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ハ「忘れてはならない器官って何ですか?」

責「もちろん『心』です。中山みきさんも『身体はかしものかりもの、心一つが我がの理』と仰っています。とはいえ『心』と言っても、現代科学や解剖医学をもってしても、多くの人が考えている『心』に該当する器官はありませんので、『脳の働きや作用』という事になりますけど。」


ハ「なるほど。とはいえ、私は医学も解剖学も分かりませんで、脳の事を言われても学校の授業で習った程度の知識しかないのですけど。」

責「それは私も同じです(笑)。別に難しい話や専門的な事を言うつもりはありません。『心』を『脳』に置き換えて頂ければ結構です。
一言で『脳』と言っても色々な部位や名称があるし、厳密に言えばキリがないのですけど、『心の役割』としての『脳の機能』についての話ですから、『原始的な脳』から人間の持つ『霊長類の脳』への発達について考えたいと思います。」


ハ「『原始的な脳』は、生命活動、心臓の動きや呼吸、代謝などを管理し、恐怖や好き嫌いとか感情を感じる脳でしたか。5億年程まえの水中生物に『脳』と呼べるモノが出来たと教えてもらいましたよ。
その後、地上に出た生物の中でも、哺乳類に『大脳新皮質』が出来て、視覚や聴覚などを感じる『脳』と体をコントロールする『脳』が発達し、地上での素早く活動できるようになったし、大脳も発達して記憶力や感情も豊かになったと聞いています。まぁ、大雑把な話ですけど。」

責「そうですね。そして、更に大脳新皮質が発達し、高度な認知機能や思考力、行動が可能になり、人類が誕生した訳です。ここで一つ大事な事は、人間に限らず、脊椎動物の『脳』は、基本構造が似ているという点です。
そして、動物ごとにその大きさが異なった進化を遂げています。つまり、『脳』の進化は、基本構造が変化するのではなくて新しい機能が付け加わる歴史だった訳です。
この点を『元の理』と照らし合わせると、神が『脳を持つ生物を創って、八千八度生れ変って今の人間になった』というのは、あながちピント外れではないのです。キリスト教等の『天地創造の神がいきなり人間を創った』という話よりも事実に近いかもしれません。」


ハ「でも、元の理では9億99999年前でしたよね?」

責「その数字には幾つか説があって、昔は『万の一つ上の単位』が「億」だったので、今の計算なら99万9999年前だという説。それに、これは正確な数字ではなく大昔の事だという意味で9を沢山並べたという説、そして、今から9~10億年ほど前に当時の単細胞生物が生物と植物へと別れたという科学的な主張もあります。まぁ、『刻限の因縁』に関わる重要なポイントですけど、今はその点は置いておきましょう(笑)。」


ハ「なるほど(笑)。では、その心=脳の働きについてお願いします。」

責「脳の基本構造が変わらずに進化したという事は、人間にも他の動物の脳、魚の脳といった部分が残っている訳です。勿論、どんな生き物でも身体の中の状態や感覚などの情報、そして、身体を動かす部分は必要ですから残っているのは当然ですけど、魚や野生生物のように天敵に襲われたときに感じる恐怖感や感情、本能なども結構同じ状態で残っている訳です。
そして、人間は大脳皮質が発達して、思考や記憶・認知機能などが発達していますから、他の動物の脳との大きな違いは、恐怖心や感情によって体は反応してしまいますけど、どのような行動をとるかを大脳皮質が考え、行動を選択することが出来るわけです。
まぁ、ざっくり言えば、本能を理性がコントロールしている、という事になります。」


ハ「人間の中にも、本能的な部分が強い人や利性が強い人など、様々ですけどね(笑)」

責「それは、これだけ多くの人間がいるのですから、個人差があって当たり前です。もっとも、そういう違いを単純に脳の発達の違いだとは言えませんけど。
性格の違いや価値観の違い、環境や教育などの後天的な違いだと考えられます。
でも、実際に脳の中の状態が影響している場合もある訳です。勿論、事故や病気による脳細胞の損傷や強いストレスや加齢や老いに伴う脳の委縮など、原因は様々ですが。」


ハ「ストレスと老いですか。人間生きていく上でどちらも避けられませんね。」

責「いえいえ、人間も生き物ですから年を経て老いるのは仕方がありません。でも、ストレスは軽減したり、その都度和らげてあげる事で問題を減らすことが出来ます。」


ハ「一般にもストレス解消の方法として、運動や読書、音楽を聴いたり趣味に打ち込んだり、人との会話やカラオケをするとか、色々な方法が知られてきましたね。他にも、呼吸法とかマインドコントロールとか瞑想、座禅とかもあるかな。」

