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12下り解説

2017年01月02日
一下り目 

「救け合い社会の人として最初の心得」を表現しています。正月から、と説き始めているのは、中山みき様が教えてくれたのが現実に年の始めだったとも思えますし、年の初めが「切り替えの刻」であり新たな歳(数え年)の始まりだからだろうと考えるのが自然でしょう。つとめの理を「授けられる事」は「めずらしい(珍しい、愛ずらしい、素晴らしい)」事であり、授けられたら「たのもしい」道を歩むことが出来ると教えて下さっています。そして、最初の教えが「物の豊かさ」を理解する事から始まると諭されています。
 まずは「散財の心を定め」ると世の中に「つとめの理」が吹き出し、世の中が円満に回るようになる。何事にも「つくりとる(生産する)」と、皆が豊かな世の中になる。この境地や価値観の世界まで付いて来なさい、そこは豊かな極楽世界の実現ですよ、と諭されています。

* 「散財心」とは、世間常識的な物欲から離れた財の活用を云うものであり、従って、「散財心を定める」とは、蓄財の執着心を捨て、我が身も財貨も「散財する(分け与え配り歩く)心」になって行動する事になります。そして、何事も「つくりとる(作り取る、造り獲る、生産する)」と「やまとはほうねんや(とても豊かになる、皆が豊かに暮らせる)」いうことを意味します。
何事も生産の為に必要な土地も資源も全ては揃っているし十分に有るのだから、後は人間銘々が「散財の心(一人で貯め込まずに分け合う気持ち、今現在生産をする気持ち)」をもって「作り取る(生産する)」ことで、豊かな世界になる、という教えです。これだけで今現在の価値観から考えるとかけ離れており、一見「共産主義」というイメージを抱かせますが、教組様の立教の段階では「共産主義」という思想や理論が存在していないし、そういった「経済理論」そのものを教祖様が学んだという事実も見当たりません。純粋に「世の中の貧富の差」を嘆き、「貧しさに喘ぐ人を救いたい」というお気持ちから思案を繰り返し、到達した「ふしぎなふしん(世界建設)」であろうと考えられます。この道筋に世の「真の豊かさ」が始まると説いています。まさに字義通りの「有り難い教え」「だめの教え」です。


二下り目

 「豊かな世界に続いて、争いの無い平等思想の心定め」を教えられています。「豊かさの授け」を受けたら次に「踊り」をして、「ふしぎなふしん(世界建設)」に取り掛かれと教えられている訳です。その際「面白い」「賑わしい」のが肝要であるので、この二つの意味から、「踊り(つとめの理を心に修める事)と普請(現実に不思議な世界を建設する事)」こそ道人の肝要な勤めであることが分かります。この二つが「世直し」の始まりであり、皆が集まる事で、無用な争いや謀反が立ち消えることになります。
「なんじゅう(病気・貧困・被差別・心身障害等)」の人を救い上げる事が助けであり、「ふしぎなふしん(世界建設)」に必要な事であり、その実現が社会的病根だけでなく、個人的な病いや問題すらも消し去っているという「人を助けて我が身助かる」事の具現化でもあります。「救いあげる」のだから、自分と同じ高さ(ろっくの地)に置く事であり、誰も上にも下にも置いておかない平等の世の中が出来上がります。争いの種や原因は無く、皆が平穏幸せに暮らせる世の中となる事を教えてくれています。この理を深く悟り、この道に向かう「心定め」するのが道人(みちびと)足る所以の要諦であり、「真の治まり」と諭されています。
お道の信仰は単に教義の読誦ではなく、それをより身体的な踊りで確認しつつ、更に現実的な普請へと押し広げられていることで、非常に行動的な信仰であると言えます。


三下り目

 「つとめの理と現実世界の価値観との違いに戸惑う「ようぼく」に励ましの言葉」を投げかけています。一下り、二下り目で、「散財の心を定めて何かに作り取る」「難渋を救い上げてところの治まり」という心で日々を歩むと、現実世界の価値観の人々からすれば「なんて愚かなのだろう、損ばかりしている」と笑われたり影口を言われたりするでしょう。しかし「ひのもとしょやしきのつとめのばしょ」は、そういった心定めをした人が集まる「ふしぎなふしん(世界建設)」の始まりの場所であるから、何も心配せずに付いて来ればいい、と優しく諭されています。
お道信仰の目標(めどう)は「つとめ」と「つとめの持続」であり、その「つとめの理」を現実世界で実現する「ふしぎなふしん(世界建設)」です。この「ふしぎなふしん(世界建設)」が「実の助け」であり、その実現に向けた「ひとすじこころ」が肝要だとも教えてくれています。現在の世情の「悩み、病い、貧困、差別など」の蔓延する世の中で生きる事は辛い事だから、そういう「難渋」が存在しない極楽世界建設の理が本当の神の姿であり、人間に備わった「心の成人」でもあります。このつとめの理を信じて日々を働きなさい、と諭しています。これが、お道の理論構造であり、単純明快に語られているが万巻の書の教えに勝るとも劣らない教えだと言えます。


