、道徳や社会規範として広まるか、

  哲学、経済学、社会学という学問的研究がされれば、

  天理教はまた違った発展を遂げたのではないかと個人的に考えていましたが、

  批判的立場の人からこのような指摘や意見を頂くとは驚きしかありません。

  それも90年も以前に、、、  ため息が出るばかりです。

 

 

その規則は道徳で云う誠であるに過ぎない。

真実、正直であるに過ぎない。

これは宗教ばかりでなく、道徳倫理の教えるところである。

 

何等の奇も無く、変哲も無い。

道徳倫理は人間の履むべき常道なり。

何で、こと新しく偉くせしめる必要あるやである。

 

* 教祖は、人間の生命発祥から陽気づくめの世界に至るまでの「理」(=生命発祥の理、天然自然の理、陽気づくめ普請の理)を教えて下さっていますが、教団から外部に発信される情報ではその事には触れず、オカルト摩訶不思議な教祖の「中身のない言葉だけ」になっておりますので、一般の道徳理論とさほど変わらない程度と思われても仕方がないかもしれません。

 

 

くれぐれも言う。

 

 

神は理なり誠なりである。

神は道徳である。

 

 

(天理教のいう神が)読者諸君よ、道徳に祈祷祈願を諸君はするか?

 

道徳に対して宗教的行為を、するとしないとは読者諸君の勝手だが、

余をして言わすむれば祈祷祈願を道徳にするよりも、

まず道徳的行為、倫理的実践を行うことが、最も必要かつ先決問題ではないか。

 

 

かかる意味の要求を、天理教の神は要求していることは、漸次明瞭に展開されるであろう。

 

 

理は無なり(実在せざると云うこと)ということを銘記されたい。

 

* ここまで明瞭に「神の存在」を否定した批判は初めて見ました。

  これは天理教に限らす、既存宗教の殆どに当てはまる内容だと思います。

 

 

 

次に第二例であるが、この第二例は、

全く理=神と日本古典の神名とを結びつけるに、イタく苦心しているのが、ありありと看取される。

 

しかも遂には、

天理教の神と日本古典(古事記、日本書紀、古語拾遺等)の神との結合に於て付会成らず、

失敗に終わっているのは、真に気の毒であると言わねばなるまい。

 

そしてまた天理教の神と日本古典の神との付会をせるものなりとのことに対する、

余等の研究の対象には恰好の標本であるのだ。

 

ではこれを解剖台上に引っ捕らえて来て、剖検して見ることとせん。

 

* これまでの他の書籍にもありましたように、「認可を受けるために作った」教典なので、神名や守護、来歴、教義の解釈に辻褄が合わない事が多いのです。その明治教典の流れで戦後の昭和教典が作られています。

 

 

第二例によれば、

「天理王命とは十柱の神様を総称して申し上げるのであります。総称とは十柱の神様の御守護を抽象して称えたので云々」とある。

 

さて、この文中の抽象ということについては、もう説明した。

 

だから今度は総称ということについて、少し述べることとする。

 

 

総称とは例えば、

人参、巻菜、水菜、蓮等を一括して青物または野菜と称することと同一であって、

野菜なるものは、実は人参や巻菜や水菜や蓮を離れてはない。

だから人参や巻菜や水菜や蓮は存在するが、野菜はそれ自身では存在しないのである。

 

有るのではないのである。

無いのである。

空っぽなのである。

 

ここでも天理王命は、ただ名前だけで存在しないのである。

 

と、天理教学者等が明白に書物に書いているのである。

 

如何に彼等の公正なる処置の仕方よ。

 

三讃に価するだろう。

 

 

だがここに見逃すべからざる、不敬神の事実がある。

 

それは上述の如き、無い神様、名前ばかりで存在しない神様を以て、

日本の神様即ち十柱の神様を総称するという一事である。

 

少なくとも神様の御名を一柱々々に称し奉るは当然であって、

これを一つにひっくるめて言ってしまうとするのは、

如何にも神に対する冒涜も甚だしいではないか。

 

日本古典の神は、清濁併せ吞むの浩博なる気宇を有するを以て、

神罰を下すことを差し控えられているのであろうが、

これが他の神様であってみたまえ。

神罰たちどころに下るであろう。

 