責「マインドコントロールとか瞑想とか良いところに気が付きましたね。まさに、この『かんろだいつとめ』は、そういった効果、いや、一般に知れ渡ってるようなマインドフルネスや瞑想・座禅以上に良い効果があると言えます。もっとも、私自身そういった類のモノを全て修得したり、極めている訳ではありませんから、勝手に比較するのもどうかと思いますけど(笑)。」


ハ「『かんろだいつとめ』がですか?瞑想だの座禅だのっていうのは、大抵、坐って呼吸を整えるものだと。『かんろだいつとめ』は立って踊りながら歌いながらするのですよね?それでそんな効果が有るというのですか?」

責「立って踊って歌いながら、です(笑)。言葉では説明しにくいですけど、瞑想とか座禅とかは、呼吸を整え意識を自分の心の中、奥底へと向かわせるものです。心の中の深い部分、言うなれば潜在意識という事になりますが、これは生命の発祥、有り方、本質そのものだとも言えます。」


ハ「そうすると、『かんろだいつとめ』の最初の7回である元の理である、という事ですか?」

責「そうですね。一般にある瞑想やマインドフルネス、座禅などは、心の奥底に向かってはいますが、そこに何があるかの説明はしきれていません。

でも、中山みきさんは生命発祥の有り様を教え、それが命の根源・本質であることを示し、今現在生きている私達の本質や性質まで教えています。

その意識の世界に10人のつとめ人衆が心を向かわせることで、次の世の中の『ようきづくめの理』に向かう事が出来る事を教えてくれたのだと思います。

だから、実際に一緒に『かんろだいつとめをやりましょう』と言ってるのですよ。瞑想や座禅の事だって、あれこれ言葉で説明したって、実際体験しないと心には何の効果も無いでしょう?『かんろだいつとめ』だって同じですよ。あれこれ言葉で説明したって、頭では理解できても身体や心が感じる事など出来ません。」



ハ「それはそうですが・・・。」

責「とはいえ、申し訳ないのですが、この教会にはまだ『かんろだい』も立っていないし、面もありません。最低でもこの二つが無いと、『かんろだいつとめ』をやったとは言いにくいですねぇ。これが有る無しでは、瞑想的な効果も違うだろうしなぁ。」


ハ「あらら、それは残念です(笑)」

責「でも、ハルアキさんがやりたいと思うなら、実際にかんろだいを立てている所を教えますから体験してみて下さい。もっとも、そこで私が話したような説明をしてくれるかどうかは分かりませんが。」


ハ「そうですか、考えてみます。今日は色々な話をありがとうございました。」


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責「まず、つとめ人衆であり道具となった10の役割と内容を考えて行きましょう。
10の道具は、その方角からしても2つづつの対をなして配置されています。
日と月が南北に、温みと潤いという対極をなす役割を担っています。
うなぎとくろぐつなが東西、飲み食い出入りと引き出しですね。
いざなみといざなぎは、かんろだいの東側でつとめますが本来の場所はかんろだいの上と下から向き合ってつとめる形になります。
また、シャチとカメが対、カレイとフグが対になって働き、それぞれ役割を担っています。」


ハ「月次祭で説明された通りですね?」

責「はい。そして、6つの道具が肉体を形成する各器官や働きに該当するというお話しもさせて頂いたかと思います。
・ 消化器系
・ 循環系
・ 呼吸器系
・ 神経系(免疫系)
・ 骨格
・ 皮膚と筋肉
それぞれ何がどれに当たるのかは説明するまでも無いですね。
これに、遺伝子とも言える男種・女種を足して、温みと水気が肉体を保ち、人間として生きている訳です。」


ハ「以前、責任役員さんから聞いた事ではありますが、150年も前に中山みきさんがそれだけの解剖学的な知識を持っていたかどうかは、やはり疑問を感じるのですが。」

責「この位は解剖学的な知識という程ではないと思いますよ。『五臓六腑』なんて言葉は昔から有りましたしね。
そして、『かんろだいつとめ』のすごい所は、これら人間の各器官がそれぞれの機能、役割を果たしながら『生きる』という目的に向かって一致協力している状態を表現している訳です。その状態が『一手一つ』とも言えますし『互い立て合い助け合い』とも言えます。しかも、誰からも命令された訳でもないし、いやいや働いている訳でもないのですから(笑)。」