四下り目

 「一緒に働く人との心の澄まし方と、練りあいを経て陽気に助け合いに向うべき信仰のあり方」が表現されています。「ふしぎなふしん(世界建設)は一人ではできない。二人の「心を治めること」、「陽気になること」、「助け合うこと」、「心が勇むこと」であることが示唆されています。お道信仰の道中で世間から謗られることもあろうが、夫婦(二人)が心を合わせて陽気にしっかりと日々を歩めば、賑やかなので周囲の者が五月蠅いと思おうが、煩わしいと思おうが、助けの通り道であるから心配するに及ばない訳です。お道信仰を非難する者も含めて「なにかよろづの助けあい 胸のうちより思案せよ」です。人と人とは「助け合い」に向かう事が「人間の本質」であり、それが理解できれば「病の元」は消え失せて心は勇むばかりになります。「ここがこの世の極楽」であり、世の中全てがつとめの理を心に修め、わし(誰で)もふしぎなふしん(世界建設)が実現した世の中になって欲しいという願いが込められています。このことが分かると、心の中がすっきり澄み渡りそれが有り難い、と諭しています。


五下り目

 「ぢばの理、陽気づくめ、匂い掛け、お助け、講の結成」を教えています。「ふしぎなたすけ」は「安産とほうそ」が口開けとなりました。これは「迷信や誤った知識・価値観の排除」が人として陽気づくめの世界を建設するのに必要な事であり、迷信や誤った知識や価値観は心の汚れのようなものだから、これを「つとめの理」で洗い流し、我欲にまみれた心を見直し、陽気な心になり、優しい心で通りなさいと諭されています。「助け一条」になるなら難儀な事は何もない。信仰が深くなれば、国々所々世界中へ助けに行きなさい。そして「講を結ぼやないかいな」と、同じ心定めをした人の集まりである「講の結成」を諭しています。


六下り目

 「正しい信心と講の結成」を諭されています。人の心は新しい考え方や価値観には疑い深く否定的なものです。つとめの理で不思議な助けをする上では、人間の本質は見極めての事で、人の心は鏡に映すように分かっています。つとめの理が人を助ける元であり、かぐら手踊りをして心に修め、「めずらしい助け」をする事で喜べるのが人間の本質です。但し、つとめの理に添ったものでないといけない。いくら信仰しても「心得違い」はやり直しせねばなりません。つとめの理を理解した人が集まれば講を結成せねばならない。いくつもの講を早く見たい。「扇の伺い(つとめの理)」は、不思議な(助け、世界建設)の理です。


七下り目

 「真の種まき、匂い掛け、ひのきしん」についてお歌で表現されています。信仰する心構えや行動、生き甲斐や働き甲斐といった人生の目的を「田地」に例えてお諭し下されています。まずは「一言話し」で、とりあえず声を掛け、僅かでも話を取り次ぐ「匂い掛けひのきしん」が始まりで肝心な事です。しっかり思案したものがあるならば、誰も邪魔できるものではありません。世界中の人は皆田地を欲しがっている。同じ田地なら良い田地の方が良かろう。このお道はそういう最良の田地なのだというお諭しです。無理に誘うのではなく、このことを理解して貰うことが大事です。「屋敷は神の田地やで 蒔いたる種は皆はえる」。この神の田地に種を蒔きなさい。自らが手本となって種を蒔きなさい。その先は実り豊かである、と諭しています。これを福田思想ともいいます。


八下り目

 「本普請に取り掛かれ」が表現されています。「適材適所の世界作り」、「真の治まり難渋助け、適材適所の世を創る」ことの大事さが諭されています。世間から人材を探し出そう。お願いするのやない、同じ心を持つ同志を求めるのや、という事です。世界中の各地から次第に同志が結集するに応じて何事もできる。欲の心を抑え捨て去り、世界たすけの精神を修めるのが肝心です。次に自主性が肝心や。得心したら世界たすけに乗り出そう。急ぐばかりではいけない。思案を練ることが肝心や。何か心が澄んだなら、早く普請に取り掛かれ。取り掛かるに当たって、みんなの心を澄ますことが肝心や。かねてより世間の中へ飛び込み人材の調査をしておけ。そして必要な人材を寄せよう、と諭しています。


九下り目

 「心定めのつとめと布教」が表現されている。いよいよ世間の救済活動に向かう。「一せん二せんで助け行く」。神の心にもたれるなら自由自在が働いて不自由はない。世間は欲にまみれているので神の自由自在が働かない。この理は誰も同じで思案を定めるのが肝心です。この心定めがついてからお助けに向かいなさい。どんな場所でも地域でも、「てんりんおうのつとめ」が大事である。しかし、本当につとめの教義が分かって勤めしているのか心もとない。本当の話を聞きたければ、「早くこもとへ訪ね出よ」、と諭しています。


十下り目

 「心澄みきれ極楽や」が表現されている。人の心というものは簡単に分かるものではないが、その本質を理解して教えているのは、この「つとめの理」が最初です。欲にまみれた価値観が世間一般の常識になっているが、欲は切りない泥水のようなもので、心を澄みきれば極楽のような世界が実現します。時に厳しいことを云うのも「早く助けを急ぐから」であり、致し方ない事です。当り障りのないことばかり云っていては助けができない。個人の病や社会的な病根も、全ては銘々の心から起こる事であり、この理が分からないから「難儀」が起っているのです。今までこのようにはっきりと述べた信仰はないであろうが、このことを深く心に修めるのが肝要である、と諭しています。