とにかく突然現れた無籍の天理王命を、日本古典に神籍を有する十柱の神の総称だなんぞと言うのは僭越の沙汰である。

しかも論者が天理教徒の一信徒で、

偏執病にかかっている者ならば、

まだ赦すべき点もあろうが

(余の見るところを以てせば、天理教に関する信徒側の著書中、この偏執病に囚われている者が、かなり多くあることは、いつでも指摘できるのである)

こといやしくも大和の本場であり、

しかも一人の著書によらない協同的、言わば編集である著書上に、

斯かる事柄をオメオメ述べているのは、実に厚顔無恥不学の徒であると言われても、返答の辞もあるまい。

 

 

さらに面白いことは、その次の文句である。

 

娘が何時の間にやらシワクチャ婆になったということは何も不思議でないが、

シワクチャ婆さんが娘になるということは前代未聞。

奇蹟以上でなければなるまい。

 

さらに、主人の地位を取って納まる召使ありとすれば、

それこそ許し難い事柄に属すると言わねばならぬ。

 

然るに実際は次の文句の如く、

空な無いはずの天理王命が、豪然と有ると言い、存在すると言っている。

 

しかも今まで実在として存在していた十柱の神様は、何時の間にか「はたらき」と同じ様にさせられてしまっている。

 

言わば、実在しないものとされている。

これこそ面食らわざるを得ないではないか。

 

即ちそれは

「これは丁度、物には体と用とに分かれてあるように、その用は多方面であっても、体は一つであるのと同じようなものであります」

と言うことに出ている。

 

ここでは完全に天理王命が体となり、

十柱の神が用となって主客転倒した叙述を、

平気で涼しそうにシャシャした態度で、

アッサリ取り扱っているのではないか。

 

体と用との関係、意味は素人方には、よく分かりかねるかも知れませぬが、

一例を引いて説明すると、

人間が体で、その人間の働きを用というのであります。

これでお分かりになったように、人間を離れて「用」はありません。

 

これと同じように、天理王命を離れて十柱の神はないことになる。

それは実在するから。

そして十柱の神は作用なのであるから。

 

さてここで、先には無かった神、

即ち総称という空っぽな神が、

ここでは何の手品のタネも仕込まずに、

空っぽでなくなったということは、

如何にも下手な手品ではないか。

 

またその態度は、人を馬鹿にして出た、不遜な態度ではないか。

人間を人間とも思わず、盲者扱いにしようとする態度は、憎んでも飽き足らぬではないか。

 

さらに、意識が、知、情、意を統括するなんぞは、

今日の進歩せる心理学から見れば、まことに愚にもつかない前代の遺物である。

 

今日の心理学の立場は、

ゼームスの所謂意識の流れ(Stream of consciousness)を根本立場として、

知、情、意、と別れたものを統一も非統一もなく、

この意識の流れを知的とし、情的とし、意的として眺めるというに至っているのである。

 

なお、統一云々と言うが、

今日最も進歩せる観念論哲学にありては、

意識が統一するのではなくて、

むしろ意志的のものが統一純化するものであると云うのが最も優れたものであるのである。

 

また、この例によりても、

意識の流れを知的意的情的の傾向あるものと見、

意識を以て天理王命とし、

知、情、意を以て十柱の神とするならば、

まれまた空っぽな天理王命を以て十柱の神より優位と為すものである。

 

廣池博士(第三例)の、十柱の神とは、この根本神霊の任務の分類なりと言っているものもまた同様。

 

天理王命と十柱の神とを結合せしめんとして、遂に天理王命と十柱の神との関係を漠然とさせる結果をしか、齎さなかったのである。

 

 

なお廣池博士によりて述べられている、

神も人間も泥海の内、

または暗黒の中より組織せられて今日の光明世界となり文明社会を現出せるものと言うにある。

 

さてここで、余は問うであろう。

 

1、神及び人間が組織せられた泥海を、一体誰が創造したのであるか?

2、第一元因は何であるか?

