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お話(その2)

2017年09月16日
ここは一応「天理教の教会」です。天理教の教会というと、普通は天理教の神様のお話や、日々の生活での心構えや毎日の行動をどうするか、困った時に相談に乗ったり、悩みや病気の時のお願いに来たり等の人生をどのように生きるかというお話をさせて頂くことになります。

しかし、この教会は他の教会とは違います。

というのは、元々、天理教の教祖中山みき様は、「こうを作れ」「こうを結ぼやないかいな」と言われていました。「こう」というのは、同じ信仰や考えをもった人達の集まりです。宗教関係では、定期的に富士山へ登山して参拝する為の「冨士講」や三重県の伊勢神宮をお参りするための「伊勢講」等が全国にあります。あるいは「頼母子講」といった互助会的や共済保険のような働きをする「講」も全国にあります。

で、この教会は、分かり易く言うと「学校」だと思って下さい。

学校にも色々な種類がありますが、大抵は「子供達が皆で勉強や運動をして将来立派な大人や、職業に就くための技術や能力を身に付ける場所」と言えます。

もっとも、「学校で勉強した事は社会で役に立たない」なんて事もよく言われますけど、そのままでは役に立たなくても、色々な物事の基礎知識や基本技術を身に付けると考えれば、全く意味の無いものではありません。基礎の出来ていない、基本を分かっていないと、何をやっても失敗や間違いが多い、勘違いしたままでは何度も同じ失敗を繰り返す、なんて事になるのは誰でも簡単に分かる事でしょう。

では、この教会=学校では、何を学び、何を身に付けるのでしょうか?

それは、「人間の心の基礎」です。

神様がどんな気持ちや考えで人間をお創りになられたのか?
今、自分が生きている、生かされている理由、原因は何なのか?
これから先の生活や生き方で何を考え、何に注意して、どんな考えで行動すれば良いのか?
こういう言葉にすると最初にお話しした他との違いが微妙なのですが、違いは、この「かんろだい」と「おつとめの仕方」にあります。

他所の教会や、以前の此処もそうでしたが、ここに一列に並んであちら(三殿)に向かって「おつとめ」をしたり「ておどり」をしていました。
これでは、「神様に向かってお祈りをしている、神様に奉納している」としか思えません。そういう考えが心の中に刷り込まれてしまいます。

そうではありません。

このように「かんろだい」を囲んで皆で「おつとめ」や「ておどり」をすると、先程お話しした「神様の気持ちや考え」を「自分の心の中に納める」事が出来るのです。勿論、「これ(かんろだい)が神様でお願いをしているんだ」という考えでは困ります。

月日親神は、10種類の道具を用意して人間を創りました。10種類の道具は、それぞれの役割や特徴を活かして、互いに協力して、助け合って命を産み出し、ずっと繋いでいるのです。それこそ、今皆さんが生きている、生かされている理です。
その道具の働き、役割を、この「かんろだい」を囲んでつとめることで、皆さんは「月日親神」の気持ちを思いを理を、心の中に納めることが出来ます。
その形や気持ち、考え方が『人間が本来持っている性質』で、そういう生き方考え方が、人間の持つ真っ正直な生き方なんです。

よく、一人で食事をしても美味しくない、栄養にならない、何て言われます。家族や友人たちと一緒に楽しく食べる食事は、美味しいし食もはかどりますよね。
家族や友人たちと一緒にレジャーをしたり旅行に行ったりするのは、いい思い出になりますし、人生の心を豊かにする事になります。

中には「一人旅の方が気楽で好きだ」なんて言う人もいますけど、本当に気持ちの通じた相手、互いに理解し合い、お互いを大切に思う気持ちがある人間同士なら、一緒に行動した方が楽しいんです。喜べるのです。それが、人間が本来持っている性質なのです。

その理を基礎、基本として、家族や友達や社会で、実際の生活の中で活かしてください。

世の中では、「皆仲良く」「喧嘩してはいけません」なんて言いますけど、その実は何を教えているでしょうか?どうしろと言ってるでしょうか?