十一下り目

 「喜び勇んでひのきしん」が表現されています。ひのきしんとは、つとめの理で教えられている「極楽世界」の建設の為に日々行動する事、働くことです。二人の気持ちを揃えて働く事が「ものだね」であり、大事な事だと教えられています。段々に世界に広まり一緒に働く人が見えて来ます。欲を忘れて二人の気持ちを揃えて働く姿が「だいいちこえ」となり、極楽世界の実現の為の基本となるのです。極楽世界の建設はいついつまでも続くのだから、わし(誰でも)も参加したいと思う。これまでは「つとめの理」を教える場所が無くて残念な事だったが、こうして「つとめ」をすれば誰でも理解し心に修めることが出来るようになります。これからは、その成果や出来栄えを手にすることが出来るので、頼もしいし有り難い事です。安心して「つとめの理」を多くの人と実践して極楽世界の建設に歩んで行って貰いたい、と諭されています。


十二下り目

 「四人の棟梁と共に」が表現されている。世界たすけ、極楽世界の建設を家の普請に例え、4人の棟梁が必要だと諭されています。「よふぼく」「だいく」「とうりょう」「つちもち」などの言葉は、すべて普請に関係する用語です。後に「さづけ」を渡す本席となられた飯降伊蔵(教祖の高弟)が大工の棟梁であったことにも関係があると思われます。事実「みかぐらうた」は飯降伊蔵本席をモデルとして歌われているといっても過言ではないほどです。世界普請の仕切りは大工に任せている。この後の極楽世界の普請に向かうには大工と相談して実現しなさい。寄り集う大工に「匂いかけ」し、良い棟梁を見つけたら寄せて置きなさい。棟梁は4名必要です。この仕組みえしっかり確立されればお道は磐石となります。この極楽世界の建設にはきりはない。困難待ち受ける世界には荒き棟梁が相応しい。その他小細工棟梁、建前棟梁やかんな(仕上りをする棟梁)と必要です。今や大工が揃っています。さぁ、臆することなく極楽世界の普請に取り掛かれ、と諭しています。


 「みかぐらうた」は、教祖様が従来折に触れ事に当って断片的にお口を通して説かれてきた教えを、わかり易くまとまった形に歌い上げており、ここに信仰の要領、目的、道人の在り様、布教の仕方等々が簡潔明瞭に指し示されることになりました。まさに教祖様の「教えの集大成」とも言えるものです。

 それ程重要なモノであり内容でありながら、その文言は平易で理解しやすい言葉で語られており、拍子や調子を取りながら心に修める「うた」の形式をとっています。また、文字だけでは悟り違いや勘違いが生じないとも限らないので、手振り身振りの「お手振り」によって正確かつ易しく理解する事の出来る「教え」になっています。

 「十二下り」を通じて溢れでているものは、親神様のお望み下さる、陽気暮らしの喜びの世界であり、親神にとっての子供(人類)が、「病まず弱らず、定命115歳」の世界を実現するための「心定め」とその道を歩むための「行動原理」であると言えるでしょう。「みかぐらうた」を地歌とする「かんろだい」を囲んで行われる「かぐらつとめ」をする事は、そのつとめ人衆の心は勿論の事、拝聴する者全て誰もが皆区別なく、必ずこの「陽気ぐらし世界建設」の喜びを味わうことができるという、希望と楽しみを与えられるものです。その教えの真理を心に修めた時、親に抱かれているような安らかさを与えられると共に奮い起つ勇気と力をお与え頂くことができる、喜びの「みかぐらうた」です。

教祖が「月日のやしろ」としておなりくだされてより、心一つでどんな中も喜び勇んで暮らすことの出来るひながたの道をお通りくだされること30年にして、そのお心の集大成を纏められたのが慶応3年のことです。
 「月日のやしろ」とおなりくださるや、瞬時も早く、一列の子供に「たすけ一条」の道を教えてやりたいとの切なる「おせき込み」をお待ちくださっているはずの教祖が、30年の歳月を経て初めてこれお教えくださることになったのは一体どうしたことでしょう。その年月は、教組様のお気持ちや考えを伝える術が十分ではなかったからかもしれない。また、その内容があまりにも世間一般の常識や価値観と乖離していた為、少し位話を聞いたり教組様のなさり様を見ても理解できなかったのではないだろうかと想像できます。これは、「みかぐらうた」にも「おふでさき」にも随所に見られる「そばなもの」や「とうじん」や「たすけるこころない」等の表現によっても容易に理解できます。

なお、「みかぐらうた」の掲載について、各下りの最後を「なむてんりんおうのみこと」ではなく「南無転輪王よしよし」としたのは、「みかぐらうた」に「てんりんおうのみこと」という呼称が使われていないので矛盾を感じたため、スッキリした呼称を使わせて頂きました。