 

余は、この二問題を提出して、天理教当局の回答を促すのである。

 

たんのう々々と言って逃げられぬよう、注意しておくところである。

 

 

 

さて、神についての考証は、大要ではあるが上掲に止めておく。

 

 

天理教の神は、空虚な神である。

 

教祖中山ミキの意識にのみ存在するものである。

それは実在ではなく、実在視せられるものである。

 

教祖中山ミキによりて考えられたる神である。

考えられたるが故に、存在するとは如何にしても断ずることはできざる神である。

 

その有様は丁度カントの要請されたる神の性質に等しい。

存在すると思われる神である。

思われる神なるが故に、存在せざる神である。

無き神であり、空虚な神である。

 

 

この神に何で力があろうや、宜なる哉。

それだからこそ、神の名に於て教祖中山ミキは病人を癒したことが、殊に多かったと伝えられている。

だのに現在の教師は、これをよくし得ざると嘆じている。

それ等の病人を癒すこと、即ち霊救と称することの、今日僅微になったのは、

全く教祖中山ミキの力によるものにして、教祖によりて口にせられた神の力によるものではない。

 

教祖とてまた、

自分の意識によりて考え出した神を、実在するものとし、

その神の力によるものと考えていたかも知れぬ。

 

 

だがそれは教祖が神ありと自覚したのであって、

神が教祖をして神ありと自覚せしめたのではない。

 

 

教祖即ち人間が、神即ち安き国の主宰者を、現実=娑婆世界の苦悩より逃避するために作り出したまでである。

 

 

人間あっての神であり、神あっての人間ではない。

人間は神に先立つものである。

天啓とは、人間の神を作るとの行動に名付けた謂である。

 

故に天啓の教えとは、人間によりて作られたる教えと云うのと等しく、その他の何事をも意味せぬものである。

 

 

然るに、

彼等は借物の理を以て、この神言は悉くお道の御教理の真髄であって、

千古不磨の一大経典であると崇め、本教の教理中最も重要なるものの一つであると称している。

 

無よりの言は、あり得ない。

これをして最も大切なるものの価値あるものとするは、そこに何等かの底意があらねばならぬ。

 

しかもこの(借物の理)の意味を知るときには、

天理教教外の者には警戒すべきことではあろうが、

教内、殊に本部当局者並びに教会長、教師にとりては、

医学界に於てコカインと共に重宝がられる阿片剤の如き地位を占むるものである。

 

阿片剤なるが故に薬ともなり、毒とも為し得べきものである。

 

元来、阿片剤の価値は、薬とさるべきに存して、毒とさるべき時には有せぬものである。

本来は薬とされることによりて真の価値を発揮し得る阿片剤も、

悪医にかかっては、陰謀者にかかっては、我利々々亡者の人非人にかかっては、

最も顕著な毒性を発揮するものである。

 

阿片の如き働きを為す「借物の理」を天理教は、はたして善用しているであろうか。

悪徳者は無きか、

陰謀者は無きか、

我利々々亡者は無きか。

 

余は不幸にして、これ等を認めざるを得ないのである。

故に、所謂世にも尊き、

世間を指導誘掖する、

世の師表たる宗教家の内の天理教を「天理屋」と呼ぶ営業所とせざるを得なくなるのである。

 

少なくとも教祖のとれるが如き形態に於て、

世に働きかけつつあるならば、

余をしてこの罵倒的語を出ださしめざるものを。<<

 

 

* 「天理教その搾取戦略」はまだまだ全体の数分の一ですが、参考意見様から頂いた原稿はここまでです。

  引き続き文字起しをして頂けるとの事なので、原稿をお寄せいただき次第掲載させて頂きます。

  

 

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【参考意見様】

 

天理屋の営業方針は

「信者なんて、みーんな無知で馬鹿だから、コジツケでも出任せでも、テキトーに難しい言葉を並べて畳み掛ければ万事OK!」

と、言ったところでしょうか。

我利々々亡者の人非人とは、よくぞ言ってくれました。

 

ただ「天理王命」は教祖が言った神名ではないことを、著者が理解してくれていれば良かったのですが。

 

 

 

【参考意見】様  2020年6月25日投稿

 

>>昭和5年発行「天理教その搾取戦術」より

 

 

博士の南無天理王命で気付くことであろうが、南無とは仏教語であり日本古有の言葉ではないということも知られたであろう。

 

何故に天理王命なる神道の神と云うているもの(同じ天理教学者でも、日本の神ではないと言う者がある。また余も後述するであろうように、日本古典の神であるとするには、天理教の神と日本古典の神との相違が、あまりに甚だしいのは事実である)に、