競争、他人に負けるな、お隣より良いモノを買いたい欲しい、一番を目指せ、他人の足を引っ張ってでも自分が上に立て、そんな事ばかりで、他人を尊重したり、一緒に行動したり仲良くする事を妨げる事ばかりです。

会社やスポーツなどで「チームワーク」とか「協力して」等という場面もありますけど、それだって、相手チームに勝つ、他所の会社よりも売り上げをあげる、という競争と闘いの為に必要だからという「仮の姿」なのです。

そうじゃありません。

月日親神は
「人間創り出した時から、役割や特徴の違う者同士が協力して命を産み出した」
のですから、その事を深く心に修めて、それで今自分が生きているんだと理解して下さい。

その為にこの「おつとめ」を行います。

それが心に修まったら、その気持ちや考えで家族や友人、会社などで行動して下さい。「俺が俺が、」という人や「他人の足を引っ張っても、」なんて世の中一般の考えや価値観に負けることなく、神様の心を信じて持ち続けて頂きたいと思います。

この教会は、月日親神が『こういう人間になってくれ』と願っているような『本当の人間』になる為の「教室」で、このかんろだいは、「教材」なんです。


今日も、こうして畑で採れたナスや枝豆が揚げられています。

家庭菜園で野菜を作ります。例えばナスを植えたとしましょう。
ナスの実が成るまでには、周囲の雑草を抜いてあげなければならない、雨が降らなければ水もあげるし、必要な時には肥料もあげる、アブラムシや芋虫が付けば払ってあげなければならない。

『大きな実をつけろ、美味しい実をつけろ』
という気持ちで手入れをしたり世話をする訳です。

暑い時期に雑草を取ったり世話をするのは大変だけど、そうすると大きな実が沢山なって豊かな収穫ができます。

さて、月日親神はこの世に人間の種を蒔きました。

でも、神様は見守っているだけです。雑草を抜いてくれたり、水や肥料を与えてくれたりはしません。

その代わりに、人間が自分で雑草を抜いたり自分達で水や食べ物を食べたり、虫を払う事が出来るように、この身体と知恵を与えてくれたのです。
月日親神は人間たちに、それぞれの役割や特徴を活かして、互いに助け合って問題を解決して成長し、皆が陽気にくらすという大きな実りをもたらしなさい、豊かな社会を作りなさい、と期待しているのです。

この事をじっくり思案して、毎日の生活や生き方を考えさせて頂きたいと思います。


月次祭を始めたいと思います。

ここは教会ですからまずは神様のお話なのですが、ここでは「月日親神」という神様のお話をさせて頂きます。

この月日親神の大きな特徴の一つは、何かお願いを叶えてくれたり、罰を与えるような神様ではない、という事です。
皆さんは新年になると、年が明けると何処かに初詣に行きますよね。お賽銭をあげて「今年一年健康で暮らせますように」とか「家族で幸せになれますように」なんてお願いするかと思います。でも、そういうお願いをして実際に何かをしてくれる神様は居るでしょうか?一年経ってみて、特に大きな病気にならなければ「あぁ、神様がお願いを聞いてくれた」と考える事も出来るでしょうが、それが本当に神様の力なのかどうか分かりません。

あるいは「祟り神」という人間に災いをもたらす神様が居ます。地震や台風などの自然災害や病気や怪我などをさせる神様だそうです。そういう神様には、定期的にお祈りを捧げて「怒りをお鎮め下さい、厄災を起こさないで下さい。」と言ってお供え物をあげたり、神の心を鎮めるために舞を舞ったり儀式を行います。

もう一つは五穀豊穣の神様として、地上に大いな実りや惠みを与えてくれる神様です。これは、神様が作り出したこの世の大地を人間が耕し、作物を植え育ててあげれば、収穫期には沢山の実りをもたらすという神様です。人間は、収穫された作物の「最初のモノ(初穂)」や飼育している「家畜」の一部などを感謝の気持ち、お礼の形として神様に捧げて、神様の為に各種の儀式を行い、村人総出でお祝いして神様と共に喜びを分かち合う訳です。