ハ「まず、月日親神がそのように人間を創った。
その状態こそが人間として喜び勇み充実した状態・性質を持っている。
そして、その人間が子から孫へと繋がっている訳ですから、今こうして生きている私達も同じ状態や性質を持っている、という訳ですね?
でも、この肉体としては内臓や各器官が働いてくれなくては生きていられないというのは分かりますが、それは当たり前にも思えますが。」

責「そうでしょうね。私もハルアキさんも生まれてこのかた何十年も『体の各器官が互いに助け合いながら生きている』なんてことは意識しなくても生きてこられたのですから、当たり前だと思ってしまっても当然です。今何も問題なく生きている人はそれでも良いんです。でもハルアキさん、私もそうですけど貴方もそれなりの年齢ですよね?」


ハ「そりゃぁ、世間では中年と呼ばれる年齢にはなりましたけど。」

責「内臓機能や身体の節々まで健康で全く問題はありませんか?」


ハ「健康診断では、数年前から肝臓と中性脂肪にちょっと・・・。でも、日常生活に支障はありませんよ。」

責「お酒が原因ですね?暴飲暴食してたのでしょう(笑)。」


ハ「暴飲暴食という程ではありません。仕事や付き合いで飲み過ぎたり食べ過ぎたり、最近は出来るだけ抑えていますから大丈夫です。」

責「身体の各器官がそれぞれ一生懸命働いているのに、その持ち主というか管理人である貴方が飲み過ぎ食べ過ぎで無理をさせてしまった、という事ですね。最初から適量や限度を分かっていれば、そんなことはしなかったはずですよね?」


ハ「そりゃぁ、まあ、分かっていれば、確かに自分で抑えたかもしれません。でも、誰だって年を取ればある程度はある事でしょう?若い頃のような回復力もないし、自分の身体の事ですからイイじゃありませんか。」

責「ハルアキさんを責めている訳ではないのです。
この『かんろだいつとめ』の理を考える上で、自分の身の内、そして、社会や世の中の事を同じように考えて頂きたいのです。
たとえば、ハルアキさんの会社の中で、仕事が沢山ある、大変な案件があるからといって、誰かが無理をしたり辛い思いをしたり苦しい思いをしなければならないとしたら、どうなりますか?会社を人の身体と同じだと考えれば、病気になったり倒れたりするような事になりませんかね?」


ハ「それは、まぁ、そうなりますけど、会社なら代わりの人間がいるかもしれないし・・・。」

責「確かに会社の社員なら、休職したり退職した人間の代わりに新しい人を採用すればいいかもしれません。でも会社全体を一つの身体と考えたらどうなりますか?
人間の身体なら、内臓のどれかが働けなくなったら困りますよね?
命にかかわります。
もっとも、近年は臓器移植の技術が向上していますから、退職した人間の代わりに違う人を採用するように、自分の身体の働けなくなった臓器を誰かから貰って移植すればイイ、となるのは理解できます。
でも、そういう考えが『かんろだいつとめ』の理とは違うのではないかと言いたいのです。
あぁ、一応、医学的な臓器移植を否定するつもりはありません。
それで助かる人が居るなら結構な事だと思います。
もっとも、臓器売買だのが横行するようでは困りますけど。」


ハ「最初から、誰かが病気になったり、心を病むような苦労やストレスを押し付けるような考え方や仕組みがおかしい、という訳ですか。」

責「自分の身体を労わるように、家庭や会社、社会全体などの人間関係や仕事などの仕組みも考えていく、決して甘やかすとか、過保護にしろというつもりはありません。一列兄弟、互い立て合い助け合い、各々の能力を最大限に活かせる関係や組織にすることが、3番目の7回つとめる『ようきづくめの理』ですから、そこを考える必要がある訳です。」


ハ「そうすると、天理教でよく聞くお話に『病は気から』という言葉がありますが、これも『かんろだいつとめの理』で解釈するわけですか?」

責「天理教関係では、心の使い方を間違えると病気になる、あるいは、病気になったのは心の持ちようや考え方が悪いからだ、という解釈をしている場合が多いです。世間一般では『気の持ちようで病気は良くも悪くもなる』という解釈が一般的ですから、かなりズレていますし、使い方を間違えると病人を責めるようなお諭しになってしまうので危険な面があります。」