仏教語たる「南無」なる語を冠したか。

 

 

これについて余は、次の二点を提示し得ると思う。

 

1、教祖が若くして浄土宗の信者であって「南無阿弥陀仏」と称え、おそらく南無の意義を、廣池博士的ならざる意味に於て理解していたのであろう。

 

2、教祖の生前は、両部神道の影響甚だ大なるものがあった為に、仏語を神名の上に冠したりとて、当時にありては新しい神様の名だとしか思われないで、それに対し何等の不思議も感じなかったことであろう。

 

という点に存する。

 

 

ところが天理王命も天理ではなくて、

天輪王の尊とか、

天龍王の命とかと言われた時があったのである。

 

* 神名の変遷については「転輪王明神」(慶応三年吉田神祀管領より認可)や「転輪如来」(明治十三年転輪王講社)などもあります。

  ある研究者によると、20以上の呼び方の変遷があったようです。

  また、おふでさきには「かみ」「おや」「つきひ」という記述になっていますので、「理が神である」という考えに立てば、申請や役所に届けるだけの「神名」など意味のないモノと考えるべきかもしれません。

 

 

これによりても廣池博士等の説は、大なるコジツケであるという以外の何らの判定も無いではないか。

 

天理であればこそ博士のコジツケも、なるほどと人をして肯けさせもしようが、

天輪王となれば博士は、これにどんな解釈を施すのか。

天が輪であるとでも言うのか。

 

呵々、天理教もまた、天龍教だの、天倫教だのと云った時があるではないか。

または天の将軍と云った時もあるのではないか。

 

「市兵衛は茲ぞと、尚も丹精を凝らして祈祷した。

教祖の御容子は、ますます荘重を加え給う。

両眼は日月の如く輝き、手にせし御幣は左右に上下に凄まじく打ち振るう。

『お降りの神様は、どなた様で御座います』市兵衛は直ちにお尋ねする。

『我は天の将軍』凛々しい御聲には一座の者、思わずハッと慴れ伏した。

すると市兵衛は直ちに『天の将軍とは、どなた様で御座います』と押し返してお尋ねする。

教祖は『元の神、実の神である』と答え給い」

(天理教同志会編集部発行「天理教祖」42頁~43頁)

 

 

これによって見ても、天理教の神は、種々なる名を変えたものであるということが、理解されたであろう。

 

 

さて、前にも一寸述べたが、廣池博士の論によって明らかなる如く、天理教の神は実在するものではない。

 

ということと、神の創造について、も少し述べることにする。

 

 

さて、これを説くに際して、天理教徒の主張を聞こう。

 

 

「教祖は、筑前の質問に対して、流るるが如く答え給う。

話は進んで遂に、神の本体論に及んだ。

『十柱の神の御守護、八ツの埃聞けば、なるほど一々道理じゃ。

然らば其の神々の御姿とは如何様なものか、人間のようなものか』

こういう面倒な質問には、おそらく速やかな返答はできまい。と、高を括って発した質問。

もし似せ者ならば、この辺で旗を巻くであろうと、勝敗を一挙に決せんとする質問。

筑前の聲には一入、力が入っていた。

その調子は急であった。

『理が神、誠一つが天の理』

何の淀み給うところもなく、直ちにスラスラと答え給うた」

(天理教同志会編集部発行「天理教祖」111頁)

 

また、

 

「天保九年十月二十六日、即ち旬刻限の到来になり元なる地場に、

あらわれ給うた神様は、これを天理王命と申しあげるのであります。

天理王命とは、

国常立命、面足命、国狭槌命、月読命、雲読命(またの名豊斟渟尊)、

惶根命、大食天命(またの名大日霊命)、大戸辺命(またの名大苫辺命)、伊耶那岐命、伊耶那美命

の十柱の神様を総称して申し上げるのであります。

総称とは十柱の神様の御守護を抽象して称えたので、

これは丁度、物には体と用に分かれてあるように、

その用は多方面であっても体は一つであると同じようなものであります。

今一つ例えて申せば、

吾々の精神作用は知識、感情、意志と三つに分かれてありますが、

意識というのがこの三つの機能を統一すると同じ理由であります。

このように天理王命の御守護は十方面に分かれてありますが、

この十の御守護を一つにしたものが即ち、天理王命であります」

(地場思潮社発行「天理教とは如何なる宗教か」6頁)