いまお話しした中では、最後の五穀豊穣の神様が人間にとっては一番いい神様のようですが、古代より日本には様々な神様が居ますので、それだけで良いという訳には行かなかったようですね。


それで、これからお話しする月日親神は、今言ったような「お願いをする」「罰を与える」「何かご神託を与える」「予言をする」ような神様ではない、という事です。

ちょいとはなし、神のいうこと聞いてくれ
あしきなことは言わんでな
この世の地と天とをかたどりて
夫婦をこしらえ来るでな
これはこの世の始めだし
よ~しよし。

この部分は非科学的と思われますが、「神話」だと思って頂ければ結構です。神話というと聖書の天地創造の話や日本書紀の国生みの神話などがありますけど、そういったモノと同じ様なことだと思って下さい。その中身や本質はそういう神話とは全く違うのですが、それは段々に説明させて頂くとして、今は「神話の世界」と考えて頂いて結構です。
大事な事は、「人間が発生した、この世に人間が生きている理由や根拠」のお話だと思って下さい。

元始まりの話、この世の最初は一面の泥の海であった。泥の海の中には、うおや己やドジョウなどが蠢いているだけだった。月日親神はこの様子を残念に思い、人間を創って人間が陽気に暮らす様を見て、一緒に楽しみたいと思いついた。

そして、この世の地と天を型どり、10種類の『道具』を用意しました。
『ぬくみ』『すいき』『男種』『女種』『飲み食い出入り』『息吹き分け』『骨ツッパリ』『皮つなぎ』『引き出し』『切る』という10の道具、働き、役割、機能です。

そして、この10種類の道具を使って、道具に働かせて、人間を創ります。10種類の道具たちはそれぞれの役割や特徴を活かして、互いに助け合って協力し合って人間を創った訳です。10種類の道具が一つ欠けても人間は出来なかったし、この世に生きることも出来ません。人間の根本本質は、こうして10種類の道具が、それぞれの特徴を活かして、互い立てあい助け合って、造られたものだという事を心に納める為、これから、一人一人が違う手振りでつとめをして、人間が造られたという事を理解して、心に納めて下さい。

最初の7回は『元始まりの理』です。この『月日親神』が人間を創った時の様子、気持ち、考えを理解し、心に納める為に行います。
10人の人が、それぞれ「私はぬくみです」「俺はすいきです」「俺は引き出しだよ」というふうに、それぞれの役割、それぞれの特徴や性質を考えて、それを10人合わせて『つとめる』事で『人間を創りだした月日親神』の気持ちを理解し心に納めるのです。

元の理(月日親神が人間をお創り下された時の気持ち、理です)
あしきをはろうて、たすけせきこむ、一列すますかんろうだい ×7回

次の7回は『天然自然の理』です。最初に人間を創った時の月日親神の気持ちや考え、思いは、親から子へ、子から孫へと脈々と受け継がれて、今、私達がここに生を受け、生きていることが出来る、生かされているのです。その事を自覚し、理解し、自分の中に10の道具が働いているという月日親神の思いを自分の心に納める事が大事です。

天然自然の理(今、私たちが生きている、生かされている理です)
あしきをはろうて、たすけせきこむ、一列すますかんろうだい ×7回

そして、最後の7回は、そうやって生きている、生かされている私達、月日親神の気持ちや思いを、家族や親戚、友人や社会へと広げて、この世の中を「皆が陽気に暮らせるような世の中、陽気づくめの世にしよう」と決意する、気持ちを固める為の『つとめ』です。月日親神の思いや気持ちは、10の道具がそれぞれの役割をしながら助け合って協力して『新たな命を産み出す事』なのですから、私達がそれぞれの役割や役目を担いながら、皆で協力して助け合いながら世の中を明るくする、皆が暮らしやすい世にする事を月日親神は待ち望んでいるのです。
人間は「10の道具が互い立て合い助け合って」創られました。これが人間の本質・根源です。
それが親から子、子から孫へと伝わり、今、私達が生きているのも「10の道具が互い立て合い助け合って」生きている、生きる事が出来ます。これが全ての人の本質・根源です。
そして、人間が造ったこの社会、世の中も、この人間の本質・根源で動いてこそ、人は活き活きと、元気で明るく前向きで陽気に生きる、人生を歩む事が出来ます。

