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『劇画 中山みき物語』4

ハ「慶応三年というと江戸時代の最後の年ですね?」

責「そうですね。おつとめの唄や手振りで教えを伝え始めた頃です。」

ハ「しかし、転輪王明神というのは、教祖の教えを正しく伝えるものではなかったようですね。」

責「大和神社事件で、宗教を営業する許可証は秀司のモノになってましたから。」

ハ「なるほど、教祖やこかんにも秀司の営業方法を止める手は無かった訳ですか。」














責「なので、秀司や一般の宗教との違いや考え方、価値観の違いを、少しでも理解して貰うことの大切さを描写されています。

欲得やメリットを求める信仰や信心は、決して『陽気づくめの世界』という実りはやって来ない、決して『世界余さず助けたい』という転輪王の気持ちや『一列兄弟、互い立て合い助け合い』を伝えようとした月日親神の価値観を理解することは出来ないのだという事です。

『輪廻転生』だの『前生の行い』だの『魂の徳』で、今現在の現実社会にある上下の格差や差別や貧富の差や紛争や内紛があることを理屈付けてしまってはいけないのです。」








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ハ「この屋敷のそうじという逸話に込められた意味は何でしょうか?」

責「その時代のお屋敷の状況は複雑だったと思いますし、中山みきさんも自分の教えや価値観と、実際のお屋敷の中の状態が全く異なるのでは困った上でのことだと思います。でも、現代のわれわれから考えるなら、秀司の女性問題をどうこう言うより、『おふでさきの解釈の仕方』でしょうね。そのおふでさきが書かれた時代背景や前後の事情をよく理解しないと、おふでさきの内容・中山みきの思いや考えを正しく理解できないという事です。

ですから、今の世の中の事や我々の出来事、日々の生活の中で『お筆先の一文や一言だけ」を抜き出して当てはめたり解釈するのは、危険だといえます。

教団や大教会の人間の中には、中山みきさんの教え全体の流れや意図を考えずに、自分の都合の良いようにおふできさきの一部だけ切り取って解釈しようとする、お諭をしようとする人が居ますから、要注意ですねぇ(笑)。」


(続く)



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