ハ「あぁ、そういうお話はよく耳にしますね。病人を責めるようなお諭をする人が多いと。で、病気を治して欲しかったら心定めとして多額のお供えをしろ、と続くわけですね?」

責「全くもって困ったお諭しだし、そんな話しかできないような人には中山みきさんの教えだなんて言って欲しくないのですけどね。完全に『拝み祈祷』以下の金儲けのお呪いレベルになってしまいっています。」


ハ「では、それを『かんろだいつとめの理』でお話しするとどうなりますか?」

責「そうですね。確かに病気になった経緯や状況を考えるのに、その病人自身に思案してもらう必要はあります。その思案のポイントは、自分の身の内の使い方、そして、自分の身の外である夫婦関係や家族関係、社会や仕事などの人間関係、両方が『かんろだいつとめの理』に沿っていたかどうかをじっくり思案して頂くことです。」


ハ「自分の身の内の使い方なら自分の責任でしょうが、家族や会社、仕事関係の人間関係となると、病気の原因は『他人のせいだ』という事になってしまいませんか?」

責「そこは半分当たっています。
しかし、家族や会社や仕事などが『かんろだいつとめの理』と違うので病気になったとしても、それを家族や仕事に文句を言っても始まりません。
そういう家族や仕事の人間関係では、相手は『かんろだいつとめの理』を知らないのですから。
それを見直して改めないと意味がありませんので、どうすれば良いかじっくり思案する必要があります。
一番簡単な方法は、相手にも『かんろだいつとめの理』を知ってもらい、皆で一緒に改善や改革に向かって思案を深めて行動する事です。
そういう思いを一緒にする人達と一手一つの心になり、互い立て合い助け合いの精神が広まることで病など霧散するでしょうし、それが相手を助ける事にもなりますし、巡り巡って自分も助かります。」


ハ「なるほど。全ての事を『かんろだいつとめの理』で考えるという訳ですか。」

責「全てというか、自分の身の内、身体の有り様・使い方。そして、自分の周囲の人間関係や家庭・地域社会・会社や社会といったところ、ですかね。この二つを切り離して考えても意味がないのです。『この世は神の身体』ですから、銘々の身体が神の一部であるのと同様、人間同士の繋がりや関係、社会や仕事だって『神の身体』の一部なのです。どれか一つだけ取り出して直したとしても、他を直さない事には『ようきづくめの世』にはなりません。」


ハ「いや、もう、自分に関係するほぼ全てではないですか。」

責「そうですね(笑)。さて、『かんろだいつとめの理』が人間の体全体の各器官の調和と働きを現わしている、その理を社会に活かすことが重要なのだと理解できたら、次は、もう一つ大事な、人間として忘れてはならない器官、働きについて考えましょうか?」

ハ「忘れてはならない器官?」


責「私は、中山みきさんの教えのほぼ全ては、『かんろだいを囲んだかぐらつとめ』から発生しているのではないかと解釈しています。そう考えると、ほぼ全ての教えや話の内容が、スッキリと繋がって言葉や内容の基準や解釈が出来るようになるのです。」


ハ「これまで責任役員さんは、本部や天理教関係者の話は用語や教えの判断基準がバラバラで話す人の都合や勝手な解釈で使われている、と言ってましたね?」

責「話す人の基準や勝手な解釈で『判断基準』を決められてしまっては、中山みきさんの教えどころか、全てがあやふやになってしまいます。あやふや程度ならまだしも、時として危険な団体とならないとも限らないのですから。」


ハ「オウムなどの例もありますしね。で、この『かんろだいを囲んだおつとめ』をすると、その基準が明確になって誰にでも理解出来る、ということでしょうか?」

責「勿論、かんろだいに向かって何かをお願いしたり、ご利益を願ったり、単なる感謝やお礼の気持ちだけで手踊りをしていてもダメです。先ほど言ったような『神が人間を創った時の思い』を自分の心に納めて、というか、考えながらつとめる必要があります。そうすれば、一列兄弟、互い立て合い助け合い、人を助けて我が身助かる、かしものかりもの、八つの埃、などの教えの基準や内容が全て繋がっていると解ります。ようきぐらしだって、そのつとめの状態が『ようき』なのであって、毎日明るくバカ騒ぎのように酒を飲んで暮らせばいい、なんていう事ではないと分かります。」


ハ「あぁ、責任役員さんは以前から『どういう社会がようきぐらしの世の中なのか?』というお話をされていましたね?天理教関係者や他所の教会や布教師にも質問をしてきたとか?」