でも、現実世の中はそうではありません。
人生の中では辛い事や苦しい事、悩みや問題が色々あるでしょう。

これらは、最初に人間をお創りくだされた月日親神の心、気持ちを忘れた人間、月日親神の心や気持ちを無視した人間の心によって作られた制度や仕組み、世の中だからです。勿論、それぞれ銘々の心の中にもそういう原因や心使いがあるかもしれません。

それを祓って、月日親神の心で人生を歩み、世の中を建て替えるという決意をする「おつとめ」です。

陽気づくめの理(この世を陽気づくめにする為の考えと行動を決意する理です)
あしきをはろうて、たすけせきこむ、一列すますかんろうだい ×7回
よ~しよし。


そして、日々の心使いや生き方などについても、この『みかぐらうた』で教えて下さっています。「よろずよ八首」と「十二下り」に書いてあります。これから段々に、皆さんと勉強していきましょう。


ここにナス・枝豆・トマトが揚げられています。
これは「献饌物」と言って、他所の教会や神社などでは、神様へのお供え物とか収穫に感謝するお礼、等と考えられています。最初にお話しした「五穀豊穣の神様へのお供え物」だろうと思われるかもしれませんが、全く違います。

この月日親神の心を理解するために、ここにあげさせて貰いました。。

これはうちの畑で育てて収穫したモノです。土を耕し、畝を作って、種を蒔き、苗を植え、水をあげて肥料をやり、時には周囲の雑草を抜き、虫が付いたら払ったり防虫剤を使ったり、余分な枝や葉っぱを取って選定したり、また雑草を抜いたり、水をあげたり、色々と手を入れて、育てあげて、収穫した野菜です。
「大きな実をつけろ、美味しい実をつけろ、沢山実を成らせ」
と思いながら世話をして、こうして収穫できたわけです。皆さんも、家庭菜園や観葉植物などを育てた事があるでしょう。同じ事です。いろいろ手を掛けてあげて、「沢山実をつけろ、綺麗な花を咲かせてくれ」と願いながら手入れをしたと思います。

さて、月日親神はこの世に人間の種を蒔きました。

でも、神様は見守っているだけです。雑草を抜いてくれたり、水や肥料を与えてくれたりはしません。

その代わりに、人間が自分で雑草を抜いたり自分達で水や食べ物を食べたり、虫を払う事が出来るように、この身体と知恵を与えてくれたのです。
月日親神は人間たちに、10の道具で生きている、生かされているという、この『つとめの理』を心に修めて、その理と同様にそれぞれの役割や特徴を活かして、互いに助け合って問題を解決して成長し、皆が陽気にくらすという大きな実りをもたらしなさい、豊かな社会を作りなさい、と期待しているのです。

この事をシッカリと心に納める為に、ここで歌と踊りで勉強をしているのです。
そして、それを更にシッカリと形にする、行動に表すために、畑で野菜を作ってみませんか?

畑のナス                   枝豆・プチトマト・雑草(笑)       
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幸い、うちの畑は家庭菜園としてはそこそこの広さがあります。言って頂ければ、一人一畝くらいの野菜を植えることが出来ます。一畝あれば、2~3種類の野菜を育てて、結構な実を成らすことが出来るでしょう。野菜なんて作った事がなくても、近所の農家の人が教えてくれますし、道具もここにあります。
それぞれが自宅でやっても良いのですが、ここの畑でやる事で互いの顔を見ることも出来ますし、ちょっと手入れが足らない人を手伝ってあげるとか、花が咲いたよ、実が成ったよ、なんて教えてあげる事も出来るかもしれません。

畑で作業したら、ここに寄ってお茶でも飲んでいって下さい。時間があったら、ゆっくりお話をしましょう。無理はしなくて結構ですが、健康とこの月日親神の教えの理を心に納める為に是非やって頂きたいと思います。

この神様の気持ち、ご守護、人間はどうして生きているのか活かされているのか、これをじっくり思案して、毎日の生活や生き方を考えさせて頂きたいと思います。