 

 

それから、もう一例は、前掲のものであるが、叙述の必要上、採録することとする。

 

「始めは南無天理王命といえり。南無は神の本体にして、即ち宇宙の形を指す。

天理は宇宙の生成活動変化の有形無形の理を意味す。

而して神も人間も泥海の内または暗黒の中より組織せられて

今日の光明世界となり文明社会を現出せるものと云うにありて

其の説は今日の所謂進化説に一致せり。

其の十種の神とは、此根本神霊の任務の分類なりという。云々」

(三省堂、日本百科大辞典第7巻74頁中段天理教の項参照)

 

 

さて、以上三例の外に、教祖は何と云っているかというに、

十柱の神の名前を、御神楽歌にも御筆先にも述べていぬようである。

 

そして教祖が、神を指して用いた言葉は、次のようなものである。

 

1、つきひ

2、かみ

3、てんりんおうのみこと

4、おや

5、理、または誠

 

等である。

 

これによって如何なる帰結が導き出されるか、余は第一例より順々と検討していくこととする。

 

(続く)

 

 

【参考意見】様  2020年6月25日投稿

 

 

>>昭和5年発行「天理教その搾取戦術」より

 

 第一章 つづき (P64~ コマ番号41)

 

 四、天理教の神が存在するとは真赤な大嘘言だ

 

 

余は右の一命題を掲げよう。

何故大嘘言であるか、この事の理由は詳しくは後述すると思うが、まあ、ここにも述べておくとする。

 

 

天理教では天理王命を、親神とか、実の神とか、元の神とか言う。

 

これは実の神とは、実ならぬ神、即ち嘘の神に対しているであろうし、元の神とは末葉の神に対しての言い方であろう。

 

 

まず教徒の権威、廣池博士の所説を聴こう。

 

「始めは南無天理王命といえり。

南無は神の本体にして即ち宇宙の形を指す。

天理は宇宙の生成活動変化の有形無形の理を意味す。

而して神も人間も泥海の内または暗黒の中より組織せられて

今日の光明世界となり文明社会を現出せるものと云うにありて

其の説は今日の所謂進化説に一致せり。

其の十種の神とは、此根本神霊の任務の分類なりという。云々」

(三省堂、日本百科大辞典第7巻74頁中段天理教の項参照)

 

 

まず注意すべきは始め「南無天理王命」なる文字でなければならぬ。

 

宗教学も仏教もやらぬ人間なら、

なるほど南無という意味は神の本体で即ち宇宙の形を指すことだと思われるかも知れぬが、

この「南無」という意味を知っている仏教学者や宗教学者や、

たとえ概論であっても仏教書若しくは宗教書の四、五冊も読んだ人の眼を眩ますことはできまい。

 

廣池博士は知ってか知らなくてか、

斯かる解釈を南無に付したのは、

何等かの根拠があるに相違あるまい。

 

その根拠は天啓の文たるが故である。

 

天啓教と自ら誇る天理教の、コジツケである以外の何物でもないということを知るは、

学的見地より見て、あまりに俗学的なことではないか。

 

それとても博士が、

これを博士の名に於て天理教信者を信用せしむるに足ると思し召しておられるとすれば、

むしろその非を鳴らすよりも、

その態度を憫笑せざるを得ない哀れさを感じるのである。

 

中学生でさえ、博士の如き意味に南無を解せないということを、読者諸君と共に見ていくこととしよう。

 

 

「南無(仏)訳して帰命といい、二重にして『南無帰命』といい更に『南無帰命頂礼』という。

要するに仏に救いを求め、生命を捧げて仏に帰投する意」

(塚本哲三氏著「現代文解釈法」用語編61頁)

 

「南無(漢)(梵語 Namah または Namo)帰命、頂礼または真実と訳す。仏を祈るとき冒頭に用うる言葉」

(文学博士金澤庄三郎氏著「辞林」887頁)

 

「南無(梵)Namah 又 Namo の音訳。後生を助け給えと願う意。救我、帰命覚、恭敬、信徒等と訳する。南摩、那謨、納慕」

(服部宇之吉氏、小柳司氣太氏共著「詳解漢和大字典」243頁上段参照)