責「ちょっと意地悪かもしれませんが、誰一人まともな答えは持っていませんでしたね。誰も苦しむ者の居ない世の中、皆が明るく楽しく暮らせる世の中、誰も病気や老いのない世の中だ、という答えならマシな方で、単に『ようき』という言葉だけで明るい、楽しい、賑やか、なんていう人が殆どでした。」


ハ「いや、何と言うか・・・。で、責任役員さんのお考えは?」

責「もちろん、10人のつとめ人衆がかんろだいを囲んで新たな生命を創り出す様子をつとめるように、銘々がこの理を心に修めて自分の身の内、家族、友人関係、社会において、何事も同じ理で考え、判断し、行動し、人生を歩んで行く、その為に自分の身体も心も使う事が『ようき』だと解釈しています。
それを言葉にすると、『一列兄弟』『互い立て合い助け合い』『人を助けて我が身助かる』『かしものかりもの』『世界ろくぢ』といった中山みきさんが遺された言葉や文字になります。
そして、この理に反する心使いや考え方が『ほこり』という訳ですね。教典などに書かれていたり解説されている『八つの埃』を読むと、まぁ、こういった基準や何を指針に考えればいいかが曖昧なので、話す人の都合の良いように使われてしまって、問題やトラブルになるケースが多いようです。」


ハ「かんろだいつとめと教えの言葉が一致してる、教えそのものであるということですか?」

責「勿論、大事な事は、その教えに沿った心使いをし、自分の身の回りからその教えに沿った状態なのかどうか、内容なのかどうかを考え、もし違う事があるなら直していく、改めていくという行動が必要です。だからこそ、実際にその基礎を体験する為のかんろだいであり、つとめなのです。」


ハ「ううむ。責任役員さんのお話しは分からないではないのですが、そのかんろだいつとめをして、実際にそういう心使いで行動したとして、病気が治ったりするようなご守護があるものなのでしょうか?」

責「これはまた、ハルアキさんにしては即物的と言うか、珍しい質問ですね(笑)。この道は、病気治療や交通安全・家内円満などを願ったり叶えてもらう信仰ではないというお話は、以前からしていたはずですが。」


ハ「それは理解しています。でも、そういう『ようきゆさん』や『病まず弱らず』などの言葉もあるのですから、どんなに理論と言うか教えを理解できたとしても、実際にご利益と言うか『良いこと』が起こらないと意味が無いのではないですか?」

責「ハルアキさんのそういうお気持ちは分かります。実際、世の中の多くの人が『何か』を期待して信仰したり信じたり行動するのは、宗教に限らず当たり前にある事ですから。お供えや貢物を差し出さないと災いを起こすとか祟られるとかいう『祟り神』を信じるよりもマシだと言えなくも無いですが、今すぐ具体的に『こんな良い事があるよ』『こんなご守護があるよ』と見せられるモノでもありません。もう少し『かんろだいつとめ』の意味、『元の理』の中身を掘り下げて、ハルアキさんご自身に『命が続く事の奇跡』を考えて貰いましょうか?」


ハ「命が続く事の奇跡ですか?ん~、今こうして生きているのは当たり前かと思いますが?」

(続く)

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ハ「そういえば、元の理に関しては月次祭での『お話し』のテーマにした事がありましたね?」

責「えぇ、なんと言っても中山みきさんの教えの根幹、基本となる部分です。お話そのものは『神話の世界』ではありますけど、その説いている内容、言わんとする所をキチンと把握しないと、教え全体を理解することも出来ないし、解釈も誤った方向に進んでしまいますから。」


ハ「神話の世界ですか?」

責「科学的にも生物学的にも全く根拠のないお話です。人間の発祥という点についても、どじょうを種にしたなんて話は、いくら明治の頃とはいえ荒唐無稽の作り話としか言えないし、信じられもしないでしょう。だから、その神話の中に含まれる意味や主義主張、それが人間の本質や心の問題に触れる部分をキチンと理解しないと意味はありません。」


ハ「人間の本質や心の問題?」

責「人間の本質、心の問題です。だからこそ、蔵内先生も『人間学として無視できない』と仰られたのではないかと思いますね。
とはいえ、教典に書かれている元の理の文章は、今更ハルアキさんにも説明する必要はないですよね?」


ハ「えぇ、全部覚えている訳ではありませんが、責任役員さんがポイントだと思う部分を説明して頂ければ結構ですよ。」

責「了解しました。まずは、月日両神、親神が泥海の世を見て味気なく思い、人間が陽気に暮らすのを見て共に楽しみたいと思って、人間を創ったという部分です。」


ハ「親神が人間を創ろうと思った理由ですね?だから人間は『陽気に暮らす』義務というか目標があるという事ですね?」

責「そこは勘違いしている人が多いかもしれないのですけど、月日親神がどのような思いや考えで人間を創ったとしても、人間がそれに従う義務も必要もありませんよ。それに、みかぐらうたやおふでさきには、『一列兄弟』という意味の言葉はありますけど『孝行』だの『親に従え』『親の期待に応えろ』などという意味の言葉はありません。」


ハ「え?えぇ?それは・・・、そう・・・なんですか?」

責「人間が陽気ぐらしをしなければならない、陽気ぐらしをするための理由というか根拠は、月日親神が人間の陽気ぐらししている様子を見たいから、ではなく、その後の月日親神の行動というか、人間を創った時の状態、やり様なんですよ。」


ハ「泥海の中に人間の顔をしたウオとミを見つけて呼び寄せたという?」

責「細かい描写はともかくとして、人間が創りだされた時の様子・状態というのが、人間が持つ『本質』だと言えます。人間が本来持っている『性質』とか『潜在意識』とか『魂』という言い方が出来るでしょう。」


ハ「それが蔵内先生も無視できないと感じた部分だということですか?」

責「私はそう思います。まず、ウオとミを呼び寄せ男種・女種にし、6方向からシャチ、フグ、ウナギ、クログツナ、カレイ、カメを呼び寄せ、自らも温みと潤いの働きを示して、人間を創った訳です。10種類の働きが、各々の役割、特徴を活かして、力を合わせて人間を創った訳です。どれ一つ欠けても人間を創ることは出来なかったでしょうし、どれかでも欠けてしまったら、神様の思い描いた人間にはならなかったでしょう。この10種類の道具・性質・役割が各々協力しながら、補い合いながら、言葉で言うならば『互い立て合い助け合い』で人間は創られた、という事です。」


ハ「そのことは、月次祭の時にも責任役員さんがお話ししていましたね?」

責「中山みきさんの教えの根幹だと言えます。最初に創られた人間の本質が『互い立て合い助け合い』なのですから、最初の人間からその子供・孫へと伝わり、現在生きている私達、現代の人間の本質だって、同じ『互い立て合い助け合い』であることは変わらないのです。その本質に沿った考え方や生き方をしてこそ、人間は喜べるし楽しいと思える、生きている事を実感できることになります。」


ハ「本質に沿った考え方、生き方ですか?」

責「はい。その人間創造の様子を立体的に表現したものが、『甘露台を囲んだかぐらつとめ』だというお話もさせて頂いたかと思います。」


ハ「そうでしたね。だから、面を付けた『つとめ人衆』10人の手振りが違うのだと。」

責「そうです。眼うるおい、水のはたらきは、水が天の上り雨となって降り注ぐ手振り、身の内の温みは火が燃え上がる手振り、息吹き分けは風が吹く様子を現した手振り、といった10種類の手振りを合わせて、『一つのかんろだいつとめ』が完成する訳です。それが人間創造の様子であり、人間の本質を意味しています。」


ハ「それを7回、7回、7回、と3度つとめるのでしたね?」

責「最初の7回が『人類創造の様子』、つまり『元の理』です。次の7回がそうして創られた人間が親から子、子から孫へと伝わって、『今こうして生きている様子』、つまり『天然自然の理』です。そして最後の7回で、これから先に未来へと繋いで行く、『世の中や社会に広げていく様子』、つまり『ようきづくめの理』を現している訳です。」


ハ「はい。月次祭を見させて頂いて、また、責任役員さんのお話を聞いて、かんろだいを囲んでする『かぐらつとめ』の意味がよく分かったように感じます。」

責「本当は、見るだけではなく一緒にやって頂きたいのですけどねぇ(笑)。そうすれば、中山みきさんの教えの数々、残された言葉の数々が心に修まりますし、スッキリと理解出来ると思うのですけど。」


ハ「え?かんろだいを囲んでする『かぐらつとめ』の意味というか、意義というのは、その人間創造の様子を実際の眼に見える形に表した、というだけではないのですか?」

責「勿論それが主ですけど、私は、中山みきさんの教えのほぼ全ては、そこから発生しているのではないかと解釈しています。」



(続く)