 

「南無(仏)後生を助けたまえと仏に祈る語。救我、帰命頂礼、真実などと訳す。釋氏要覧唯識鈔云、梵語 Namah Namo 此翻為名、即是帰趣之義也。」

(簡野道明氏著「字源」274頁4段参照)

 

「南無は帰命(梵)Namah 梵語南無(南謨)の支那訳。南謨彌多婆耶 Namo mitabhaya を帰命無量光と訳するが如し。一般に南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経などの如く仏か法に対して帰依、敬体、信順を表するの語。南無の義訳に帰命の外、敬体、帰体救我、度我(敬体帰依して救済を要請するより救我度我と云う)屈膝(敬体の形状)等あるも、普通に帰命の訳語を用う。帰命 Namas Namah Namo と帰依 Saranam gacchati とは原語を異にすれども略同意の語である云々」

(岩波、哲学辞典201頁矢吹慶輝氏解)

 

「Namah 身を屈す、Namas 帰敬、敬体」

(文学博士萩原雲来氏実習梵語学附録29頁)

 

ここで一寸説明を加えておくが、Namah はNamas と同じく、これ等の語根が Nam であって、動詞であるということに注意しておきたい。

「namu(南無)Save us ! namo ! 」(※判読困難のため以下略、英語の辞書の引用らしい)

 

* 参照「劇画 中山みき物語」より

  

  

  

  

 

 

さて以上、南無の解釈について、諸家の意見を眺めてきた。

 

ここで我々は、南無とは梵語の語根である Nam の意味が、どれにでも含まれていることを知る。

而して南無の語根は動詞である以上、南無そのものの意味もまた動詞であることは、言うまでもあるまい。

 

上掲に注意を引いたように、武田氏の南無の英訳は、やはり動詞たる Save として訳しているではないか。

然らば、如何なる意味かというに、言うまでもなく「帰依する」ということである。

動詞の性質として、動きかけるものと、動きかけられるものとを含むことは御承知のことであろう。

 

即ち、南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏に帰依する、阿弥陀仏に救われんと帰投することである。

南無妙法蓮華経と言う場合の南無もまた然りである。

 

さて吾々は、南無という言葉が、救う、済度する、帰命するということを表すことであるということに結果した。

 

然るに、

天理教きっての学者である廣池博士は何の意ありて、

かくも明瞭なる動詞を「南無は神の本体にして即ち宇宙の形を指す」と言ったか?

 

本体とは動かざるものの名称を意味し、従って南無は存在という名詞を指すのである。

 

名詞と動詞とは前述せる如く大違いである。

廣池博士ともあろう者が、

日本に於ける百科辞書の権威たる三省堂のその本に於て、

何のために斯くも明々白々の事柄を、

晦渋なる前行説なき説を述べられたか?

 

そこには何等かの底意が無ければならぬと思われるのである。

 

それには、どんな心の動きを示しているのであろうか?

 

それは博士の次に述べられている、

天理の意味を動詞としたことによりて、

我々には容易に博士の胸中を洞察できるではあるまいか。

 

博士は天理王命を一体の神と見ずに、

天理を動詞に解し、

南無を名詞に解するによりて、

博士の天理教に対する神学的独断説を構成していることが看取される。

 

常識を以てしても「南無天理王命」は、

天理王命に帰命すると解するのが普通である、

 

のに博士は、

 

天理と王命とを切り離して、

天理をして「宇宙の生成活動変化の有形無形の理を意味す」と述べられることによりて、

天理王命の存在を否定し、

実在を排するの結果を招来したのは博士の、

あまりにも天理教を幽玄化せんと企てたる為に、

支那思想の天の観念と理の観念を、

そのまま天理教に於ける神、

即ち天理王命の天理に付会し、

これを神道の神たらんとせしデリケートな果実である。

 

斯くして博士は、天理教を良く見せ、良く思わせ、幽玄なる真理ありと説かんとして、

遂に天理教の最も尊敬すべき(実際は無いんだが)天理王命を撲殺するに至ったのである。

 

 

次に、博士の次の言葉について考証を検するのであるが、その前に、天理王命の名前について述べることとする。

 

(続く)